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アープラヴァシ・ガート
Aapravasi Ghat
アーヘンの大聖堂
Aachen Cathedral
アイアンブリッジ峡谷
Ironbridge Gorge
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群
Luther Memorials in Eisleben and Wittenberg
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念碑群は、ドイツ中部のザクセン=アンハルト州に位置し、マルティン・ルターとその盟友であるフィリップ・メランヒトンの生涯に深く関わる場所です。これらには、ヴィッテンベルクのルターの部屋、ルターの同士メランヒトンの家、聖マリア聖堂、ヴィッテンベルク城の付属聖堂、アイスレーベンのルターの生家と没した家が含まれます。特にヴィッテンベルク城の付属聖堂は、1517年10月31日にルターが有名な「95か条の論題」を掲げた場所であり、これは宗教改革の幕開けとなり、西洋の宗教史・政治史に新たな時代をもたらしました。宗教改革とルターの生涯における決定的な出来事の舞台として、ドイツ国内だけでなく、西洋世界の政治、文化、精神的な歴史において極めて重要な意義を持っています。
アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋
Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge
アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)
Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp (1940-1945)
アウシュヴィッツ・ビルケナウは、ナチス・ドイツがユダヤ人を中心とする民族の絶滅を目的に設立した最大の強制収容所であり、ホロコーストの象徴的な現場です。1940年にポーランドのオシフィエンチムに設立され、1942年から1944年にかけて、ユダヤ人を中心に約150万人が組織的に殺害されました。この場所が選ばれた理由は、鉄道での輸送・運搬が容易で、周囲からの隔離が比較的簡単にできること、そしてナチス・ドイツが考える劣等民族をドイツ本国内に入れないようにするためでした。この地にて殺害された人の大半はユダヤ人だったとされ、他にも政治犯や犯罪者、精神や身体に障害のある人、ロマなどの少数民族なども命を落としました。この収容所は、20世紀における人類の残酷さの象徴です。
アクィレイアの考古地区とバシリカ総主教聖堂
Archaeological Area and the Patriarchal Basilica of Aquileia
アクスムの考古遺跡
Aksum
エチオピア北部ティグレ州にある『アクスムの考古遺跡』は、かつてのアクスム王国の繁栄を知ることができる貴重な遺跡です。アクスム王国の歴史は古く、1世紀前後に建国されたと言われています。以降、9世紀頃までビザンツ帝国やササン朝ペルシアなどと対峙しながらも象牙貿易などで繁栄しました。しかし、7世紀にイスラーム勢力が拡大すると、衰退に向かいます。滅亡した時期は未だ断定されておらず、950年頃や1137年頃という説が有力です。アクスム王国は古代アフリカの国としては珍しくキリスト教を受容し、国教としていきます。なお、このキリスト教とは、451年のカルケドン公会議で異端となったキリスト単性説を教義とするものであり、ローマ・カトリック教会とは異なります。
アグリジェントの考古地区
Archaeological Area of Agrigento
アジャンターの石窟寺院群
Ajanta Caves
アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築物群
Monuments of Oviedo and the Kingdom of the Asturias
スペイン北西部、アストゥリアス地方の中心都市オビエドは、かつてアストゥリアス王国時代に首都として君臨していました。この地はイスラム勢力に征服されたのち、レコンキスタの口火を切った西ゴート王国の貴族ペラーヨによって奪還され、718年にアストゥリアス王国が建国されます。その後、8~10世紀にかけて首都オビエドに幾つものキリスト教の教会が建てられ、現在ではオビエド市街や郊外に残る6つの教会と関連施設が世界遺産として登録されています。特徴的なのは、プレロマネスク様式の1つであるアストゥリアス様式で建造されている点です。その代表例がサンタ・マリア・デル・ナランコ教会で、装飾や彫刻、ファサードなどがビザンツ様式から着想を得て建てられています。この教会建築が後のイベリア半島における建築様式の発展に強い影響を与えました。
アゾレス諸島の港町アングラ・ド・エロイズモ
Central Zone of the Town of Angra do Heroismo in the Azores
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)
Via Appia. Regina Viarum
アテネのアクロポリス
Acropolis, Athens
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
アフロディシアス
Aphrodisias
アフロディシアスは、トルコの南西部、モルシナス渓谷の上流にあり、都市遺跡とその北東部にある大理石の採石場で構成されています。古くはレルゴノポリス、メガロポリスと呼ばれていましたが、紀元前2世紀にローマ帝国の支配が強化されたことで、この街は神聖な場所としての重要性を増し、美、愛、自然、豊かさの女神アフロディーテに由来してアフロディシアスの名前が付けられました。街の中心には、女神を祀ったアフロディーテ神殿つくられ、現在も堂々とした14本の柱を見ることができます。発掘調査によると、劇場の壁に書かれた文字に「カエサルから女神アフロディーテに贈った黄金のエロス像」とあることから、カエサルはこの街に来て女神に忠誠を捧げたと考えられています。
アミアンの大聖堂
Amiens Cathedral
アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区
Seventeenth-century canal ring area of Amsterdam inside the Singelgracht
13世紀にアムステル川にダムをつくり、海水の侵入を防いでそこに集落が成立したのが現在の「アムステルダム」の起源です。現在の運河地区は16世紀末から17世紀初頭にかけての湾岸都市プロジェクトとして建設されました。一番外側の「ジンフェルグラハト」まで扇状に広がる運河をつくり、さらに同心円状に運河を整備し、その間の土地(沼沢地)を排水して市街地化していきました。この町の運河と都市景観は美しいだけでなく実用的でかつ経済的なものです。16世紀末以降、オランダは海洋国家として黄金期を迎えていました。日本を含むアジアとの交易等で莫大な富を蓄え、アムステルダムは世界有数の富裕都市となりました。そしてその非常に均質な街並みは19世紀に至るまで大規模都市計画のモデルとなりました。
アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区
University and Historic Precinct of Alcalá de Henares
マドリード郊外にあるアルカラ・デ・エナレスは、小説『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の作者ミゲル・デ・セルバンテスの出身地として知られています。ここは、世界で最初に計画された大学都市です。1508年、カスティーリャ王国の摂政を務めたシスネロス枢機卿がキリスト教の理想郷を目指し、この地にアルカラ・デ・エナレス大学を開学したことから学園都市の歴史は始まります。シスネロス卿は土地を購入し、大学都市の実現に必要なインフラを整備しました。この計画には、大学、寮、病院、印刷所などが含まれており、世界初の多言語対訳聖書も刊行されました。19世紀に大学はマドリードへ移転しコンプルテンセ大学となりますが、市民が資金を出してこの地に建物を残し、1977年にアルカラ・デ・エナレス大学として再開校しました。
アルコバサの修道院
Monastery of Alcobaça
アルダビールのシャイフ・サフィ・アッディーン廟と関連建造物群
Sheikh Safi al-din Khānegāh and Shrine Ensemble in Ardabil
アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器時代洞窟壁画
Cave of Altamira and Paleolithic Cave Art of Northern Spain
アルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟:ショーヴェ・ポン・ダルク洞窟
Decorated cave of Pont d’Arc, known as Grotte Chauvet-Pont d’Arc, Ardèche
アレキパの歴史地区
Historical Centre of the City of Arequipa
アンコールの遺跡群
Angkor
アンテケラの支石墓遺跡
Antequera Dolmens Site
アントニ・ガウディの作品群
Works of Antoni Gaudí
『アントニ・ガウディの作品群』は、スペイン東部・カタルーニャ地方の中心都市バルセロナとその周辺に点在する、建築家アントニ・ガウディ(本名:アントニ・ガウディ・イ・コルネ)が手掛けた7つの建築物によって構成されています。ガウディは、1852年に銅版器具職人の息子として生まれ、バルセロナの建築学校に進学しました。26歳の時、パリ万博に作品を出展したことがきっかけで、最大の支援者となる実業家エウゼビ・グエルと出会います。グエルはガウディのパトロン的な存在として、自邸や別邸の設計を委ねたほか、数々の傑作の建設に貢献しました。1883年、ガウディはサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の建築主任となり設計に奔走します。しかし、1926年に建築途中の聖堂を残し、不慮の事故でこの世を去ってしまいました。
アンブヒマンガの丘の王領地
Royal Hill of Ambohimanga
マダガスカル島の首都アンタナナリボ郊外、標高1,468メートルにあるアンブヒマンガの丘は、かつて島を初めて統一したメリナ王国の都でした。二重の城壁と外堀に囲われた王領地には、14の石造りの門があります。歴代の王の墓地、聖なる池や林が点在し、マダガスカルの人々にとってのアイデンティティを象徴する場となっています。アンブヒマンガは、マダガスカル語で〝青く美しい丘〟という意味です。この遺産は、15世紀から19世紀にかけてマダガスカル中央高地で発展した文明や、そこに密接に関わる精神的伝統、さらには王や祖先崇拝などの習俗を今に伝えます。今日も多くのマダガスカル人にとって、畏敬の念を抱かせる神聖な場でありつづけています。
イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路
Birthplace of Jesus: Church of the Nativity and the Pilgrimage Route, Bethlehem
エルサレムの南約10kmに位置するベツレヘムはイエス・キリストの生誕地とされています。339年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世の時代にイエスが誕生したとされる洞窟を中心に最初の聖誕教会が建てられました。この教会は6世紀に焼失し現在はその一部を地下に残すのみですが、この上に現在の聖誕教会が建てられています。現在の聖誕教会は6世紀半ばに建てられたもので、これは日常的に使用されているキリスト教の教会としては最古のものです。その後十字軍の時代にこの地におけるキリスト教の影響力が強まったことで、聖誕教会の周辺には複数の教会が建造されました。世界遺産としては、聖誕教会に隣接する聖カタリナ教会や、フランシスコ修道会、アルメニア正教会、ギリシャ正教会の各修道院、鐘楼、庭園なども含まれています。また、この地はキリスト教信者にとっての重要な聖地であるだけでなく、イスラム教徒にとっても聖地の一つとされています(ナザレのイエス(イエス・キリスト)はイスラム教において預言者の一人とされています)。
イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル・マグタス)
Baptism Site “Bethany Beyond the Jordan” (Al-Maghtas)