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アジャンターの石窟寺院群
Ajanta Caves
飛鳥・藤原の宮都
Ancient Capitals of Asuka and Fujiwara
アユタヤの歴史都市
Historic City of Ayutthaya
タイ中部のアユタヤ県に位置する『アユタヤの歴史都市』は、約400年間にわたるアユタヤ王朝の繁栄を象徴する遺産です。アユタヤは1350年に建設され、15世紀にはアンコール朝を滅ぼしてスコータイを併合し、強大な王朝を築きました。この地域は3つの川に囲まれた恵まれた立地にあり、外交や商業が急速に発展していきました。また、シャム湾の潮汐波より高い場所に位置しているため、海上軍艦による攻撃を防ぐことができました。こうした戦略的な位置を活用することで、アユタヤは繁栄を続け、アユタヤ王朝第2の都市として中心的存在となりました。しかし、1767年にビルマ軍による攻撃を受け、アユタヤは壊滅的な被害を受けます。その後は再建されることなく、広大な考古学的遺跡としてその歴史が語り継がれています。遺跡にはプラ・プラーン様式という、砲弾状の高い塔堂を特徴とした建築様式がみられるのも特徴的です。
アンコールの遺跡群
Angkor
雲岡石窟
Yungang Grottoes
雲岡石窟は、山西省武周山南麓の断崖面の全長およそ1kmの範囲に現存する、252の石窟です。452年に即位した北魏の文成帝が、高僧曇曜(どんよう)の提言に従い、460年に開鑿を行ったのがその始まりです。文成帝は「曇曜五窟」と呼ばれる5つの石窟に、自身を含めた5人の皇帝を模した大仏を建立しました。494年、洛陽に遷都したことを機に造営は終息に向かい、石窟は存在を忘れられていきましたが、1902年に建築家の伊東忠太が建築研究のため中国を訪れ再発見しました。仏像は5万体以上あり、第20窟の如来坐像は傑作とされています。仏像は制作年によって様式が異なり、徐々に中国独自のものになっていった様子がうかがえます。
エローラーの石窟寺院群
Ellora Caves
『エローラーの石窟寺院群』は、5世紀頃から10世紀頃にかけて造営された石窟寺院群です。インドのデカン高原西部の岩山の南西面に約2kmにわたって、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の石窟寺院が34存在します。最初に掘られたのは仏教窟で、5世紀〜8世紀に第1窟から第12窟までつくられました。そのうち第10窟(ヴィシュヴァカルマ窟、「大工の石窟」とも)は最も有名な仏教窟のひとつで、内部には木造を模した高い天井が広がり、仏陀が椅子に座っている様子を表現した仏倚坐像が、仏塔(ストゥーパ)を背にして鎮座しています。このように、石窟寺院の内部に仏塔や仏像を安置して礼拝する祠堂をチャイティヤ窟といいます。仏教窟の最北端に位置する第12窟(ティーン・タル窟)は3層構造でつくられており、仏教窟の中では最も大きな窟です。
オルホン渓谷の文化的景観
Orkhon Valley Cultural Landscape
カトマンズの谷
Kathmandu Valley
ネパールの首都カトマンズは、標高約1,350mの盆地に位置し、古くからチベットとインドを結ぶ交易と文化の要衝として栄えてきました。仏教とヒンドゥー教が融合することで独特の宗教文化が生まれ、直径約20㎞の範囲内に約900もの歴史的建造物が密集しています。14世紀に確立したマッラ王朝は、15世紀後半に3人の王子がカトマンズ、パタン(ラリトプル)、バクタプル(バドガオン)にそれぞれ王国を築き、栄華を競うように宮殿や寺院、堂塔などを建設しました。これらの建造物には芸術性の高い彫刻が多く見られ、独特の建築や工芸は「ネワール文化」と呼ばれています。3つの王国は18世紀にグルカ王国によって滅ぼされましたが、その後も優れた建築物は造られ続けました。2015年のネパール大地震で大きな被害を受け、現在も修復作業が進められています。
峨眉山と楽山大仏
Mount Emei Scenic Area, including Leshan Giant Buddha Scenic Area
紀伊山地の霊場と参詣道
Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range
慶州の歴史地区
Gyeongju Historic Areas
慶尚北道にある慶州は、3~10世紀に新羅王国の首都・金城として朝鮮半島の中心地として栄えました。市内外に広がる200以上の緑の丘は、新羅王たちの古墳群であり、7世紀の半島統一後には、中国の大都市を手本として都市の拡張・整備が行われました。仏像やレリーフ、仏塔、寺院跡、宮殿跡などが集中して保存され、7~10世紀に花開いた独自の仏教美術や建築様式を今に伝えています。特に南山地区には、110以上の寺院跡、80近い石仏、60以上の石塔が山中に残り、訪れる人々に壮大な歴史の痕跡を感じさせます。また、月城跡には人工池のアナプチやイムヘジョンが残されており、当時の都市計画や生活文化をうかがい知ることができます。さらに、東海岸沿いや戦略的拠点に築かれた城塞群も保存されており、新羅王朝の長期支配と文化的繁栄を示す貴重な証拠となっています。
黄山
Mount Huangshan
国立歴史文化公園“メルヴ”
State Historical and Cultural Park “Ancient Merv”
五台山
Mount Wutai
サールナートの古代仏教遺跡
Ancient Buddhist Site of Sarnath
インド北部にあるウッタル・プラデーシュ州のヴァーラーナシーに位置するサールナートは、ブッダ自ら定めた仏教四大巡礼地のひとつです。ブッダが紀元前6世紀にこの地を訪れ、最初の説法(初転法輪)を行い、最初の弟子たちと出会った場所であるとされています。王族や僧侶、信者の支援の下で、多数のストゥーパ(仏塔)や寺院、ヴィハーラ(精舎)が建設されました。その歴史はマウリヤ朝以前の紀元前5~前3世紀頃に遡り、クシャーナ朝、グプタ朝を経て、12世紀まで継続的に発展しました。その後都市は衰退し、イスラム勢力による破壊を受けて放棄されますが、18世紀に再発見され、考古学調査が進められました。現在は仏教徒にとって重要な巡礼地として再び信仰を集めています。
サーンチーの仏教遺跡
Buddhist Monuments at Sanchi
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
山寺(サンサ):韓国の山岳僧院群
Sansa, Buddhist Mountain Monasteries in Korea
シ・テープの古代都市と関連するドヴァラヴァティ王国の遺跡群
The Ancient Town of Si Thep and its Associated Dvaravati Monuments
シルク・ロード:長安から天山回廊の交易網
Silk Roads: the Routes Network of Chang'an-Tianshan Corridor
スコータイと周辺の歴史地区
Historic Town of Sukhothai and Associated Historic Towns
スリランカ中央高地
Central Highlands of Sri Lanka
『スリランカ中央高地』は、スリランカ中央部に位置する山岳森林帯です。ホートン・プレインズ国立公園、ピーク・ウィルダネス保護区、ナックルズ森林保護区の3つで構成されています。一帯には多くの固有種が生息しており、記録された408種の脊椎動物のうち、ホートン・プレインズ国立公園では両生類の91%、爬虫類の89%が固有種です。また、ピーク・ウィルダネス保護区では在来淡水魚が83%、両生類は81%、ナックルズ森林保護区では両生類の64%、爬虫類の51%と、いずれのエリアでも固有率が非常に高いことがわかります。さらに、ニシカオムラサキラングール、ホートンプレインズホソロリス、スリランカヒョウなど、絶滅危惧種を含んでいる点でも重要です。
聖地アヌラーダプラ
Sacred City of Anuradhapura
聖地キャンディ
Sacred City of Kandy
石窟庵と仏国寺
Seokguram Grotto and Bulguksa Temple
大足石刻
Dazu Rock Carvings
重慶市の北西に位置する大足石刻は、唐代末期の9世紀から南宋時代の13世紀にかけて、山の岩壁に掘られた彫刻群の総称です。一帯には、石像が5万体以上、石碑文は10万点以上が現存し、75ヵ所ある文化財保護区域のうち、5ヵ所が世界遺産に登録されています。多くは大乗仏教の石刻ですが、道教や儒教の像も刻まれており、中国三大宗教の石刻がそろっているのが大きな特徴となっています。中でも宝頂山石刻群の石刻は評価が高く、特に大仏湾と呼ばれる崖の磨崖仏群、全長およそ31mの釈迦涅槃像が有名です。中国には、世界遺産に登録されている『雲岡石窟』や『龍門石窟』などの石窟芸術が残りますが、大足石刻はその中でも最も保存状態の良いものひとつに数えられています。
タキシラの都市遺跡
Taxila
パキスタンの首都イスラマバード近郊のタキシラは、中石器時代の洞窟や4つの異なる時代の都市遺跡、仏教寺院やイスラム教のモスクなどを含む多種多様な遺跡が残されています。シルク・ロードの支流ながら重要な位置にあったタキシラは1世紀から5世紀頃に最盛期を迎えたとされています。特にサライカラ、ビール、シルカップ、シルスークの4つの居住地遺跡はインド亜大陸における都市の発展を示す重要な遺跡です。最も古いサライカラは先史時代の最古の集落跡で、新石器時代、青銅器時代、鉄器時代の居住の痕跡が残されています。次の時代にあたるビール(ビール・マウンド)は、紀元前6世紀にアケメネス朝が築いたとされるタキシラの「都市」としては最古のもので、石壁や家屋の基礎、街路などに都市化の遺構が残されており、紀元前326年にアレクサンダー大王が凱旋入場した地としても知られています。さらに時代が下ったシルカップは紀元前180年頃にギリシャ人によって築かれた都市で、碁盤目状の都市に配置された家屋や仏塔、寺院などにはヘレニズム時代のヨーロッパ建築の影響が強く見られます。シルカップはその後クシャーナ朝によって破壊されましたが、そのクシャーナ朝が残した都市が4つめのシルスークです。ここでは発掘調査によって不規則な長方形の切石積みの城壁と丸みを帯びた堡塁が見つかっています。これらには中央アジアの建築様式の影響が見られ、インド亜大陸と中央アジアとの関連を物語っています。
タフティ・バヒーの仏教遺跡とサリ・バロールの歴史的都市
Buddhist Ruins of Takht-i-Bahi and Neighbouring City Remains at Sahr-i-Bahlol
タフティ・バヒーの仏教遺跡とサリ・バロールの歴史的都市は、パキスタンのガンダーラ地方で最も印象的な仏教遺跡のひとつで、同じ時代に属する2つの全く異なる要素で構成されています。タフティ・バヒーの仏教遺跡は1世紀初頭に建設された僧院群で、標高約36~152mの丘陵地帯に位置しています。7世紀頃まで使用されたタフティ・バヒーは、複数の仏塔を中心とした僧院や中庭、屋根付きの階段状の通路などで構成され、石材を石灰とモルタルで固めるというガンダーラ様式の技法が見られます。一方のサリ・バロールの歴史的都市は、タフティ・バヒーから5㎞ほど離れた地の細長い丘陵の上に築かれた古代の要塞都市の遺跡で、往時はガンダーラ様式の城壁に囲まれていたと考えられています。しかしながらサリ・バロールの遺跡は集落・住宅地の拡大によってその遺産の境界の管理が不十分で都市拡大による危機にさらされています。
登封の歴史的建造物群-天地之中
Historic Monuments of Dengfeng in “The Centre of Heaven and Earth”
敦煌の莫高窟
Mogao Caves
ナーランダ・マハーヴィハーラの遺跡群
Archaeological Site of Nalanda Mahavihara at Nalanda, Bihar