World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(vi))

日光の社寺

Shrines and Temples of Nikko
日光の社寺
『日光の社寺』は、栃木県の豊かな自然の中に位置する「二荒山神社」「東照宮」「輪王寺」の二社一寺と、それらに付随する103棟の建造物から構成されています。うち9棟が国宝、94棟が重要文化財に指定されており、17世紀を中心とする宗教建築と装飾美術の粋が凝縮されています。社寺群は山の斜面に巧みに配置され、自然景観との調和によって独自の美しさを実現しています。この場所は、長きにわたって信仰が守られてきた証であり、各社寺をめぐることで、信仰と芸術が融合した空間の奥深さを体感することができます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
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ニュー・ラナーク

New Lanark
ニュー・ラナーク
英国スコットランドのグラスゴーの南にある美しい渓谷に綿紡績工場を中心とした村があります。紡績工場は1785年の設立で、リチャード・アークライトが開発した水力紡績機を導入し、品質の向上と大量生産を可能にしました。紡績工場や付属設備の他に、工場労働者のための住宅や諸施設があります。ここを建設したのは実業家のデヴィッド・デイルで、その娘婿のロバート・オーウェンの人道主義思想を取り入れ、数々の労働者福祉の施設を設けました。
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ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで

Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで
エジプトの最南部からスーダン北部にかけてのナイル川沿いのヌビア地方は、アフリカ奥地との交易の中継地として栄え、紀元前1500年以降のエジプト新王国時代には多くの建築物が建てられました。しかし、1959年にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が発表されると、遺跡群が水没してしまうことになり、ユネスコが世界に向け「遺跡救済キャンペーン」を展開することとなりました。その結果、多くの国からの支援でアブ・シンベル神殿他20件以上の移築が進み、多くの遺跡が水没から救われました。この時の「人類共通の宝物」という概念が、後の世界遺産誕生のきっかけとなりました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
アフガニスタン北東部に位置するバーミヤン渓谷には、1世紀から13世紀頃にかけて築かれた、約1,000基におよぶ石窟寺院からなる一大仏教遺跡群が存在しています。この地はインド、中央アジア、西アジアを結ぶ交通の要衝であり、交易の中継地として栄えました。 バーミヤンは、さまざまな宗教や民族が交差する「文明の十字路」であり、遺跡群からは、かつてギリシア人がアム川流域に建国したバクトリア王国固有の芸術や宗教が、インド、ギリシア、ササン朝などの文化と融合し、やがてガンダーラ仏教美術へと変遷していった様子をうかがうことができます。仏教が中央アジアへと伝播し、隆盛を極めたことを示す貴重な遺跡です。
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ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群

Bahá’i Holy Places in Haifa and the Western Galilee
ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群
バハイ教の2大聖地であるイスラエル北部のハイファと西ガリラヤ地方のアッコ周辺には多くの聖地が点在しています。一神教であるバハイ教は、イスラム教から派生したバーブ教を前身として19世紀に発祥しました。世界中から訳500万人もの信者を集めるバハイ教ですが、毎年、聖地巡礼を目的に訪れる人が絶えません。また、世界遺産としては26の構成資産が登録されています。アッコにある創始者バハウッラーの霊廟や、ハイファのバーブ教の祖であるバーブ(サイイド・アリー・ムハンマド)の霊廟をはじめ、様々な建物や記念碑が点在しています。さらに、ハイファの万国正義院は近代的な新古典主義様式が特徴の建物として知られています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (iii)(vi)
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パパハナウモクアケア

Papahānaumokuākea
パパハナウモクアケア
パパハナウモクアケアは、ハワイ諸島の北西250〜1931kmの広範囲に連なる小島と環礁からなる、広大かつ孤立した島嶼群に付けられた名称です。総面積は約362,075?におよび、世界最大級の海洋保護区の一つとされています。この地域は、比較的静止したホットスポットと安定したプレート運動の結果として形成された海山列を示す好例であり、ハワイ・エンペラー海山列の大部分を占めています。世界最長かつ最古の火山列の大半を構成するパパハナウモクアケアは、プレートテクトニクス理論およびホットスポットに関する理解を形成する上で、極めて重要な役割を果たしてきました。地質学的にはハワイ火山国立公園と密接に関連しており、ホットスポット火山活動の重要な証拠を共有しています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 2010年 / 登録基準: (iii)(vi)(viii)(ix)(x)
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バビロン

Babylon
バビロン
バグダードの南約85kmに位置する『バビロン』は古代世界で最も強い影響力を持った帝国が存在したことを示す遺跡です。「バビロン」の名は古代アッカド語で「神の門」という意味の言葉に由来します。この地が最初に歴史に登場するのは紀元前23世紀ごろの古代アッカド帝国時代に遡ります。紀元前19世紀ごろに「ハンムラビ法典」で知られる古バビロニア王国(バビロン第1王朝)が興り、ここを首都としました。その後ヒッタイトやアッシリアなどの支配を受けますが、紀元前7世紀に新バビロニア王国その都となりました。「ユダヤ人のバビロン捕囚」で有名なネブカドネザル2世の時代には、当時の世界でもっとも人口の多い繁栄した都市であったと伝わっています。その後のペルシャ帝国やアレクサンダー大王の時代にも繁栄は続きましたが、7世紀のイスラム勢力の侵攻による破壊以降衰退し、10世紀以降は打ち捨てられました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラク共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (iii)(vi)
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バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」

Cultural Landscape of Bali Province: the Subak System as a Manifestation of the Tri Hita Karana Philosophy
バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」
インドネシアのジャワ島の東に浮かぶバリ島には、湖、寺院、そして優れた灌漑システムを持つ棚田景観など5つの地域で構成された世界遺産があります。それらは、神、人、自然の調和を表す文化的景観として登録されました。5つの構成資産のなかで、「バトゥール湖」は泉や川の起源である女神が住むとされていて、「ウルン・ダヌ・バトゥール寺院」は、湖の水の女神を祀っています。そして、バリ島最大規模の「タマン・アユン寺院」は、水を司る王立寺院とされています。このように、バリでは水に関わる遺産が見られます。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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バレッタの市街

City of Valletta
バレッタの市街
街全体が世界遺産のバレッタは地中海に浮かぶ島国・マルタ共和国の首都です。真っ青な海の上には、ハチミツ色に輝くマルタ石でできた建物が目立ちます。ここは16世紀に、聖ヨハネ騎士団が新たな拠点とした城塞都市です。聖ヨハネ騎士団は、第1回十字軍の時代に成立しました。彼らは地中海で活躍し、ロドス島を拠点としていましたが、オスマン帝国の進出により、そこから撤退せざるを得なくなり、1530年、マルタ島に拠点を移します。1565年のマルタ大包囲戦でオスマン帝国に勝利すると、翌年から街の建設を始めました。街は、当時の聖ヨハネ騎士団団長のジャン・パリソー・ド・ラ・バレッテの名前に由来します。 
地域: ヨーロッパ / 国名: マルタ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1980年 / 登録基準: (i)(vi)
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パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会修道院と周辺の自然環境

Millenary Benedictine Abbey of Pannonhalma and its Natural Environment
パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会修道院と周辺の自然環境
996年に創建された大修道院は、ハンガリー最古の修道院であり、中世の中央ヨーロッパにおけるキリスト教の普及に大きな役割を果たしました。現在の教会は1224年に再建されたものですが、その後も増改築が繰り返されたため、ロマネスク様式やゴシック様式、新古典様式などが混在する建造物となっています。三廊式の聖歌隊席は、この建物で最も古い部分とされ、その下にある同じく三廊式の地下聖堂は再建以前の遺構と考えられています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ハンガリー / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (iv)(vi)
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万里の長城

The Great Wall
万里の長城
『万里の長城』は、紀元前3世紀から17世紀まで、約2,000年にわたって築かれた中国最大の防衛施設です。総延長は2万kmを超え、河北省・山海関から甘粛省・嘉峪関まで、広大な範囲におよびます。構造は、城壁、望楼、馬道、狼煙台、関所など多様な構造からなり、地域や時代ごとに用いた素材や建築技術が異なります。特に明代には、煉瓦を用いた高度な技術が導入され、堅固な長城が形成されました。世界遺産として登録されているのは、保存状態が良好な「八達嶺」「山海関」「嘉峪関」の3つの主要なエリアです。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ピサのドゥオーモ広場

Piazza del Duomo, Pisa
ピサのドゥオーモ広場
イタリアのトスカーナ地方にあるドゥオーモ広場は、11~14世紀にかけて建設された世界的に有名な建築が残っています。広場は「ミラコリ広場」とも呼ばれます。これは、イタリアの小説家ダヌンツィオがこの広場を訪れた際に広場の風景に感嘆して「ミラコリ広場(奇跡の広場)」と称したことに由来します。広場にはヨーロッパ中世の建築様式を代表する大聖堂や洗礼堂、斜塔(ピサの斜塔)、カンポサント(墓地)があります。 
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-

Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land
平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-
平泉は東北地方の奥州に位置し、11~12世紀に栄えた、短命ながらも華やかな都でした。山々や池を巧みに取り入れた4つの浄土庭園は、極楽浄土の理想を現実に映し出す美しい景観で、仏の教えによる理想の世界「仏国土」を空間として表現しています。また、当時は仏の教えが衰えるとされる「末法の時代」と考えられていたことから、浄土への強い願いが込められていました。金鶏山を中心とした自然との調和も見どころで、日本の庭園文化の真髄を味わえる貴重な場所です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (ii)(vi)
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広島平和記念碑(原爆ドーム)

Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)
広島平和記念碑(原爆ドーム)
原爆ドームは、1945年8月6日に広島に投下された人類史上初の原子爆弾によって被曝した建物です。爆心地からわずか西北約150mの至近距離で壊滅的な被害を受けながらも、中心部分は倒壊を免れ、今なお当時の姿をとどめています。この建物は核兵器の悲惨さを伝える象徴であり、核兵器廃絶と世界の恒久平和を願う平和記念碑として、国境を越えて半世紀以上にわたり平和の尊さを伝え続けています。毎年8月6日には、原爆慰霊碑の前で「平和記念式典」が行われ、原爆投下の時刻に合わせて黙とうが捧げられます。この式典では平和宣言が読み上げられ、未来に向けた核兵器廃絶の誓いが世界に向けて発信されます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (vi)
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フィレンツェの歴史地区

Historic Centre of Florence
フィレンツェの歴史地区
紀元前7世紀頃から、アルノ川周辺の浅瀬にエトルリア人が暮らし始めたと考えられるフィレンツェは、12世紀に自由都市になると手工業が発展し、アルノ川や街道をつかった交易で栄えました。中世に毛織物業や金融業を通して商工業者や銀行家が力をもつと、彼らは教会や封建領主による古い社会を打ち破る強い熱気と自由な気風で、人文主義(人間主義)を中心とした芸術や思想を生み出していきました。これがルネサンスです。13世紀以降にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やサンタ・クローチェ教会、現在のウフィッツィ美術館、ピッティ宮殿などが築かれ、15~17世紀に都市を支配したメディチ家の下でルネサンス都市としての地位を確立していきました。世界遺産には、14世紀にアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したとされる市壁内の歴史地区が登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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プエルト・リコの要塞とサン・フアン国立歴史地区

La Fortaleza and San Juan National Historic Site in Puerto Rico
プエルト・リコの要塞とサン・フアン国立歴史地区
プエルト・リコ島は、カリブ海の大アンティル諸島の最東端に位置しており、サン・フアン国立歴史地区には、スペイン統治時代の堅固な要塞と美しい町並みが残されています。16世紀初頭にスペイン人がこの地に入植して間もなく、広大な植民地が新大陸に形成され、プエルト・リコはその玄関口として機能するようになりました。スペインはこの貴重な島を250年以上かけて要塞化し、約400年にわたって精力的に防衛・支配を続けました。「豊かな港」を意味する「プエルト・リコ」の名の由来となったサン・フアン港の要塞群は、この地がいかに戦略的に重要であったかを如実に物語っています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (vi)
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富士山─信仰の対象と芸術の源泉

Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration
富士山─信仰の対象と芸術の源泉
標高3,776mの日本最高峰である富士山は、独立した成層火山であり、山腹の傾斜は標高が高くなるにつれて勾配を増す、類まれな美しい円錐形をしています。山麓には、繰り返し流れ出た溶岩によって何層にもわたる溶岩層が堆積し、周辺には広大な裾野が広がっています。海面から山頂まで傾斜が連続する成層火山としては、世界有数の高さを誇ります。約1万年前、それまで存在していた古富士火山の北西山腹付近から流れ出した溶岩が古富士火山を完全に覆い尽くしました。その後、約5,600年から3,500年前にかけて、ほぼ現在の姿が形成されました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (iii)(vi)
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ブッダガヤの大菩提寺

Mahabodhi Temple Complex at Bodh Gaya
ブッダガヤの大菩提寺
今から2,500年ほど前、釈迦(本名:ゴータマ・シッダールタ)はここブッダガヤの地の菩提樹の下で瞑想しているときに悟りを開き「仏陀」となりました。「仏陀」とは「悟りを開いた人」という意味です。ここにはその菩提樹の子孫であるといわれる大きな菩提樹の木があります。紀元前3世紀、古代インドのマウリア朝のアショーカ王は深く仏教に帰依し、この瞑想場所の「金剛宝座(仏座)」を整備し、「欄楯(らんじゅん)」と呼ばれる石造の囲いで周りを囲いました。菩提樹と金剛宝座は、仏教における最高の聖跡とされ、世界中から巡礼者が集まります。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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仏陀の生誕地ルンビニー

Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha
仏陀の生誕地ルンビニー
仏教の開祖であるガウタマ・シッダールタ(ブッダ)は、紀元前623年(生年については諸説あり)、カピラヴァストゥの王妃であったマーヤー(マーヤーデヴィ)が首都ティラウラコットから実家のあるデーヴァダーハへの里帰りの途中にあった、ルンビニーの庭園で夫人の右脇から生まれたとされています。この地は、ブッダの生誕地として仏教の重要な巡礼地の一つとされ、初期には中国から法顕(4世紀)や玄奘(7世紀)らもその巡礼の記録を残しています。しかし、15世紀以降は巡礼地として仏教徒が訪れることはなくなり、寺院は荒廃し廃墟となっていました。時代が下って、1896年にドイツ人考古学者のフューラーが地元の知事であったカドガ・シャムシェルとともにこの地を訪問し、埋もれていた石柱に古代のブラーフミー文字の碑文を発見しました。碑文の発見によって、この地がブッダの生誕地のルンビニーであることが確認されました。
地域: 西・南アジア / 国名: ネパール / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (iii)(vi)
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ブハラの歴史地区

Historic Centre of Bukhara
ブハラの歴史地区
ウズベキスタン南部、サマルカンドの西200km、ザラフシャン川下流域にある歴史あるシルク・ロードのオアシス都市です。ブハラという名はサンスクリット語の「僧院(ビハーラ)」が由来といわれています。紀元前5世紀にはすでにシルク・ロードの要塞都市となり、交易の民ソグド人の都市国家がありました。その後8世紀にイスラム勢力がここを支配し、サーマーン朝やカラハン朝、ホラズム・シャー朝といったイスラム王朝の首都として繁栄しました。今も残るイスマーイール廟はこの時期の建物で中央アジアに現存する最古のイスラム建築です。
地域: 西・南アジア / 国名: ウズベキスタン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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プラド通りとブエン・レティーロ:芸術と科学の景観

Paseo del Prado and Buen Retiro, a landscape of Arts and Sciences
プラド通りとブエン・レティーロ:芸術と科学の景観
マドリードの都市中心部に位置するプラド通りとブエン・レティーロは、スペイン帝国最盛期にユートピア社会を目指した「知識の民主化」という啓蒙思想に結びついた文化的景観です。全長約1kmのプラド通りは、16世紀にヨーロッパの都市で最初に築かれた並木道として知られています。その他にも、アポロの噴水、ネプチューンの噴水、シベレスの噴水などの街のシンボルとなる大型噴水や樹木の設置、道路整備、市街地開拓と市民の憩いの場所として都市環境が整備されてきました。さらに通り沿いにはプラド美術館、王立植物園、王立天文台が設置されるなど、文化・科学・自然がひとつの街に共存しています。このようなプラド通りとブエン・レティーロのまちづくりはスペイン国内やラテンアメリカの多くの都市のモデルとなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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プラハの歴史地区

Historic Centre of Prague
プラハの歴史地区
チェコ中西部に位置する首都プラハは、人口約130万人を擁するヨーロッパでも有数の大都市です。街のほぼ中央、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の両岸に、ヨーロッパ屈指の美しさを誇る歴史地区があります。プラハの起源は、6世紀後半にスラヴ民族がヴルタヴァ川沿いに集落を築いたことにさかのぼります。7世紀には丘の上に砦が建てられ、都市としての形成が始まりました。9世紀後半頃、ヴルタヴァ川左岸にプラハ城の前身の城塞が、10世紀には右岸にヴィシェフラト城が建造され、2つの建造物に挟まれた区域が発展していきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: チェコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

Routes of Santiago de Compostela in France
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
スペイン北西部に位置し、キリスト教の三大聖地の一つとされるサンティアゴ・デ・コンポステーラ。ヨーロッパ各地から巡礼者がこの地を目指す際には、フランスを通過することが多く、フランス国内を起点とする巡礼路がピレネー山脈を越えてスペインの聖地へと通じています。フランス国内には、「トゥールの道」「リモージュの道」「ル・ピュイの道」「トゥールーズの道」と呼ばれる4つの巡礼路があります。この4本の道の沿道にある建築物や遺跡と、「ル・ピュイの道」の7区間が世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ブリュージュの歴史地区

Historic Centre of Brugge
ブリュージュの歴史地区
ブリュージュの歴史地区は、羊毛の輸入で繁栄した貿易都市で、内陸にありながらいくつもの運河で結ばれている。1252年にハンザ都市となり、ヨーロッパで初となる証券取引所も誕生。運河やマルクト広場、街路などが中世の面影を残しており、​特に、ゴシック建築の聖母教会や市庁舎、鐘楼などは都市の象徴として重要な役割を果たしている。​これらの建築物は、商業と宗教の中心地としてのブリュージュの歴史を物語っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ベルギー王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ペルセポリス

Persepolis
ペルセポリス
ペルセポリスは、イラン南部シーラーズの北東約60kmにある世界屈指の考古遺跡です。建築、都市計画、建設技術、更に芸術の分野において、アケメネス朝ペルシアの傑作として知られるペルセポリスは、他に類を見ない、大帝国の繁栄の証を遺す考古遺跡のひとつです。紀元前6世紀、ペルシアのキュロス2世(大王)はメディア王国を滅ぼすとアケメネス朝を勃興し、近隣国を次々に征服します。続くカンビュセス2世の時代では古代オリエントを初めて統一し大帝国を築き上げました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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ボロブドゥールの仏教寺院群

Borobudur Temple Compounds
ボロブドゥールの仏教寺院群
『ボロブドゥールの仏教寺院群』は、ジャワ島中部にある仏教の石造遺跡群です。8〜9世紀にかけてシャイレンドラ朝によって建設されました。インドから伝播した仏教の流れは、主に東南アジア方面で広まった「上座部仏教」と、中国経由で日本にも伝わってきた「大乗仏教」に大別されますが、この遺産は大乗仏教の寺院遺跡です。王朝がわずか100年で滅亡すると、近くにあるムラピ山の火山灰に埋もれ、植物に覆われて忘れ去られていきました。それから約1,000年後の1814年、英国のジャワ総督代理とオランダ人技師により、密林の中から「発見」されました。最大規模のボロブドゥール寺院、ムンドゥー寺院とパウォン寺院から構成され、3つの寺院はほぼ東西一直線に並んでいます。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設

Monastery and Site of the Escurial, Madrid
マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設
エル・エスコリアール修道院は、マドリードの北、シエラ・デ・グアダラマ山脈の麓にある非常に美しい場所に佇んでいます。修道院の他にも、王宮や神学校、王立図書館、施療院などを持つ複合施設であり、これらの建造物が11の主要な中庭と3つの修道士の中庭を中心に見事に構成されています。この修道院は、16世紀半ば、国王フェリペ2世が礼拝の都合を考え、王宮と修道院を合体させたことが始まりとされています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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ミケーネとティリンスの考古遺跡

Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns
ミケーネとティリンスの考古遺跡
ホメロスの『イリアス』を史実と信じ、トルコのトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、あまりにも有名な考古学者です。彼はさらに、「黄金に富める国」と謳われたミケーネを求めて発掘を続けました。トロイア遺跡発掘から3年後の1876年、彼はついにミケーネの都市遺跡から円形墳墓や黄金のマスクなどを発見し、歓喜したのです。ミケーネを中心とするミケーネ文明は紀元前1600年から前1100年の間に地中海世界に広がった文明であり、クレタ文明と並ぶエーゲ文明の代表的な文明として知られています。戦士を社会の中枢に据えた武力社会だったとされ、海洋的と評されたクレタ文明とは真逆の社会だったようです。また、ミケーネの支配下にあったティリンスもシュリーマンにより発見され、同じく世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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メンフィスのピラミッド地帯

Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur
メンフィスのピラミッド地帯
紀元前28世紀頃から22世紀ぐらいまで続いたエジプト古王国の時代に建設されたピラミッドが、王国の都であったメンフィスの周辺(ギザからダハシュール辺り)に多く残っています。古王国第3王朝のジェセル王はそれまで日干しレンガで造られた小さいマスタバと呼ばれる墓ではなく、不滅の建材である石材を使ったピラミッドを建設しました。彼のピラミッドは方形の石段の四方を拡張し6段重ねた「階段ピラミッド」と呼ばれています。次の第4王朝のスネフェル王は途中で角度が変わる「屈折ピラミッド」や少し赤く見える石材を使った「赤のピラミッド」など在位中に3つもピラミッドを建設しました。そして最大のものは次のクフ王の時代ものです。カイロ近郊のギザの台地には、高さ146m(建設当時は150m以上あったと言われています)のクフ王のピラミッドとカフラー王・メンカフラー王のピラミッドが並び、「ギザの3大ピラミッド」と呼ばれます。しかし、これ以後のピラミッドは小規模化していきました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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モスタル旧市街の石橋と周辺

Old Bridge Area of the Old City of Mostar
モスタル旧市街の石橋と周辺
モスタル旧市街は、15世紀から16世紀にかけてオスマン帝国の国境都市として発展し、19世紀から20世紀のオーストリア・ハンガリー帝国時代にも繁栄を遂げました。この地域は、オスマン帝国、地中海、西欧の建築様式が融合した独自の都市景観を形成しています。​街の中心にある石橋は、スターリ・モスト(古い橋)と呼ばれ、16世紀にミマール・スィナンの弟子ミマール・ハイルッディンが設計し、オスマン建築の傑作とされています。​1990年代のボスニア紛争で街の大部分とともに破壊されましたが、2004年に各国の援助やユニスコの支援を受けて再建され、和解と国際協力、多文化共生の象徴となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ボスニア・ヘルツェゴビナ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (vi)
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