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パレルモのアラブ・ノルマン様式の建造物群と、チェファルとモンレアーレの大聖堂
Arab-Norman Palermo and the Cathedral Churches of Cefalú and Monreale
パレンケの古代都市と国立公園
Pre-Hispanic City and National Park of Palenque
盤亀川沿いの岩面彫刻群
Petroglyphs along the Bangucheon Stream
韓国南東部の盤亀川沿いにある『盤亀川沿いの岩面彫刻群』は、かつて盤亀川と呼ばれた、現在の大谷川流域に位置する「盤亀台岩刻画」と「川前里の銘文・岩刻画」の2つの遺跡をまとめた呼称です。約3kmにわたって層状の崖が広がる自然景観の中にあり、岩絵は紀元前5,000年頃から9世紀まで、世代を超えた人々によって石や金属の道具で刻まれました。描かれた内容は動物や人間、狩猟の場面、同心円や菱形、文字など多彩で、当時の文化や芸術表現をよく伝えています。特にクジラや狩猟の場面は、東アジアにおける先史時代の海洋漁労の最古の証拠として注目されています。岩に刻まれたこれらの絵や文字は、制作者たちの優れた観察力と創造力を示す貴重な文化遺産です。
バンチェンの考古遺跡
Ban Chiang Archaeological Site
ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群
Humberstone and Santa Laura Saltpeter Works
ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群は、チリ北部に位置する、世界で最も乾燥した砂漠のひとつであるパンパ地帯に存在した200以上の硝石精製所を代表する遺構です。1880年から60年以上にわたり、「パンピーノ」と呼ばれるチリ、ペルー、ボリビアから集まった数千人の労働者たちが、過酷な環境の中で世界最大級の硝石鉱床を開発し、農業用肥料である硝酸ナトリウムを生産しました。硝石は18世紀後半に爆薬として欧米に輸出されていましたが、1830年代に肥料としての効果がヨーロッパで発見されると、アメリカやロシア、アルゼンチンやブラジル、キューバなどの地域で需要が高まりました。肥料は北米・南米、ヨーロッパの農地を変革し、チリに莫大な富をもたらしました。しかし、1930年代以降、需要の低下に伴い市場は縮小し、1959年には工場は閉鎖されました。
ハンピの都市遺跡
Group of Monuments at Hampi
インド南部のハンピには、14~16世紀にかけて南インドを支配した最後のヒンドゥー教王国ヴィジャヤナガル王国(「勝利の都」という意味)の都市遺跡があります。この都市は7重の城壁を巡らせた堅固な要塞都市であったとされ、約26㎢の範囲に王宮や寺院、バザールなどが建ち並んでいました。しかし1565年にイスラム勢力によって蹂躙され放棄されました。現在残っているのは、最も神聖な聖域とされる「ヴィルーパークシャ寺院」と、石造りのラタ(山車)が有名な「ヴィッタラ寺院」などです。これらの寺院は、当時王国で広まっていたドラヴィダ様式で建てられており、規模の大きさや塔門(ゴープラ)、回廊、精緻な彫刻が特徴です。また、世俗建築にはイスラム建築の要素も取り入れられており、女王の浴場や象舎などで見ることができます。
パンプーリャの近代建造物群
Pampulha Modern Ensemble
バンベルクの旧市街
Town of Bamberg
バンベルクは、ドイツ南部のバイエルン州北部フランケン地方に位置しています。町の基本的な構造は初期中世の都市計画をよく残しており、中世の宗教建築や世俗建築が数多く現存している中央ヨーロッパの都市の好例となっています。バイエルン公ハインリヒ2世が1007年にドイツ王となった際、彼はバンベルクを司教座の所在地とし、「第二のローマ」とすることを意図しました。現在の町が示している、農業(市場向けの菜園やブドウ畑)と都市の流通拠点との結びつきは、特に興味深いものです。10世紀以降、バンベルクはスラヴ諸民族、特にポーランドやポメラニアの人々との重要な交流拠点となりました。12世紀以降の最盛期には、この町の建築は北ドイツやハンガリーに強い影響を与えました。18世紀後半には、バンベルクは南ドイツにおける啓蒙思想の中心地となり、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルやE.T.A.ホフマンといった著名な哲学者や作家がここに住んでいました。
万里の長城
The Great Wall
ピーコ島のブドウ栽培の景観
Landscape of the Pico Island Vineyard Culture
ビーソトゥーン
Bisotun
イラン西部の古代の交易路上にあるビーソトゥーン(「神々の場所」の意)には、先史時代からメディア王国、アケメネス朝、ササン朝そしてイル・ハン国時代までの遺跡が残っています。中でも、紀元前6世紀にアケメネス朝のダレイオス1世(大王)が王位についたことを記念して彫られた摩崖碑は重要で、一般には英語読みの「ベヒストゥン碑文」として知られています。ここにはダレイオス1世の等身大の浅浮彫と並んで、彼の時代の帝国統治や歴史的事件等が楔形文字で記されています。1,200行に及ぶ碑文は、エラム語とバビロニア語そして古代ペルシャ語の3か国語でほぼ同じ内容が書かれており、この時代唯一残された歴史的文書であることもあり、古代言語学的にも歴史学的にもとても価値のあるものです。
ヒヴァのイチャン・カラ
Itchan Kala
ウズベキスタン、ホラズム地方のアムダリヤ川の南に位置するヒヴァは、16世紀初頭に成立したヒヴァ・ハン国の首都です。この国はウズベク人が興した国であり、隣国のブハラ・ハン国とコーカンド・ハン国で、領土をめぐって激しく争いました。首都ヒヴァは17世紀頃に首都となり、その旧市街で「内城」を意味するイチャン・カラは、二重の城壁で守られています。城壁の影響もあり、保存状態が非常に良いことから、1969年に「博物館都市」に指定されて、今も手厚く保存されています。また、イチャン・カラはヒヴァ・ハン国がこの地を治める以前から栄えており、2,000年以上の歴史を有しています。古来、ペルシア地方に向かうキャラバン達の休息地となっており、オアシス都市としても栄えていました。
ピエモンテとロンバルディアのサクロ・モンテ群
Sacri Monti of Piedmont and Lombardy
サクロ・モンテ(聖山)とは、聖書の物語を描いた絵画や彫刻を収める聖堂を山の中に築き、それらを巡礼することで信仰を深める宗教施設群のことです。サクロ・モンテを築く運動は、エルサレムやパレスチナなど聖地に代わる祈りの場をヨーロッパにつくるのが目的で、15世紀から16世紀初頭にかけて始まりました。当時、イスラム勢力の急速な拡大で、巡礼者にとって聖地へのアクセスが困難になっていたことが背景にありました。北イタリアのピエモンテとロンバルディアにある9つのサクロ・モンテには、16世紀後半から17世紀にかけての建築的特色が残る教会群があり、キリスト教信仰のさまざまな様相が表現されています。これらは、丘陵、森林、湖といった周囲の自然と見事に調和した景観を作り上げており、その深い美しさを可能にした技法も高く評価されています。
ピエモンテのブドウ園の景観:ランゲ・ロエロとモンフェッラート
Vineyard Landscape of Piedmont: Langhe-Roero and Monferrato
ヒエラポリスとパムッカレ
Hierapolis-Pamukkale
ピエンツァの歴史地区
Historic Centre of the City of Pienza
ビガンの歴史地区
Historic City of Vigan
フィリピン北部、ルソン島の南シナ海を望む港街ビガンは、スペイン植民地時代の面影を色濃く残しています。 16世紀後半にスペインの植民地として築かれ、中国やメキシコとの交易の拠点として繁栄しました。街はスペインの都市計画に基づいて碁盤目状に整備されています。石畳の通りには、外観はスペイン風だが、中国やフィリピンの伝統的な建築様式が採用された家屋が並んでいます。石と木を組み合わせた家屋はタガログ語で「バハイ・ナ・バト」と呼ばれています。中国やイロカノ、フィリピンの要素が混在しているという点で、スペイン植民地であったラテンアメリカの諸都市とは顕著な違いが見られます。イロカノとは、ルソン島北西部のイロコス地域に住むマレー系の民族のことです。
ピサのドゥオーモ広場
Piazza del Duomo, Pisa
ビスカヤ橋
Vizcaya Bridge
ヒッタイトの首都ハットゥシャ
Hattusha: the Hittite Capital
ヒマーの文化地域
Ḥimā Cultural Area
「ヒマーの文化地域」はサウジアラビア南西部、イエメン国境に近いナジュラーン州にあり、この山岳地帯に残る岩絵や岩壁碑文は7,000年にわたる文化の一面を記録するものです。ナジュラーンは、かつて乳香や没薬など香料交易の中心地でした。貴重な水源を有していたヒマーには、アラビア南部とメソポタミア、レバント、エジプトを結ぶ隊商路が通っていました。この地を往来した旅人や商人、軍隊は、膨大な岩絵や碑文などを残しました。岩絵には、狩りの様子や野生動物、植物、道具など当時の生活をしのばせるものが描かれており、碑文からは、ムスナド文字やタムード文字、アラム・ナバテア文字、ギリシャ文字などの多様な言葉が確認されています。
ピマチオウィン・アキ
Pimachiowin Aki
カナダ中部のマニトバ州にあるマニトバ湖東岸からオンタリオ州にかけて広がる面積約2万9,000㎢の広大な土地がカナダ初の複合遺産として登録されました。ベレンズ川、ブラッドベイン川、ピジョン川、ポップラー川の源流にある「ピマチオウィン・アキ」とは、先住民アニシナアベ族の言葉で「命を与えてくれる土地」という意味です。ピマチオウィン・アキには「ブラッドベイン川」「リトル・グランド・ラピッズ」「パウインガッシ」「ポップラー川」という4つのアニシナアベ族の共同体の伝統的な土地が含まれています。川や湖、湿地によって分断された森林地帯で、アニシナアベ族は7,000年以上にわたり狩猟や漁労、採集などを行いながら自然と共存してきました。
ピュー族の古代都市群
Pyu Ancient Cities
ミャンマー中部に位置するピュー族の古代都市群は、紀元前200年頃から紀元後900年頃にかけて繁栄したピュー族の王国の遺跡です。ピュー族は、ビルマ族がこの地域に進出する以前からエーヤワディー川流域に居住していた、チベット=ビルマ系の民族です。ハリン、ベイッタノ、シュリ・クシェートラの3つの都市遺跡は、いずれもレンガ造りの城壁で囲まれており、内側には宮殿や埋葬地、ボーボージーパゴダと呼ばれる仏塔が残されています。城壁で街を囲み、中央に宮殿を配置する都市構造は、古代インドの宗教観に影響を受けたものと考えられています。交易の拠点として栄えたこの地域には、約2,000年前に東南アジアに伝来した仏教によって経済的・社会的・文化的な変化がもたらされました。文献記録によると、ピュー族の王国は東南アジア最古の仏教都市国家とされています。しかし、9世紀に入ると中国雲南地方を基盤に勢力を拡大した南詔からの攻撃を受け、急速に衰退しました。
平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-
Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land
ピリッポイの考古遺跡
Archaeological Site of Philippi
ビリニュスの歴史地区
Vilnius Historic Centre
ビルカとホヴゴーデン
Birka and Hovgården
スウェーデンで3番目に広い湖、メーラレン湖には「ビョルケー島」と「アデルスエー島」が浮かんでいます。ビルカとホヴゴーデンは、この2つの島に位置しており、ヴァイキングの交易地であった遺跡が残っています。ビョルケー島のビルカは、ヴァイキングの交易地として8~10世紀にかけて繁栄したほか、9世紀にはハンブルク=ブレーメン大司教のアンスガールが訪れたことで、スウェーデンのキリスト教化のはじまりの拠点となりました。ここでは城壁や2,000を超える墳墓、ゲルマン人が用いたとされるルーン文字の石碑などが見つかっており、墳墓の副葬品からはヴァイキングが遠く離れたビザンツ帝国とも交易を行っていたことが証明されています。また、アデルスエー島のホヴゴーデンではヴァイキング時代の王宮跡と思われる遺跡も見つかっています。
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミヒャエル聖堂
St Mary's Cathedral and St Michael's Church at Hildesheim
ピレネー山脈のペルデュ山
Pyrénées - Mont Perdu
ヒロキティアの考古遺跡
Choirokoitia