World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(vi))

ブルゴスの大聖堂

Burgos Cathedral
ブルゴスの大聖堂
聖母マリアに捧げられた「サンタ・マリア・デ・ブルゴス大聖堂」は、スペインを代表する大聖堂のひとつとして、「グラナダのアルハンブラ宮殿」などと共に、スペインで最初の世界遺産のひとつとして登録されました。「パリのセーヌ河岸」にあるノートル・ダム大聖堂からわずかに遅れて、1221年に建築が始まり、途中で約200年の中断を挟みつつ1567年に完成しました。こうして長い年月をかけて築かれたため、ゴシック様式の進化の過程と共に、ゴシック芸術の全体像をよく表しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ブルサとジュマルクズク:オスマン帝国発祥の地

Bursa and Cumalıkızık: the Birth of the Ottoman Empire
ブルサとジュマルクズク:オスマン帝国発祥の地
オスマン帝国は1299年に誕生し、1922年に滅亡する非常に寿命の長い帝国ですが、その初期の都となったのがこのブルサです。オスマン帝国はブルサ、エディルネ、イスタンブルと都を変えてきました。世界遺産には、トルコ北西部の南マルマラ地方に位置するブルサの8つの遺跡群、その近郊の村であるジュマルクズクからなる遺跡群が登録されています。ブルサはシルク・ロードの西の基点として繁栄し、オスマン帝国はビザンツ帝国からブルサを奪い、1326~1365年まで首都としました。現在でも300万人以上の人口を有し、トルコ第4の都市として栄えています。ブルサには、オスマン帝国による都市部と農村部からなる都市設計が見られ、それが現在でも残っているため非常に高く評価されています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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ブレーメンのマルクト広場にある市庁舎とローラント像

Town Hall and Roland on the Marketplace of Bremen
ブレーメンのマルクト広場にある市庁舎とローラント像
ドイツ北西部ブレーメンの市場広場にある市庁舎とローラント像は、ヨーロッパの神聖ローマ帝国において発展した都市の自治権と市場特権を象徴する優れた遺構です。旧市庁舎(ラートハウス)は15世紀初頭にゴシック様式のホール建築として建てられ、17世紀初頭にはいわゆるヴェーザー・ルネサンス様式で改修されました。20世紀初頭には旧市庁舎の隣に新市庁舎が建設され、第二次世界大戦の爆撃を生き延びた建築群の一部となっています。旧市庁舎は、41.5m × 15.8m の長方形平面を持つ二階建てのホール建築で、「横長の矩形ホール構造」と呼ばれています。1階はオーク材の柱を持つ大広間で、商人の取引や演劇の場として使われていました。2階には同じ大きさの祝祭ホールがあります。窓の間には、ゴシック期の皇帝や選帝侯を表す石像が並び、後期ルネサンスの装飾と融合して市民自治を象徴しています。地下には1階と同じ規模の石柱を持つ大きなワインセラーがあり、後に西側へ拡張され、現在はレストランとして利用されています。17世紀の改修では、列柱の11軸のうち中央3軸が大きな矩形窓と高い破風を持つ張り出し部で強調され、これがヴェーザー・ルネサンス様式の好例となっています。さらに、砂岩による精巧な彫刻装飾がファサードに加えられ、寓意的・象徴的な表現が施されました。新市庁舎は建築コンペの結果、ミュンヘンの建築家ガブリエル・フォン・ザイドルによって設計され、1909年から1913年にかけて建設されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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北京原人化石出土の周口店遺跡

Peking Man Site at Zhoukoudian
北京原人化石出土の周口店遺跡
北京の南西に位置する周口店遺跡は、東アジア最大の旧石器時代の遺跡です。1921年にこの地で未知の化石人類の臼歯が発見され、シナントロプス・ ペキネンシスと名付けられました。これは北京原人のことで、現在の学名はホモ・エレクトゥス・ペキネンシスと呼ばれています。化石人類とは現生人類(新人)に進化する前の猿人、原人、旧人を指し、打製石器を使用する旧石器時代に生存していました。1929年には頭蓋骨が発見されました。北京原人は約 70万年から約20万年前の原始人類で、直立歩行をして、道具と火を使用し、河岸や洞窟で集団生活をしていたと考えられています。周口店遺跡からは40体あまりの人骨、約10万点の石器、骨製道具などが発見されました。また、北京原人よりも現代人に近い、1万9,000年ほど前の山頂洞人の遺跡も見つかっています。山頂洞人とは、北京原人が発見された北京郊外の周口店にある竜骨山の頂上付近にある洞窟から発見されたのでこう呼ばれています。ヨーロッパのクロマニョン人などの化石の現生人類と考えられています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (iii)(vi)
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ヘブロン:アル・ハリールの旧市街

Hebron/Al-Khalil Old Town
ヘブロン:アル・ハリールの旧市街
パレスチナ西岸地区の南部に位置するヘブロンは、マムルーク朝時代に築かれた市街地です。しかし、それより以前にも隊商交易の要衝でもあり、紀元前1世紀には最初の預言者とされるアブラハムとその家族の墓も築かれました。『旧約聖書』によると、アブラハムは「マクペラの洞穴」に葬られたとされ、その洞穴がヘブロンにあると信じられたため、ここに墓が築かれました。アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教徒にとって、「啓典の民」の始祖とされるため、ヘブロンは三つの宗教の巡礼地となっています。都市の構造としては、マムルーク朝からオスマン帝国と、やはりイスラム王朝の支配が続いたので、イスラム都市の要素が多いです。マムルーク朝時代のスークやモスク、ハマムなども現存しています。
地域: 西・南アジア / 国名: パレスチナ国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ペルガモンとその周辺:様々な時代からなる文化的景観

Pergamon and its Multi-Layered Cultural Landscape
ペルガモンとその周辺:様々な時代からなる文化的景観
トルコ西部、エーゲ海地域の丘の上に位置するペルガモンのアクロポリス遺跡は、紀元前3~前2世紀に栄えたアッタロス朝(ペルガモン王国)の首都の都市遺跡です。この都市を築いたのはアッタロス朝の創始者であるフィレタイロス。彼は、アレクサンドロス大王の死後、後継者の一人であるリュシマコスに仕えていましたが、リュシマコスが殺されてからはこの地の統治者となりました。ここには記念碑的な聖堂群や劇場、教育機関、図書館などの遺構が、大規模な市壁に囲まれた傾斜地に残ります。紀元前133年になると、ローマに組み込まれますが、それ以降も文化都市として栄えました、やがてビザンツ帝国やオスマン帝国の時代では教会やモスクも建造されたため、この地には様々な時代の遺構が残っています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ペルシア庭園

The Persian Garden
ペルシア庭園
ペルシア庭園はイラン各地に点在する9つの庭園で構成されています。紀元前6世紀のキュロス2世の時代に起源をもつ造園様式は、乾燥地帯という厳しいイランの気候条件に合わせて発展してきました。地上の楽園の概念を具体的に表現していると言われています。ペルシア庭園は4つのセクションに分けられており、これはゾロアスター教が重視する空、土、水、植物の4つの要素を表しています。ペルシア庭園の造園様式や技術はインドやスペインまで広範囲の庭園設計に影響を与えました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ペルセポリス

Persepolis
ペルセポリス
ペルセポリスは、イラン南部シーラーズの北東約60kmにある世界屈指の考古遺跡です。建築、都市計画、建設技術、更に芸術の分野において、アケメネス朝ペルシアの傑作として知られるペルセポリスは、他に類を見ない、大帝国の繁栄の証を遺す考古遺跡のひとつです。紀元前6世紀、ペルシアのキュロス2世(大王)はメディア王国を滅ぼすとアケメネス朝を勃興し、近隣国を次々に征服します。続くカンビュセス2世の時代では古代オリエントを初めて統一し大帝国を築き上げました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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法隆寺地域の仏教建造物群

Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area
法隆寺地域の仏教建造物群
『法隆寺地域の仏教建造物群』は、法隆寺に属する47棟と法起寺の三重塔1棟の合計48棟で構成されています。法隆寺西院の金堂、五重塔、中門、回廊、法起寺三重塔など、7世紀後半から8世紀にかけて建立された11棟の建造物は、現存する世界最古級の木造建造物です。中国の優れた政治や文化、仏教を積極的に取り入れていた厩戸王(聖徳太子)は、601年に斑鳩宮を築き、推古天皇と共に移り住みました。そして、その西に607年頃、若草伽藍(斑鳩寺)を建立しました。これが法隆寺の起源とされています。同じ頃に中宮寺や岡本宮(法起寺)も建立され、斑鳩伽藍群が完成したと考えられています。622年に厩戸王が没すると、643年には蘇我入鹿の兵によって斑鳩宮が焼き払われ、斑鳩寺も670年に焼失しました。若草伽藍の遺構は、法隆寺境内の地下に「若草伽藍跡」として残されています。現在の法隆寺は、7世紀後半から8世紀初頭にかけて、現在の法隆寺西院の位置に再建されたものです。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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ポトシの市街

City of Potosí
ポトシの市街
ボリビア南部、植民地時代の記憶を今に伝えるポトシは、アンデス山の標高約4,000mに位置します。1542~1545年にかけて、ここで世界最大級の銀鉱脈が発見され、ヨーロッパの経済を一変させることになりました。後に「セロ・リコ」(富の山)と名付けられたこの銀山を効率的に運営するために、スペイン人によって建設された街がこのポトシです。銀を精錬する際には、水銀を用いたアマルガム法という当時の最新技術が用いられ、17世紀半ばまでの約100年間で、世界の銀産出量の約半分を占めました。ヨーロッパへの莫大な銀の流入は価格革命をもたらし、後の資本主義体制への移行の基盤となったとも言われています。
地域: 南米 / 国名: ボリビア多民族国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ボルガルの歴史的考古学的遺産群

Bolgar Historical and Archaeological Complex
ボルガルの歴史的考古学的遺産群
ヨーロッパ最長の河川であるヴォルガ川とカマ川が合流する南に、ボルガルの考古遺跡があります。それらからは、7世紀から15世紀に繁栄したヴォルガ・ボルガル文明の記憶をたどることができます。13世紀になるとモンゴル帝国の支配を受け、ジョチ・ウルスの最初の首都になり、カザン・ハン国の時代では交易中心地になりました。構成資産には、モスクやミナレット、霊廟などの宗教建造物や、浴場跡、塁壁などもあります。数世紀におよぶユーラシアの文化交流と変遷の歴史を刻むボルガルの遺産群からは、文化の多様性を汲み取ることができます。この地域では922年にイスラム教が受け入れられており、現在もタタール人のムスリムにとっては巡礼地になっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (ii)(vi)
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ボロブドゥールの仏教寺院群

Borobudur Temple Compounds
ボロブドゥールの仏教寺院群
『ボロブドゥールの仏教寺院群』は、ジャワ島中部にある仏教の石造遺跡群です。8〜9世紀にかけてシャイレンドラ朝によって建設されました。インドから伝播した仏教の流れは、主に東南アジア方面で広まった「上座部仏教」と、中国経由で日本にも伝わってきた「大乗仏教」に大別されますが、この遺産は大乗仏教の寺院遺跡です。王朝がわずか100年で滅亡すると、近くにあるムラピ山の火山灰に埋もれ、植物に覆われて忘れ去られていきました。それから約1,000年後の1814年、英国のジャワ総督代理とオランダ人技師により、密林の中から「発見」されました。最大規模のボロブドゥール寺院、ムンドゥー寺院とパウォン寺院から構成され、3つの寺院はほぼ東西一直線に並んでいます。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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ポロンナルワの古代都市

Ancient City of Polonnaruwa
ポロンナルワの古代都市
スリランカ中部にあるポロンナルワは、『聖地アヌラーダプラ』に次ぐシンハラ王国第二の都市です。シンハラ王国は10世紀末に南インドのチョーラ朝に侵略されたのですが、約80年かけて反撃した結果、1070年にチョーラ朝を撃退しました。しかし、長きにわたる抗争が影響して、都であったアヌラーダプラは荒廃していたので、ポロンナルワに都が遷されました。ポロンナルワが全盛期を迎えるのは12世紀後半であり、時の王はパラークラマ・バーフ1世でした。彼は灌漑施設を充実させ、さらに王宮の西側にあった貯水池を南北約9㎞にまで拡張したため人々を驚かせました。この貯水池は「パラークラマ・サムードラ(パラークラマの海)」と称され、王は人々から崇拝され、彼の後を継いだニッサンカ・マッラの時代でも繁栄は続きました。
地域: 西・南アジア / 国名: スリランカ民主社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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マカオの歴史地区

Historic Centre of Macao
マカオの歴史地区
中国大陸の南岸、珠江デルタに位置するマカオ(澳門)は、ポルトガルのアジア貿易の拠点となった港街です。元は漁村であり、福建省から中国沿岸を航海する船乗りが立ち寄る中継地でした。ポルトガル人が最初に中国へたどり着いたのは明代の1513年のこと。1557年に明王朝から居住権が与えられ、東アジアで最初のヨーロッパ入植地となると、数多くのカトリック教会や礼拝堂が築かれていきました。 17世紀になると、ポルトガルはオランダをはじめとする他のヨーロッパ列強諸国を 遠ざけるため、マカオに要塞を築きました。1849年、ポルトガルはマカオを自由貿易港と宣言し、1889年にはポルトガル領植民地となりました。イギリス領の香港が発展していくと、次第に貿易の中心は香港へと移り、マカオは外国人の別荘地となりました。1999年に中国へ返還され、現在は特別行政区です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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マサダ国立公園

Masada
マサダ国立公園
マサダ国立公園は、イスラエルの死海を見下ろす高さ約400mの孤立した台地の上に、紀元前1世紀、ユダヤ王国のヘロデ王がローマ様式の豪華な宮殿を建設した場所です。マサダは、紀元66年、ローマ帝国への不満がくすぶる中、属州のユダヤ人が反乱を起こした際(ユダヤ戦争)、1,000人近いユダヤ人が「最後の砦」として籠城した要塞でもあります。最後は、ローマ軍に包囲されたユダヤ人が集団自決の道を選びましたが、当時の遺物や関連遺構はいまだに岩の下に眠っているものもあり、広大な遺跡は、荒々しくも美しい自然の景観の中に溶けこんでいます。マサダの名前は、アラム語の「ハ・メサド(城塞)」が由来とされています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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マトボの丘群

Matobo Hills
マトボの丘群
ジンバブエ南西部に位置するマトボの丘群は、ジンバブエの大部分を覆う花崗岩の楯状地で、丘の海のような独特の地形が広がっています。ここには天然の岩窟(ロック・シェルター)がいくつもあり、岩窟内には素晴らしい岩絵のコレクションが残されています。これらの岩絵が描かれたのは少なくとも1万3,000年前に遡り、アフリカ南部において最も集中的に残された岩絵群のひとつとなっています。岩絵からは芸術様式の変遷や信仰を読み取ることができ、石器時代の狩猟採集社会が農耕社会へと移り変わる過程を伝えています。
地域: アフリカ / 国名: ジンバブエ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設

Monastery and Site of the Escurial, Madrid
マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設
エル・エスコリアール修道院は、マドリードの北、シエラ・デ・グアダラマ山脈の麓にある非常に美しい場所に佇んでいます。修道院の他にも、王宮や神学校、王立図書館、施療院などを持つ複合施設であり、これらの建造物が11の主要な中庭と3つの修道士の中庭を中心に見事に構成されています。この修道院は、16世紀半ば、国王フェリペ2世が礼拝の都合を考え、王宮と修道院を合体させたことが始まりとされています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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マハーバリプラムの建築と彫刻群

Group of Monuments at Mahabalipuram
マハーバリプラムの建築と彫刻群
インド南東部ベンガル湾に臨むマハーバリプラムには7世紀から8世紀のタミル系パッラヴァ朝のヒンドゥー教関連建築が残されています。ラタ(「山車」または「戦車」の意)と呼ばれる1つの巨大な花崗岩の塊を彫ってつくられた5つの寺院と動物の石像が祭りの行列のように並んでいます。そして寺院には古代の叙事詩「マハーバーラタ」に登場する神々や王族の肖像をはじめ、芸術的な彫刻が全面に施されています。その壮麗さはこの時代の優れた工芸技術を示しています。またマンダバと呼ばれる岩窟寺院や優れた岩面レリーフも残されています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(vi)
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ミケーネとティリンスの考古遺跡

Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns
ミケーネとティリンスの考古遺跡
ホメロスの『イリアス』を史実と信じ、トルコのトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、あまりにも有名な考古学者です。彼はさらに、「黄金に富める国」と謳われたミケーネを求めて発掘を続けました。トロイア遺跡発掘から3年後の1876年、彼はついにミケーネの都市遺跡から円形墳墓や黄金のマスクなどを発見し、歓喜したのです。ミケーネを中心とするミケーネ文明は紀元前1600年から前1100年の間に地中海世界に広がった文明であり、クレタ文明と並ぶエーゲ文明の代表的な文明として知られています。戦士を社会の中枢に据えた武力社会だったとされ、海洋的と評されたクレタ文明とは真逆の社会だったようです。また、ミケーネの支配下にあったティリンスもシュリーマンにより発見され、同じく世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ミジケンダ諸族のカヤ聖域森林

Sacred Mijikenda Kaya Forests
ミジケンダ諸族のカヤ聖域森林
ケニア南東部のインド洋沿岸の200㎞にわたる森林地帯に、16世紀以降他民族に追われここに住みついたミジケンダ族がつくった「カヤ」と呼ばれる要塞化した村落が残されており、そのうちの10カ所が世界遺産に登録されています。森林の中に円形に防御用の石壁を巡らし木製のドアを設けたもので、神聖な墓所や森を守るために築かれました。周囲の森は埋葬や共同の祭祀が行われた聖域であり、20世紀に入って村が放棄された後も、先祖の住まう聖なる森として神聖化され、いまでも長老たちの寄合いが行われています。
地域: アフリカ / 国名: ケニア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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ミディ運河

Canal du Midi
ミディ運河
フランス南部のトゥールーズから地中海に隣接したトー湖までを結ぶミディ運河は、ブルボン朝絶頂期の太陽王、ルイ14世の治世時である1694年に完成した、世界最古級の運河です。総延長は360kmで、東京から三重あたりまでの距離に相当します。当時フランスはスペインに対抗するために、地中海と大西洋を結ぶ国際通路を必要としていました。実はローマ帝国の時代から、地中海と大西洋を結ぶ運河の建設計画があったのですが、技術的にも予算的にも非常に困難なものでした。そこで立ち上がったのが当時、塩税徴収人として財をなしたピエール・ポール・リケでした。彼は1667年に運河の着工をし、約30年かけて完成させました。運河はトゥールーズで大西洋に注ぐカロンヌ川と繋がり、この事業は新しい時代を象徴するものとなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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南アフリカの人類化石遺跡群

Fossil Hominid Sites of South Africa
南アフリカの人類化石遺跡群
南アフリカ北東部のスタークフォンテン渓谷一帯には多くの石灰岩洞窟があります。ここからは、400万年前から100万年前の間に生きていた初期人類の化石が多数出土しており、アフリカ大陸が人類発祥の地であることを明らかにするものです。スタークフォンテン渓谷は、1999年にスワートクランズ、クロムドラーイ地区とともに世界遺産登録され、2005年にはマカパン渓谷、タウング頭骨化石遺跡が追加登録されました。これらの遺跡群では、現在もなお新しい発見が続いています。20世紀末には「リトル・フット」と称される367万年前の猿人の骨格化石が、2013年には「ホモ・ナレディ」と命名された、新種のヒト属の化石も発見されています。
地域: アフリカ / 国名: 南アフリカ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (iii)(vi)
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ミノア文明の宮殿群

Minoan Palatial Centres
ミノア文明の宮殿群
ミノア文明とは古代ギリシャ文明のひとつで、エーゲ海のクレタ島を中心に栄えた青銅器文明です。ミノアとは伝説上の王であるミノス王からきていますが、島の名をとりクレタ文明ということもしばしばあります。この文明を築いた民族については残念ながらあまりわかっていませんが、紀元前1900年頃から栄え、世界史の教科書でもお馴染みのクノッソス宮殿などの壮大な宮殿が築かれました。当時の民族が使用した文字を線文字Aと言いますが、未解読のため、早急な解読が期待されます。しかし、城壁がなく、多数の壺に海の生物が描かれていることから、開放的で海洋的な文明だったと推測されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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ムランジェ山の文化的景観

Mount Mulanje Cultural Landscape
ムランジェ山の文化的景観
マラウイ南部にどっしりと構えるムランジェ山は、むき出しの岩肌が特徴的で、世界最大級のインゼルベルク(残丘)のひとつとしても知られます。インゼルベルクとは、侵食から取り残された、平原に孤立した丘のことです。古くからこの山は、神々や精霊、祖先の霊が宿る聖地とされてきました。地元のヤオ族、マンガンジャ族、ロムウェ族の人々は、それぞれが異なる文化的背景を持っていますが、いずれもこの山を精神的支柱として崇敬してきました。山中の洞窟や池などでは伝統的な儀式が営まれ、精霊と交信する呪術師やヒーラー、治癒効果のある植物を用いる薬草師らは、地域共同体で不可欠な存在であるとみなされてきました。山の自然環境に根ざして受け継がれてきた伝統的慣習と信仰体系は、他の宗教が出現した後も失われることはなく、この地の独特な景観を形づくってきました。
地域: アフリカ / 国名: マラウイ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (iii)(vi)
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明・清時代の皇帝陵墓

Imperial Tombs of the Ming and Qing Dynasties
明・清時代の皇帝陵墓
明・清時代の皇帝陵墓は、風水に基づいて慎重に選ばれた地形に位置し、自然環境との有機的な統合が図られています。陵墓と建物は中国の階層構造に従って配置され、石碑や彫刻が並ぶ神聖な通路が組み込まれています。これは、王室の儀式や死者の霊の通行を目的としたもので、5世紀にわたり明・清の統治者が堂々とした陵墓の建設を非常に重視していたことを物語っています。この自然と調和した配置は、人類の創造的才能を示す傑作です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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メンフィスのピラミッド地帯

Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur
メンフィスのピラミッド地帯
紀元前28世紀頃から22世紀ぐらいまで続いたエジプト古王国の時代に建設されたピラミッドが、王国の都であったメンフィスの周辺(ギザからダハシュール辺り)に多く残っています。古王国第3王朝のジェセル王はそれまで日干しレンガで造られた小さいマスタバと呼ばれる墓ではなく、不滅の建材である石材を使ったピラミッドを建設しました。彼のピラミッドは方形の石段の四方を拡張し6段重ねた「階段ピラミッド」と呼ばれています。次の第4王朝のスネフェル王は途中で角度が変わる「屈折ピラミッド」や少し赤く見える石材を使った「赤のピラミッド」など在位中に3つもピラミッドを建設しました。そして最大のものは次のクフ王の時代ものです。カイロ近郊のギザの台地には、高さ146m(建設当時は150m以上あったと言われています)のクフ王のピラミッドとカフラー王・メンカフラー王のピラミッドが並び、「ギザの3大ピラミッド」と呼ばれます。しかし、これ以後のピラミッドは小規模化していきました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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モザンビーク島

Island of Mozambique
モザンビーク島
モザンビーク島は、モザンビーク共和国ナンプラ州にあり、インド洋のモスリル湾の入り口に位置しています。本土の海岸からは約4㎞沖合にある石灰質サンゴ礁で,1960年代に建設された橋によって本土と結ばれています。島は東にゴア島とセナ島という2つの小さな無人島を持ち、群島を形成しています。この島は10世紀頃からアラブの品物とアフリカで産出される金を交換するインド洋貿易の拠点として栄えてきました。アラブ商人たちは街を建設し、真珠、象牙、銀などを使った象嵌細工の技術や、繊細な彫刻が施された建築物など、アラブの文化を伝えました。
地域: アフリカ / 国名: モザンビーク共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (iv)(vi)
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モスクワのクレムリンと赤の広場

Kremlin and Red Square, Moscow
モスクワのクレムリンと赤の広場
モスクワの歴史は、1,100年代にユーリー・ドルゴルーキーが木造の要塞を建設したところから始まったとされています。これが後のクレムリンになりますが、モスクワの街はこの要塞を中心に発展していきました。 1480年にイヴァン3世が「タタールのくびき」と呼ばれるモンゴルの支配からの脱却を果たし、城壁が強化され、城塞内にはウスペンスキー聖堂などの大聖堂が建てられることとなりました。城壁内部の中心であるサボールナヤ広場には聖堂が立ち並び、聖遺物、中世のフレスコ画、イコン、高価な写本など様々な芸術品が残されています。 15世紀末に築かれたファセット宮殿は、国家行事や祝賀行事、外国大使を迎えるために建設されました。他にも金色のドームが印象的で、荘厳かつ煌びやかなブラゴヴェシチェンシスキー聖堂などがあります。モスクワはロシア革命後の1918年から、ロシアの首都として発展していくこととなります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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モスタル旧市街の石橋と周辺

Old Bridge Area of the Old City of Mostar
モスタル旧市街の石橋と周辺
モスタル旧市街は、15世紀から16世紀にかけてオスマン帝国の国境都市として発展し、19世紀から20世紀のオーストリア・ハンガリー帝国時代にも繁栄を遂げました。この地域は、オスマン帝国、地中海、西欧の建築様式が融合した独自の都市景観を形成しています。​街の中心にある石橋は、スターリ・モスト(古い橋)と呼ばれ、16世紀にミマール・スィナンの弟子ミマール・ハイルッディンが設計し、オスマン建築の傑作とされています。​1990年代のボスニア紛争で街の大部分とともに破壊されましたが、2004年に各国の援助やユニスコの支援を受けて再建され、和解と国際協力、多文化共生の象徴となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ボスニア・ヘルツェゴビナ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (vi)
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モレリアの歴史地区

Historic Centre of Morelia
モレリアの歴史地区
モレリアは、首都メキシコ・シティと第2の都市グアダラハラの間に位置し、16世紀半ばにスペインの植民都市バリャドリードとして築かれました。1570年に司教座が置かれて以降、この地域の宗教・文化の中心として発展し、18世紀には大聖堂や市庁舎などが建設されました。現在も約250の植民地時代の建造物が残り、多くがピンク色の石材で造られています。市内にはルネサンス、バロック、新古典主義が融合した建築が並び、その様式は「モレリアのバロック」といわれています。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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