61~90件を表示中(全262件中)
カンボジアの記憶の場:抑圧の中心から平和と反省の場へ
Cambodian Memorial Sites: From centres of repression to places of peace and reflection
カンボジアではベトナム戦争中の1970年にロン・ノル将軍らの親米右派によるクーデターが起こり、シハヌーク元首が追放されたことからカンボジア内戦(1970~91年)が始まりました。1975年にロン・ノル政権が崩壊すると、翌1976年に赤色クメールを指導したポル・ポトによる政権が誕生しました。この政権は政治的反対勢力を抑圧し、集団農業によって階級のない農業社会を強制するために全国規模の治安システムを構築しました。カンボジア全土のあらゆる地域に約200の「治安センター」と「無数の処刑場」が建設され、都市から農村への強制移住、通貨の廃止、反対者の大量虐殺などが行われました。犠牲者は1000万人以上とされています。1978年には隣国ベトナムが 侵攻し、翌年にベトナムの支援を受けたヘン・サムリン政権が成立しましたが、ポル・ポト派によるゲリラ活動などの内戦は1991年まで続きました。「カンボジアの記憶の場:抑圧の中心から平和と反省の場へ」はポル・ポト政権によって大量虐殺が行われた3つの資産で構成されています。
紀伊山地の霊場と参詣道
Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range
曲阜の孔廟、孔林、孔府
Temple and Cemetery of Confucius and the Kong Family Mansion in Qufu
紀元前551年頃、孔子は山東半島の付け根近くに位置する小国、魯の曲阜にて武人の父のもとに生まれました。しかし、父が晩年の時の子であったため、幼い頃に両親とも死別しています。孔子は早くから学問を志して官職に就き、54歳で魯の大臣となって国政改革を図りましたが、受け入れられることはありませんでした。その後は職を辞し、諸国を遊説して自らの理想の実現を説いて回りました。10年以上の流浪生活を経て、69歳で故郷の曲阜に帰郷し、余生を門下生の教育に捧げました。その門下生は3,000人にものぼるといわれています。紀元前479年に74歳で没しましたが、弟子の手によって編纂された言行録『論語』や、孔子の著書とされる歴史書『春秋』が、今もその思想を伝えています。
キレーネの考古遺跡
Archaeological Site of Cyrene
キレーネの考古遺跡は、リビア北東部にあるギリシャ式の都市の遺跡です。その起源は、エーゲ海のテラ島(現在のサントリーニ島)の人々によって築かれたとされています。言い伝えでは、人口増加や干ばつに苦しんだテラ島の人々が、デルフィで信託を受け、サントリーニ島から船でリビアへ渡り、新天地に都市を建設したといいます。都市名キレーネは、アポロンに愛された泉の女神に由来すると伝えられています。キレーネは地中海貿易の拠点として栄え、アテネやシラクサに次ぐ規模のアクロポリスも築かれました。前4世紀にはアレクサンドロス大王に服属し、その後エジプトのプトレマイオス朝の支配を経て、ローマ帝国の属州となりました。ローマ支配下ではその後、反乱による破壊、ハドリアヌス帝による再建、地震と津波などを経験し、都市は次第に衰退しました。そして7世紀後半、イスラム勢力によって征服され、歴史の舞台から姿を消しました。
グアナフアトの歴史地区と鉱山
Historic Town of Guanajuato and Adjacent Mines
クタマク:バタマリバ人の土地
Koutammakou, the Land of the Batammariba
トーゴ北東部とベナンにまたがるクタマクには、バタマリバと呼ばれる人々が暮らしており、彼らの独特な泥で作られた塔の家々は「タキエンタ」(複数形では「シキエン」)と呼ばれています。ここでは、自然は社会の儀式や信念と深く結びついており、塔状の家々の建築が社会構造を反映していること、農地や森林、そして人々と風景の結びつきにより、特別なものとなっています。建物は村単位でまとまっており、儀式のための空間、泉、聖なる岩、そして成人の儀式のための特別な場所も含まれています。クタマクは、自然環境と調和しながら生活する人々の土地利用の卓越した例で、この文化的景観は、独特な特徴を持っています。タキエンタは、技術的・実用的・象徴的な役割を果たす基本的な家族住居で、住居スタイルは、円形や楕円形の形状を基にしており、「大地を形作る人々」を意味するディタマリ語のバタマリバによる独創的な発明です。
グラン・プレの景観
Landscape of Grand Pré
ここはカナダ東部ノヴァスコシア州のミナス湾の湿原帯と考古遺跡群で、広さは13㎢以上あります。ここには17世紀にフランス系入植者(アカディア人)が環境に適応して農地開発を進めてきた歴史が残されています。彼らは世界で最も干満差が激しい(平均11.6m)といわれるこの地に、堤防や木製水門システム(アボトー)を用いて広大な干拓農地をつくり出しました。さらに、その土地区画の方法や作物栽培法は何世紀にもわたって受け継がれ、彼らの生活様式の跡と合わせて、きわめて重要な考古学的遺跡ともなっています。アカディア人は1755年のグラン・デランジュマンと呼ばれる出来事でこの地を追放されてしまいましたが、彼らの入植と農地開発の象徴的な風景が残されています。
グレート・ブルカン・カルドゥン山と周辺の聖なる景観
Great Burkhan Khaldun Mountain and its surrounding sacred landscape
クンタ・キンテ島と関連遺跡群
Kunta Kinteh Island and Related Sites
京杭大運河
The Grand Canal
ケベック旧市街の歴史地区
Historic District of Old Québec
ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群
Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region
ナイル川流域には、クシュ王国の文化を物語る重要な遺跡群が広がっています。クシュ王国はアフリカ最古級の黒人国家であり、紀元前900年から前270年にかけて栄えたナパタ文化と、前270年から後350年にかけて栄えたメロエ文化の2つに分かれています。前10世紀にクシュ王国が誕生し、前730年にはピアンキ王がエジプト全域を統治することになります。そこから約70年という長いナパタ王国時代が続きます。遺跡群にはピラミッド付きの墓、寺院、住居、宮殿などが含まれています。これらの遺跡は、古代の建築技術や宗教儀式を今に伝える貴重な証拠となっており、古代文明の深い歴史を感じさせます。また、当時の社会構造を理解するための手がかりとして非常に重要です。
元の上都遺跡
Site of Xanadu
ゴアの聖堂と修道院
Churches and Convents of Goa
コインブラ大学:アルタとソフィア
University of Coimbra – Alta and Sofia
ポルトガル中部に位置するコインブラは、リスボン、ポルトに次いで、同国第3の都市です。この街にはヨーロッパで最も古く設立された大学のひとつであるコインブラ大学があります。同大学は、教皇ニコラウス4世の認可のもと、1290年にディニス王の勅令でリスボンに創設されました。司教座付属学校を起源とし、ポルトガル最古の伝統を誇ります。大学は、リスボンにあった時期もあれば、コインブラに移った時期もあり、両都市の間で何度か行き来しましたが、1537年にはコインブラに定着し、アルカソヴァ宮殿に置かれました。700年以上の歴史をもつコインブラ大学は、ポルトガルの植民地の教育機関にも影響を与え、さまざまな学術分野に貢献してきました。
杭州にある西湖の文化的景観
West Lake Cultural Landscape of Hangzhou
五台山
Mount Wutai
古代都市テーベと墓地遺跡
Ancient Thebes with its Necropolis
古都奈良の文化財
Historic Monuments of Ancient Nara
コナーラクのスーリヤ寺院
Sun Temple, Konârak
コパンのマヤ遺跡
Maya Site of Copan
コマニの文化的景観
ǂKhomani Cultural Landscape
ゴレ島
Island of Gorée
コロンビアのコーヒー農園の文化的景観
Coffee Cultural Landscape of Colombia
多くの方に嗜好品として愛されるコーヒーですが、その農園が世界遺産になるケースもあります。コロンビアのコーヒー農園はその代表例のひとつです。コロンビア西部、18の都市と6ヵ所の農業地帯からなる一帯は「エヘ・カフェテロ」(コーヒーの栽培の軸)と呼ばれて、19世紀からコロンビア北西部のアンティオキアからやってきた人々により農地が拓かれました。55度以上の傾斜をもつ急峻な山脈で、伝統的なコーヒー豆の生産が行われ、数世代にわたって今でもコーヒー豆が生産されているのが、非常に価値のあるものとみなされています。現在、コロンビアのコーヒー豆の生産量は世界3位(ブラジル、ベトナムに次ぐ)であり、この地域のコーヒー生産が少なくともそれに貢献していることは間違いありません。
コンドアの岩絵遺跡群
Kondoa Rock-Art Sites
サーンチーの仏教遺跡
Buddhist Monuments at Sanchi
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
左江花山の岩絵の文化的景観
Zuojiang Huashan Rock Art Cultural Landscape
サナアの旧市街
Old City of Sana'a
ザビードの歴史地区
Historic Town of Zabid
ザビードはイエメン西部、紅海沿いにある古都です。820年、反乱鎮圧のため、アッバース朝の総督だったムハンマド・イブン・ズィヤードがこの地に派遣されてきたことを機に発展しました。13~15世紀の最盛期には200以上のマドラサ(高等教育施設)やモスクが林立。イスラム学者により大きく発展していた科学などを学ぼうとする学生を世界中から受け入れました。今もザビードにはイエメン最多の86のモスクが集中しています。多くは簡素なレンガ造りですが、中には精巧な彫刻や漆喰の装飾が施されたものもあります。スークに囲まれた大モスクやマドラサなど、かつての名声を偲ばせる建造物が多数原型をとどめており、それがこの都市を卓越した考古学的・歴史的遺産にしているのです。
サルヴァドル・デ・バイアの歴史地区
Historic Centre of Salvador de Bahia