World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(i)(vi))

ゴンバデ・カーブース

Gonbad-e Qābus
ゴンバデ・カーブース
ゴンバデ・カーブースは、イラン北部にある、ズィヤール朝の首都だったゴルガン(またはジョルジャン)の近くに1,006年に建設された高さ53mの焼きレンガ造りの塔です。形はやや先細りの円筒形で先端部は円錐形となっています。内部は空洞で初期のムカルナス様式の装飾があり、壁の厚さは3m近くあります。土台部分の碑文にはアラビア語で「アミール・カーブース・ワシュムギール自身が生きている間に建設を命じた」と書かれており、この時期のズィヤール朝皇帝でアラビア詩人でもあったカーブースのための建造物であることがわかります。初期イスラム建築の革新的な設計と幾何学的で斬新なデザインは、これ以降イランだけでなく中東・中央アジアへと広まっていきました。建設1000年を迎えた後2012年に世界遺産に登録されました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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サーンチーの仏教遺跡

Buddhist Monuments at Sanchi
サーンチーの仏教遺跡
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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サウジアラビアのハーイル地方にある壁画

Rock Art in the Hail Region of Saudi Arabia
サウジアラビアのハーイル地方にある壁画
サウジアラビア中北部ハーイル地方にある、ジュッバとシュワイミスにある壁画群は、サウジアラビアだけでなくアラビア半島周辺でも最大規模とされるもので、古代からの砂漠地帯での生活を伝えるものです。ジュッバのジャバル・ウンム・シンマン(ウンム・シンマン山)という名前は、〝地面に伏せて休む2つのコブを持つラクダ〟に似ていることに由来します。この岩肌に残る岩絵や碑文は、その内容から、新石器時代からイスラームが誕生し発展するまでの大変長い時代を辿ることができます。また、その麓にはかつて湖が存在し、ネフド砂漠南部に生きる人たちや動物たちにとっては、新鮮な水の供給源でした。
地域: 西・南アジア / 国名: サウジアラビア王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (i)(iii)
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左江花山の岩絵の文化的景観

Zuojiang Huashan Rock Art Cultural Landscape
左江花山の岩絵の文化的景観
左江花山の岩絵群は、中国南西部の国境地域にある険しい崖に位置する38ヶ所の岩絵遺跡からなります。これらの岩絵は、駱越(らくえつ)族の人々の生活や儀式の様子を描いています。制作時期は、紀元前5世紀頃から紀元後2世紀にかけての長期にわたると推定されており、人物像が描かれていることが多く、その活気ある精神的および社会的な生活を鮮やかに伝えています。この岩絵は、伝統を物語る唯一の証人となっています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2016年 / 登録基準: (iii)(vi)
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サナアの旧市街

Old City of Sana'a
サナアの旧市街
イエメンの首都サナアは中世アラビア都市の様子を現代に伝える城塞都市です。紀元前10世紀頃から乳香交易で繁栄しました。多くの建築物は400~500年前に建造されたものですが、7世紀にムハンマドが建設させたといわれる大モスクのように1000年以上の建造物も数多く残っています。旧市街は6000棟以上の高層住宅が特徴で、鉄筋を一切使わず建設されており、壁面は化粧漆喰で装飾され、サナア特有の風景を引き立てています。
地域: 西・南アジア / 国名: イエメン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (iv)(v)(vi)
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砂漠の城クセイル・アムラ

Quseir Amra
砂漠の城クセイル・アムラ
ヨルダン東部の砂漠地帯に8世紀初頭に隊商宿を増改築して建設されたウマイヤ朝時代の離宮の跡です。ここには謁見の間(応接ホール)とハンマームと呼ばれる浴場施設が非常に良好な状態で残されており、いずれも当時の世俗的な題材による絵画で飾られています。謁見の間の床はモザイクタイルで覆われ、天井には神話や踊り子などのフレスコ画が描かれています。浴場施設は脱衣所や温・冷水浴室の他にカルダリウムと呼ばれるサウナのような施設もあり、そこにはイスラム社会では珍しい裸婦や異教世界の図柄も見られます。また、半球形のドーム天井には平面以外に描かれたものとしては最古の現存する天文図があります。この施設は、カリフが居住するというだけでなく、この地の部族との交流を目的にしたものであることから、娯楽的・世俗的な要素も包含した、イスラム建築としては独特なものとなっています。
地域: 西・南アジア / 国名: ヨルダン・ハシェミット王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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ザビードの歴史地区

Historic Town of Zabid
ザビードの歴史地区
ザビードはイエメン西部、紅海沿いにある古都です。820年、反乱鎮圧のため、アッバース朝の総督だったムハンマド・イブン・ズィヤードがこの地に派遣されてきたことを機に発展しました。13~15世紀の最盛期には200以上のマドラサ(高等教育施設)やモスクが林立。イスラム学者により大きく発展していた科学などを学ぼうとする学生を世界中から受け入れました。今もザビードにはイエメン最多の86のモスクが集中しています。多くは簡素なレンガ造りですが、中には精巧な彫刻や漆喰の装飾が施されたものもあります。スークに囲まれた大モスクやマドラサなど、かつての名声を偲ばせる建造物が多数原型をとどめており、それがこの都市を卓越した考古学的・歴史的遺産にしているのです。
地域: 西・南アジア / 国名: イエメン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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サラマンカの旧市街

Old City of Salamanca
サラマンカの旧市街
スペイン西部に位置するサラマンカは、2,000年以上の歴史をもつ都市であり、イベリア半島でも有数の文化遺産が存在します。街の南西を流れるトルメス川に架かる古代ローマ時代の橋をはじめ、12世紀に完成したロマネスク様式の旧大聖堂やサン・マルコス教会、16世紀完成のサリナ宮殿やモンテレイ宮殿などがその歴史を物語っています。特に18世紀に完成したマヨール広場は、スペインで最も壮麗なバロック様式の広場と謳われています。旧市街とその周辺には、ロマネスク様式からゴシック、ルネサンス、バロックに至るまでの宗教建築が点在し、都市全体が歴史的景観を形成しています。また、旧市街の建造物の多くは微少の酸化鉄を含んでおり、その影響で陽光を受けると旧市街全体が金色に輝いて見えることから、「ラ・ドラーダ(黄金都市)」の異名でも知られています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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サラン・レ・バン大製塩所からアルケ・スナン王立製塩所までの天日塩生産所

From the Great Saltworks of Salins-les-Bains to the Royal Saltworks of Arc-et-Senans, the Production of Open-pan Salt
サラン・レ・バン大製塩所からアルケ・スナン王立製塩所までの天日塩生産所
サラン・レ・バンの製塩所の歴史は中世以前にさかのぼります。近郊の地下水では、古くから高い濃度の塩分が確認されていました。13世紀に建てられた地下坑道や、19世紀に作られた今も稼働中の水圧ポンプ、井戸施設、地上の塩倉庫、旧住居など製塩にかかわった建造物が残り、世界遺産を構成しています。製塩所は、1962年に操業を停止するまで、少なくとも1,200年間稼働していました。1780年から1895年にかけては、その塩水が木製パイプを通り、21kmの木製パイプでアルケ・スナン王立製塩所へと運ばれていました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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サルヴァドル・デ・バイアの歴史地区

Historic Centre of Salvador de Bahia
サルヴァドル・デ・バイアの歴史地区
サルヴァドル・デ・バイアは、1549年から1763年までブラジルの初代首都であり、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ先住民の文化が融合した都市です。​特に1558年からは、新世界初の奴隷市場が設けられ、サトウキビプランテーションでの労働力として多くのアフリカ人が連れてこられました。​この歴史的背景は、現在のサルヴァドルの文化や社会に深く影響を与えています。
地域: 南米 / 国名: ブラジル連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (iv)(vi)
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ザルツブルクの歴史地区

Historic Centre of the City of Salzburg
ザルツブルクの歴史地区
ドイツとの国境近くに位置するザルツブルクの都市名は、ドイツ語で「塩の城」を意味します。紀元前から岩塩の採掘がはじまり、その交易によって街は次第に栄えていきました。ザルツブルクでひときわ目立つ丘の上には、ホーエンザルツブルク城があります。この城は、11世紀にローマ教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が激しい闘争(叙任権闘争)をしている中で、ローマ教皇側を支持した当時の大司教が、神聖ローマ帝国の侵攻から逃れるため造った城です。以後、歴代の大司教が敵の侵入を阻むために防塁などを増築し、城塞となりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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サンクト・ペテルブルクの歴史地区と関連建造物群

Historic Centre of Saint Petersburg and Related Groups of Monuments
サンクト・ペテルブルクの歴史地区と関連建造物群
ロシアの西にある大都市サンクト・ペテルブルクは、バロック建築や新古典主義建築などの文化や芸術を取り入れた、モスクワに次ぐロシア第二の都市です。1918年まではロシアの首都として機能していました。サンクト・ペテルブルクの名は、ドイツ語で「聖ペテロの街」を意味し、ピョートル大帝の名前にも意味がかけられています。第一次世界大戦時にはロシア語風の「ペテログラード」と呼ばれ、ロシア革命後は「レニングラード」と名を変えました。ソ連崩壊前後に再びサンクト・ペテルブルクとなった歴史があります。同じロシアのオデッサ(オデーサ)やセヴァストポリもサンクト・ペテルブルクにならった街づくりが行われました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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サン・サヴァン・シュール・ガルタンプの修道院教会

Abbey Church of Saint-Savin sur Gartempe
サン・サヴァン・シュール・ガルタンプの修道院教会
フランス西部、現在のヌーヴェル・アキテーヌ地域圏に位置するサン・サヴァン・シュール・ガルタンプの修道院教会は、11世紀末から12世紀初頭にかけて制作された大規模な壁画装飾で知られています。修道院の起源については、伝承によるとカロリング朝のカール大帝の時代に遡り、西方修道制の改革者として知られるアニアヌのベネディクトゥスによって創建、あるいは再興されたと伝わります。9世紀ごろには修道院の勢力は拡大し、地域のキリスト教化において重要な役割を果たす存在となりました。現在見られるロマネスク様式の教会は11世紀に再建されたもので、宗教戦争後の17世紀後半には修道院の大規模な再建プロジェクトが実施されました。この修道院教会の名声は、とりわけ11世紀末から12世紀初頭にかけて制作された、壁画装飾によって確立されたものと言えるでしょう。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(iii)
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ザンジバル島のストーン・タウン

Stone Town of Zanzibar
ザンジバル島のストーン・タウン
ザンジバル島の西側にあるストーン・タウンは、東アフリカにあるスワヒリ沿岸交易都市の優れた例です。この街は都市の構造や景観をほぼ完全な形で保っており、アフリカ、アラブ地域、インド、ヨーロッパなどの文化の要素を、千年以上にわたって融合させ、独自の文化を形成してきた多くの素晴らしい建造物が含まれます。なお「ザンジバル」とは、ペルシア語で「黒人の海岸」を意味する言葉に由来しています。
地域: アフリカ / 国名: タンザニア連合共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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サン・ジミニャーノの歴史地区

Historic Centre of San Gimignano
サン・ジミニャーノの歴史地区
サン・ジミニャーノはイタリアのトスカーナ地方を流れるエルサ川の渓谷を見下ろす小高い丘の上にあります。この地では、染め物の原料として珍重されたアヤメ科の多年草であるサフランの生産が盛んでした。さらに、フィレンツェやシエナとローマを結ぶ街道の中継地に位置し、大いに繁栄したことで12世紀末に自由都市として独立しました。しかしその後、皇帝派と教皇派の二つのグループに分かれて内部抗争が起き、さらにペストの流行により街は大打撃を受けて、14世紀にはフィレンツェの支配下に入り街は衰退しました。そのため、サン・ジミニャーノの街の景観はほとんど変わることがなく、中世の街並みがそのまま残されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院

Royal Monastery of Santa María de Guadalupe
サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院
スペイン西部、山々に囲まれた渓谷を見下ろす美しい街グアダルーペにある『サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院』は、スペインにおけるマリア信仰の中心地です。ここには、聖人ルカが1世紀に彫ったとされる黒い木彫りの聖母像(マリア像)が祀られています。8世紀、イスラム勢力から逃れたキリスト教徒が水辺に聖母像を隠しました。13世紀後半に聖母像が発見されると、その場所に教会が建てられます。一連の噂は時のカスティーリャ王アルフォンソ11世の耳に届き、この地へ訪れると教会は拡張されました。その後も4世紀にわたって増改築が繰り返され、現在ではムデハル様式、ゴシック様式の回廊を含む、多種多様な建築様式を持つ8つの主要建造物が王立修道院を構成しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (iv)(vi)
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サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)

Santiago de Compostela (Old Town)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)
スペイン北西部、ガリシア地方の都市「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」はキリスト教三大巡礼地のひとつとして知られています。この地はかつて8〜10世紀に栄華を誇ったアストゥリアス王国の領土でした。イエス・キリストの愛弟子であるサンティアゴ(聖ヤコブのスペイン名)の遺骸が発見されたという噂から、9世紀初頭に当時の王アルフォンソ2世によって聖ヤコブをまつる聖堂が築かれます。この地はキリスト教において重要な巡礼地のひとつとなりますが、キリスト教徒とイスラム教徒との激しい争いの場にもなりました。997年にはアル・マンスールによって聖堂や市街が破壊されます。しかし、翌11世紀に街が再建されると、現在まで残る聖ヤコブの眠る聖堂が建造され、再びキリスト教の重要な巡礼地として名を馳せていきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道

Routes of Santiago de Compostela: Camino Franc?s and Routes of Northern Spain
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道
「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラにある聖ヤコブの棺を目指す、キリスト教の巡礼路です。1993年に、ピレネー山脈からスペイン北部を東西に貫く巡礼路が、世界遺産に登録されました。「サンティアゴ」とは、スペイン語で、キリスト教の使徒のひとりである聖ヤコブのこと。聖ヤコブがスペインにおいて福音を説いたという伝説は、7世紀初頭には存在していました。「使徒の休む場所は、福音を説いた場所にあるべきである」という聖ヒエロニムスの教えがあることから、聖ヤコブの遺体は、殉教地のエルサレムからスペインに移送されたと信じられていました。9世紀に聖ヤコブの墓が発見されると、この報せが西ヨーロッパの各地に広がり、サンティアゴ・デ・コンポステーラはエルサレム、ヴァティカンに次ぐ聖地としてカトリック世界に定着していきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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サンフランシスコ山地の洞窟壁画

Rock Paintings of the Sierra de San Francisco
サンフランシスコ山地の洞窟壁画
サンフランシスコ山地の洞窟壁画は、バハ・カリフォルニア半島、エル・ビスカイノ生物圏保護区内に位置する、世界有数の岩絵が残る遺跡です。岩絵は紀元前1100~後1300年ごろまでこの地域に暮らしていた先住民によって描かれ、スペインの植民地以前の歴史を残す重要な場所でもあります。岩絵は非常に良好な状態で残っており、人間や動植物が写実的に描かれていると同時に、抽象的な絵も赤や黄色、オレンジ、白、黒など天然素材から生成された顔料で色彩豊かに描かれています。一部の壁画は非常に高い位置や岩の張り出し部分に描かれ、その巨大さが強調されているなど、さまざまな技法が用いられています。さらに洞窟内には顔料を混ぜるためのパレットとして使用されたと考えられる、岩の窪みなども残っています。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (i)(iii)
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サンボー・プレイ・クックの寺院地区:古代イシャナプラの考古遺跡

Temple Zone of Sambor Prei Kuk, Archaeological Site of Ancient Ishanapura
サンボー・プレイ・クックの寺院地区:古代イシャナプラの考古遺跡
サンボー・プレイ・クックの寺院地区は、カンボジア中央部コンポントム州 に6世紀後半から7世紀前半にかけて栄えた真臘国(チャンラ王国)の都イシャナプラと呼ばれた場所にあります。イシャナプラはスタン・セン川やオー・クル・ケー川が流れる平野にあり、インドと中国とを結ぶ海上交易路の要所であったため、商業だけでなく宗教の中心地としても発展しました。サンボー・プレイ・クックという名前は、クメール語で「豊かな森の寺院」という意味で、7世紀初めに即位したイシャナヴァルマン1世は、この地に多くのヒンドゥー教の寺院が建てました。これらの寺院はアンコール・ワットよりも古く、プレ・アンコール期とされるクメール建築が生まれた初期の特徴がみられます。「空中宮殿(フライング・パレス)」や「怪魚マカラ」など遺跡に残る砂岩の彫刻は、サンボー・プレイ・クック様式と呼ばれています。100以上ある寺院遺跡の多くはレンガ造りで、そのうち10の寺院は東南アジアでは珍しい八角形の祠堂を持っています。約2㎞四方の環濠に囲まれた都城の中には、寺院だけでなく、水路や溜池などの水利施設、古い道などが残されています。しかし、これら遺跡の多くは熱帯の植物に覆われて倒壊の危機に瀕しており、修復・保存への取り組みが国際的協力のもとで進んでいます。
地域: 東・東南アジア / 国名: カンボジア王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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サン・ミリャン・ユソとスソの修道院群

San Millán Yuso and Suso Monasteries
サン・ミリャン・ユソとスソの修道院群
スペイン北部にあるユソとスソの2つの修道院は、守護聖人ミリャンゆかりのキリスト教建築です。6世紀、聖人ミリャンが丘の上(スソ)に修行場をつくったことで巡礼地となりました。10世紀になると、修行場付近にロマネスク様式の美しいサン・ミリャン・デ・スソ修道院が建てられます。一方、丘の下(ユソ)では11世紀にサン・ミリャン・デ・ユソ修道院が建設されました。その後に破壊されたため16世紀に再建され、現在の姿となっています。2つの修道院では、ロマネスク様式、モサラベ様式、バロック様式などの複数の建築要素を見ることができるのも特徴のひとつです。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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シェーンブルン宮殿と庭園

Palace and Gardens of Schönbrunn
シェーンブルン宮殿と庭園
元は王室の狩猟場であったこの地に、神聖ローマ帝国のレオポルト1世が夏の離宮の造営を決意したのが17世紀末でした。彼の子であるカール6世は、この宮殿をあまり好いていなかったため、宮殿は長らく放置されたようですが、カール6世の子であるマリア・テレジアが即位すると、この宮殿を大改築していきます。マリア・テレジアは当時、ピンクであった建物の壁を全て黄色に変えて、外観を重厚なバロック様式に統一する一方で、内観は繊細で優雅なロココ様式に統一しました。この黄色は「マリア・テレジア・イエロー」と言われており、今もウィーンの人々から愛されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(iv)
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シエナの歴史地区

Historic Centre of Siena
シエナの歴史地区
トスカーナの丘陵地帯に位置するシエナは、中世の雰囲気を今に伝える都市です。この街は、ローマの建国神話に登場するロムルスとレムスの双子の兄弟のうち、兄のロムルスに敗れたレムスの息子のセニウスとアスキウスが築いたとされています。12世紀に市民による政治共同体である「コムーネ」が成立すると、ローマにつながるフランチジェナ街道から近いこともあり、商業や金融業などで発展しました。15世紀末には今も活動する世界最古の銀行であるモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行も創業されます。同じくコムーネによる自治を行うフィレンツェとは、トスカーナ北部の領地や商業利権など巡るライバル関係にありました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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鹿石と関連する青銅器時代の遺跡群

Deer Stone Monuments and Related Bronze Age Sites
鹿石と関連する青銅器時代の遺跡群
モンゴル中央部のハンガイ山脈の周辺には、紀元前1,200~前600年頃に建造されたと考えられる鹿石と呼ばれる巨石記念物とその周辺の祭祀跡からなる複合的な記念碑があります。ユーラシアの草原地帯では約1,500基もの鹿石が発見されており、その80%以上がモンゴルで発見されています。鹿石は概ね3つのタイプに分類されますが、そのうちのモンゴルタイプに分類されるものは様式化された牡鹿の像が刻まれているのが特徴で、大きなものは高さ4mにも及びます。このうち、世界遺産にはホイド・タミール、ジャルガランティン・アム、ウルティン・ヴラグ、オーシギーン・ウブルの4つの遺跡が登録されています。主として、鹿石、ヘレクスル(中央の丸い石塚と周辺の円形もしくは方形の石囲いを持つ積石塚)、生け贄の祭壇、人や馬の骨などで構成されており、いずれも後期青銅器時代の遊牧民族の葬送文化を知る上で貴重な遺跡とされています。
地域: 東・東南アジア / 国名: モンゴル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (i)(iii)
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始皇帝陵と兵馬俑坑

Mausoleum of the First Qin Emperor
始皇帝陵と兵馬俑坑
中国・陝西省西安近郊にある始皇帝陵は、紀元前3世紀に中国を初めて統一した秦の始皇帝の墓です。陵墓は高さ約51mの角錘台型の墳丘を中心に、東西 580m、南北1,355mの内城と、東西940m、南北2,165m の外城の二重の城壁で囲まれています。建設は即位直後の紀元前246年に始まり、死去までの数十年をかけて築かれました。『史記』によれば、全国から数十万人もの労働者が動員され、地下には壮大な「都市」が造られたと伝えられます。陵墓のある一帯は兵馬俑坑などを含めると約56㎢におよび、その規模と設計は古代中国の中央集権体制と権力を象徴するものとして、後世に大きな影響を与えました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)(vi)
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シダーデ・ヴェーリャ、リベイラ・グランデの歴史地区

Cidade Velha, Historic Centre of Ribeira Grande
シダーデ・ヴェーリャ、リベイラ・グランデの歴史地区
アフリカ西部セネガルの西方沖合の大西洋に浮かぶ島国カーボ・ヴェルデには、15世紀半ばにポルトガルが建設した植民都市リベイラ・グランデがあります。1494年のスペインとのトルデシリャス条約により、アフリカにおける交易の独占権を得ていたポルトガルはここに交易の拠点として、ヨーロッパ諸国としては初の熱帯地域における植民都市を建設しました。しかし、その交易による富を狙って、他のヨーロッパ諸国から度々攻撃を受けることになり、要塞(サン・フェリペ要塞)も造られました。一方で文化の面では、植民政策や奴隷貿易の拠点であったことから、各地の文化が混ざり合い「クレオール文化」といわれる文化が花開きました。18世紀以降、都市は荒廃し「古い町」という意味のシターデ・ヴェーリャと呼ばれることになります。
地域: アフリカ / 国名: カーボヴェルデ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2009年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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ジッダの歴史地区:メッカの入口

Historic Jeddah, the Gate to Makkah
ジッダの歴史地区:メッカの入口
ジッダは紅海に面したサウジアラビア西部にある港町で、イスラム教の聖地として知られるメッカへの巡礼へと向かう玄関口です。7世紀に、第3代正統カリフのウスマーン・イブン・アッファーンが約70km東にあるメッカの外港として整備したことで巡礼者が多く訪れるようになり、中東だけでなく、アフリカやアジアのイスラム教徒が居住し、国際都市として繁栄していきました。異なる文化が背景にありながらも同じ宗教を信奉する人たちが集うことで、自然と文化の交流が生まれました。
地域: 西・南アジア / 国名: サウジアラビア王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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シドニーのオペラハウス

Sydney Opera House
シドニーのオペラハウス
オーストラリアのシドニー湾に突き出た半島の先端ベネロング・ポイントに、1973年に建設されたコンサート・ホールとオペラ劇場他の複合施設です。国際的な設計コンペティションが行われ、選ばれたのはデンマーク人の建築家ヨーン・ウッツォンの設計案でした。白い貝殻を重ねたような彼の斬新なデザインは当時は奇異の目で見られたこともありましたが、いまでは「20世紀建築の傑作」と称されています。現代技術を駆使して建設されたこのオペラハウスは、創造性と革新性を兼ね備えた20世紀の偉大な建築作品であると言えます。
地域: オセアニア / 国名: オーストラリア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (i)
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シベニクの聖ヤコブ大聖堂

The Cathedral of St James in Šibenik
シベニクの聖ヤコブ大聖堂
クロアチア南西部ダルマチア地方の沿岸部のシベニクには、15世紀前半から16世紀にかけて建造された聖ヤコブ大聖堂があります。ゴシック様式からルネサンス様式への過渡期であるこの時期は、北イタリアやトスカーナ地方との芸術交流が盛んであったため、その交流の影響を如実に物語るものとなっています。建造には3名の建築家が受け継いで担当し、ゴシックとルネサンスが見事に融合したヨーロッパ有数の大聖堂となりました。20世紀後半のユーゴスラビア内戦で大きな被害を受けましたが、現在は完全に修復されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: クロアチア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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シャーロットヴィルのモンティチェロとヴァージニア大学

Monticello and the University of Virginia in Charlottesville
シャーロットヴィルのモンティチェロとヴァージニア大学
アメリカ独立宣言の起草者であり、合衆国第3代大統領であるトマス・ジェファソン(1743〜1826)は、新古典主義建築に秀でた才能を有する建築家でもありました。彼は、自身のプランテーションであるモンティチェロと、その約8km北西に位置するシャーロットヴィルにヴァージニア大学を設計しました。ヴァージニア大学は、ジェファソンが理想とした教育理念を実現するために創設されたもので、独特のU字型平面プランを特徴としています。中心にはロタンダが据えられ、南側にはパビリオン、ホテル、学生用の居室、庭園などが整然と配置されています。これらの建築群は、自然環境との調和、機能主義と象徴主義の融合を通じて、新古典主義建築の優れたかつ個性的な例といえます。古典および当時の建築様式を綿密に研究した成果が随所に表れており、ジェファソンが描いた新しいアメリカ合衆国の理想像を色濃く反映しています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
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