World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(ii))

ネスヴィシにあるラジヴィル家の建築と邸宅および文化関連遺産群

Architectural, Residential and Cultural Complex of the Radziwill Family at Nesvizh
ネスヴィシにあるラジヴィル家の建築と邸宅および文化関連遺産群
ベラルーシ中央部に位置するネスヴィシにあるラジヴィル家の建築群は、16世紀から20世紀にかけてヨーロッパで絶大な権力と影響力を持ったラジヴィル家が築いたものです。この一族は、この町を科学、芸術、工芸、建築の主要な中心地へと発展させました。彼らがここに招いた傑出した文化人や芸術家たちの手によって、西欧の建築様式と地元の伝統が見事に融合し、東欧における建築思想の伝播と新たな建築様式の発展に大きな役割を果たしました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ベラルーシ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯

Nord-Pas de Calais Mining Basin
ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯
ヨーロッパ随一の農業国の印象があるフランスですが、工業の分野でも発展している地帯があります。フランス北端にある『ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯』はフランス屈指の工業地帯であり、1,200㎢の中になんと109もの構成資産が存在しています。カレ地方は百年戦争でイギリスに約200年近く占領されたことでも有名です。この地で石炭の層が発見されたのは17世紀。イギリスやベルギーが産業革命を迎え、19世紀半ばにフランスも産業革命を迎えると、この地域の石炭や鉄鉱石の重要度が急激に高まりました。1850年代にはフランスで最も重要な鉱山地帯となり、坑道や石炭輸出のインフラに加えて、労働者が暮らす住宅やコミュニティ施設も次々に作られていきました。現在は閉山しているものの、20世紀後半まで現役であったため、150年近くにわたって機能してきた炭鉱都市の姿を今でもうかがえるのが貴重です。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ノヴゴロドと周辺の歴史的建造物群

Historic Monuments of Novgorod and Surroundings
ノヴゴロドと周辺の歴史的建造物群
ノヴゴロドは、9世紀にロシアで最初の首都となり、中央アジアと北ヨーロッパを結ぶ古代の交易路に位置していました。教会や修道院に囲まれたこの都市は、正教の精神性の拠点であるとともに、ロシア建築の中心地でもありました。ノヴゴロドは、ロシアの石造建築様式の発祥地であるとともに、この地を中心に盛んとなったノヴゴロド派は最古のロシア絵画流派の一つでもあります。そのため、ノヴゴロドは中世を通じてロシア美術の発展に影響を与え、文化的創造性の発展を物語っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

バースの市街

City of Bath
バースの市街
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡のひとつとされています。
詳細ページを見る Arrow-right

バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
アフガニスタン北東部に位置するバーミヤン渓谷には、1世紀から13世紀頃にかけて築かれた、約1,000基におよぶ石窟寺院からなる一大仏教遺跡群が存在しています。この地はインド、中央アジア、西アジアを結ぶ交通の要衝であり、交易の中継地として栄えました。 バーミヤンは、さまざまな宗教や民族が交差する「文明の十字路」であり、遺跡群からは、かつてギリシア人がアム川流域に建国したバクトリア王国固有の芸術や宗教が、インド、ギリシア、ササン朝などの文化と融合し、やがてガンダーラ仏教美術へと変遷していった様子をうかがうことができます。仏教が中央アジアへと伝播し、隆盛を極めたことを示す貴重な遺跡です。
詳細ページを見る Arrow-right

ハーンの宮殿のあるシェキの歴史地区

Historic Centre of Sheki with the Khan’s Palace
ハーンの宮殿のあるシェキの歴史地区
カフカス山脈東部の南側斜面に位置する歴史都市シェキは、紀元前6世紀にまで遡る古い歴史を持っています。現在の歴史地区は、1772年の土砂洪水の後、それまでの場所より東にある山間の谷の高台に再建されました。重要な交易路に接していることから、多様な文化的影響を受けてきました。キリスト教は1世紀にはすでに伝わり、イスラーム教は7世紀に広まりました。18世紀まで、シェキはサファヴィー朝、オスマン帝国、カージャール朝など、さまざまな勢力の支配下にありました。1743年には、コーカサス地方で最初かつ最も強力なハーン国として独立し、その後19世紀初頭にはロシアの支配を受けました。こうした多様な文化の影響は建築にも見られます。ハーンの宮殿には、ムカルナスなどのイスラーム建築技法、美しい中庭、そしてヨーロッパから持ち込まれたガラスを釘や接着剤を使わずに木で格子状に組み込んだステンドグラス「シェベケ」など、18世紀アゼルバイジャン建築の粋が凝縮されています。
地域: 西・南アジア / 国名: アゼルバイジャン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (ii)(v)
詳細ページを見る Arrow-right

バウハウス関連遺産群:ヴァイマールとデッサウ、ベルナウ

Bauhaus and its Sites in Weimar, Dessau and Bernau
バウハウス関連遺産群:ヴァイマールとデッサウ、ベルナウ
20世紀の建築と芸術、都市計画において世界的な影響を与え、モダン・ムーブメント(近代建築運動)の基盤となったバウハウスは、1919年にドイツのヴァイマールで総合造形学校として設立されました。ドイツ語で「建築の家」を意味し、建築作業組合「バウヒュッテ」が名前の由来となっています。初代校長を務めた建築家ヴァルター・グロピウスや2代目校長のハンネス・マイヤー、独特な画風で近現代美術に影響を与えたパウル・クレー、画家・写真家で新興写真運動の中心人物を務めたモホリ=ナジ・ラースロー、抽象絵画の先駆者ワシリー・カンディンスキーといった当時を代表する芸術家たちが教鞭をとり、建築を軸に、デザイン、美術、写真、彫刻などの総合的な教育が行われました。ヴァイマールには、バウハウスの校舎となった旧美術学校と本館、バウハウスの理念に基づいて建てられた初期の建築物であるハウス・アム・ホルンがあります。1925年以降、拠点はデッサウへ移され、ヴァルター・グロピウスの設計でバウハウス・デッサウ校舎や、バウハウスの教員が暮らすマスターズハウスが建設されました。これらは、機能主義に基づく設計と新素材・技術の活用を通じて、モダン・ムーブメント(近代建築運動)を切り開きました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ハグマターナ

Hegmataneh
ハグマターナ
「ハグマターナ」とは古代ペルシャ語で「集いの場所」という意味です。ギリシャ語やラテン語では「エクバタナ」と呼ばれます。ここは紀元前7世紀頃の古代メディア王国の首都があった地で、その後もアケメネス朝やパルティアといった歴代王朝の重要都市でした。ザグロス山脈の麓にあり、スーサやペルセポリスに比べて涼しいという気候もあって夏の王都となり、かつ古代の交通の拠点として繁栄しました。アケメネス朝時代には、帝国の基礎となった街道「王の道」がここから各地に分岐していくターミナル的機能を担いました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2024年 / 登録基準: (ii)(iii)
詳細ページを見る Arrow-right

パサルガダエ

Pasargadae
パサルガダエ
「パサルガダエ」とは「ペルシャ」人の本営という意味です。イラン南西部ペルセポリスから車で北東80kmほどのところにある遺跡で、古代ペルシャ帝国(アケメネス朝)の最初の首都があった地です。紀元前6世紀に初代のキュロス大王がペルシャ人の故郷とされるファールスと呼ばれたこの地に首都を建設しました。ここには6段の方形壇上に墓室がある墓廟が残されており、キュロス大王の墓と伝わっています。また「ソロモンの玉座」という意味のタレ・タフト要塞やペルシャ古来の四分庭園のデザインの原形とされる庭園があります。ここでは古代ペルシャ建築のさらに初期段階の建築物を見ることができます。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

バターリャ修道院

Monastery of Batalha
バターリャ修道院
バターリャの修道院は、ポルトガルの歴史において最も重要な出来事の記憶を刻む場所です。「バターリャ」とは「戦い」を意味します。1385年、王位継承問題で攻め入ってきた大国カスティーリャ王国軍に、ジョアン1世率いるポルトガル軍は奇跡的に勝利し、危機にあった国の独立を守りました。ジョアン1世は、戦いに赴く前に聖母マリアに戦勝祈願の祈祷をしたので、この度の勝利は聖母マリアのおかげだと感謝しました。そこで、これを記念して戦場の近くに建設されることになったのが、バターリャの修道院です。これはドミニコ会に寄贈され、「勝利の聖母マリア修道院」という正式名をもちます。着工されたのは1388年でした。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポルトガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(ii)
詳細ページを見る Arrow-right

パドヴァの14世紀のフレスコ画群

Padua’s fourteenth-century fresco cycles
パドヴァの14世紀のフレスコ画群
パドヴァはイタリア北部のヴェネト州の中央部にある州都で、ヴェネツィアから西へ約40㎞の距離にあります。城郭都市であったパドヴァの城壁内に点在する4地域に立地する宮殿や大聖堂、礼拝堂などの8件の建造物には、1302年から1397年にかけて描かれたフレスコ画が残されています。フィレンツェの巨匠画家であるジョットがパドヴァに招聘されて、彼により描かれた壁画が反響を呼び、他の芸術家たちも集まり壁画が制作されました。そのため、パドヴァは「ウル・ブス・ピクタ(絵のある町)」と呼ばれるほど壁画の歴史に発展をもたらしました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (ii)
詳細ページを見る Arrow-right

パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)

Botanical Garden (Orto Botanico), Padua
パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)
イタリア最古の大学として有名なボローニャ大学の次に古い歴史を持つのが、イタリア北部のパドヴァ大学です。この植物園は、1545年に大学の付属施設として設立され、建設当初からずっと同じ場所にあります。世界を表す円環状にデザインされた中心部分は、当時の建築家アンドレア・モロニが設計したものです。イタリアで初めてジャガイモ・ヒマワリ・ライラックが栽培された場所であり、植物学や生態系学の研究に貢献してきた歴史があり、現在も薬草の栽培や研究が行われています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)
詳細ページを見る Arrow-right

パドレ・テンブレケ水利施設の水道橋

Aqueduct of Padre Tembleque Hydraulic System
パドレ・テンブレケ水利施設の水道橋
パドレ・テンブレケ水利施設の水道橋は、メキシコ中央高原のメキシコ州からイダルゴ州にかけて約48kmにわたり延びる水道橋です。1555年から1572年にかけて建設されました。一段のアーチで築かれた水路としては最も高いものを組み合わせて建設されています。テペヤワルコにあるアーチ型の水道橋は水路の部分で約40mの高さがあり、アーチの部分でも約34mの高さがあります。水利システムは古代ローマ時代の水利技術から受け継がれるヨーロッパ伝統の技術とアドベ(日干しレンガ)を用いた伝統的なメソアメリカの建築技術との交流を示す一例となっています。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

パナマの植民地時代の地峡横断ルート

The Colonial Transisthmian Route of Panamá
パナマの植民地時代の地峡横断ルート
「パナマの植民地時代の地峡横断ルート」は、2025年にフランス・パリで開催された第47回世界遺産委員会で、世界遺産に登録されました。これに先立ち、1997年には「パナマ・ビエホ考古遺跡とパナマの歴史地区」が独立した世界遺産として登録されていましたが、2025年の登録に伴い、それらは新たな遺産「パナマの植民地時代の地峡横断ルート」の構成資産として統合されました。16世紀以降、パナマ地峡はイベリア半島とアメリカのスペイン王国の植民地、フィリピン諸島、カナリア諸島間の物資や人の輸送を円滑にする世界的な戦略的資産となりました。連続した土地は、地峡を横断した証拠であり、戦略的に要塞化された集落、歴史的な町、考古学的遺跡、そしてカリブ海と太平洋を結ぶ道路などが含まれています。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: パナマ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ハノイにあるタン・ロン皇城遺跡の中心地

Central Sector of the Imperial Citadel of Thang Long - Hanoi
ハノイにあるタン・ロン皇城遺跡の中心地
タン・ロン皇城は、11世紀にベトナム李王朝によって建設され、ダイヴィト王朝の独立を象徴するものとなりました。皇城は、7世紀に遡る中国の要塞跡、ハノイの紅河デルタを埋め立てた土地に築かれました。この地は7世紀から19世紀までの期間にわたり、約13世紀の間途切れることなく政治権力の中心地であり続けました。さまざまな考古学的階層や記念碑によって証明されており、権力の座が長きにわたる存続と継続を特徴としています。
地域: 東・東南アジア / 国名: ベトナム社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2010年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

パハルプールの仏教遺跡

Ruins of the Buddhist Vihara at Paharpur
パハルプールの仏教遺跡
『パハルプールの仏教遺跡』は、ベンガル地方に栄えたパーラ朝の国王ダルマパーラが8世紀末に創建した仏教寺院遺跡です。ソーマプラ大僧院(マハーヴィハーラ)では、アジア各地から僧侶が集まり修行に勤しみました。約300m四方の敷地を177室の僧坊が囲み、中央には十字型の大祠堂がそびえます。三層構造となっている大祠堂ですが、現在は基壇部分しか残っていません。しかしながら、表面は神々や動物等の彫刻が施された約3,000枚もの素焼き板で覆われており、在りし日の栄華を今に物語っています。
地域: 西・南アジア / 国名: バングラデシュ人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

バムとその文化的景観

Bam and its Cultural Landscape
バムとその文化的景観
イラン南部に位置するバムは、その起源をアケメネス朝ペルシアやパルティア王国時代にまで遡るといわれるオアシス都市です。都市にはカナートと呼ばれる地下水路網が整備され、オアシス都市へと発展をしました。現在も稼働中の国内最古級のカナートが存在します。7世紀以降、数百年にわたり東西交易ルートの中継地として繁栄してきました。中心に立つアルゲ・バムと呼ばれる城塞は壁と二重の内壁をもつ三重構造で、日干しレンガを積み上げてつくられました。紀元前6〜前4世紀頃のアケメネス朝ペルシアに起源を咲かあ登りササン朝ペルシアの時代に建設され、16世紀のサファヴィー朝時代に現在の形になりました。外たやしかし、18世紀にアフガニスタン方面からパシュトゥン人の攻撃を受け、町は放棄されました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(v)
詳細ページを見る Arrow-right

パラマリボの歴史街区

Historic Inner City of Paramaribo
パラマリボの歴史街区
パラマリボは、南米大陸の北東海岸に位置するスリナムの首都です。スリナムを含むベネズエラ南部からブラジル北部にかけての地域は「ギアナ地方」と呼ばれており、15世紀末のスペイン人探検家による「発見」後は、エル・ドラド(黄金の都)が存在する場所と考えられて多くの冒険者が訪れました。17世紀には、英国植民地のバルバドスからやってきた労働者がタバコとサトウキビのプランテーションを築きましたが、1665〜1667年の英蘭戦争の結果、スリナムはオランダの植民地となりました。18世紀末にはオランダの工学技術を駆使したパラマリボの都市計画が湿地帯まで拡張されたことで、経済の発展が加速しました。都市は独特な街路計画とオランダの建築様式が融合した建物が特徴的で、スリナム川沿いに歴史的建造物が点在しています。
地域: 南米 / 国名: スリナム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

パリのセーヌ河岸

Paris, Banks of the Seine
パリのセーヌ河岸
パリの歴史は、セーヌ川に浮かぶシテ島から始まります。今はパリのシンボルのひとつとなっているノートル・ダム大聖堂が立つ、文字通りパリの中心となる島です。この島に紀元前3世紀頃からケルト系のパリシイ人が集落を作って暮らし始めました。その後、紀元前52年頃にガリア遠征中のカエサルが率いるローマ軍に侵略されるとローマ風の都市が築かれ、河川交通の重要拠点として発展しました。4世紀中頃にパリと呼ばれるようになり、彼らが話す言葉が現在のフランス語へと発展しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院

Palau de la Música Catalana and Hospital de Sant Pau, Barcelona
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院
『バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院』は、アントニ・ガウディと同じ時代に活躍したモデルニスモ建築の巨匠、ルイス・ドメネク・イ・モンタネルによって設計された建造物群です。なかでもカタルーニャ音楽堂は、ドメネクの最高傑作との呼び声が高く、随所でユニークな設計を見ることができます。1905〜1908年にかけて建設された初期の鉄骨造りの建築で、鉄骨の骨組みの大部分をガラス張りのカーテンウォールで閉じた構造となっています。鋼鉄の骨組みを使用することで、内部の間取りを自由にできる工夫が施されていて、コンサートホールには大きなオープンスペースが連続して設けられています。ホール中央の天窓には太陽が描かれています。この天窓には、陽の光でホール内を明るく照らすなど、自然光を最大限に活用するドメネクの工夫が凝らされています。また、当時の澄明な芸術家たちが装飾を手掛けていることも特徴で、外壁には美しい虹色のモザイク・タイルで覆われています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

パレルモのアラブ・ノルマン様式の建造物群と、チェファルとモンレアーレの大聖堂

Arab-Norman Palermo and the Cathedral Churches of Cefalú and Monreale
パレルモのアラブ・ノルマン様式の建造物群と、チェファルとモンレアーレの大聖堂
長靴の形をしたイタリア半島の“つま先”近くに位置するシチリア島の北西部の海岸に、シチリア州の州都であるパレルモがあります。ノルマン人がシチリア島に入植し、1130年にノルマン・シチリア王国を建て、1194年まで存続しました。パレルモとその近郊に点在するアラブ・ノルマン様式の歴史的建造物群は、短期間に栄えたノルマン王国時代の市民生活と宗教形態を伝えています。そして、ヨーロッパやイスラム、ビザンティンなど多様な宗教や文化が、シチリアにおいて混ざり合い、受け入れられたことを示しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

パレンケの古代都市と国立公園

Pre-Hispanic City and National Park of Palenque
パレンケの古代都市と国立公園
メキシコ南東部に位置するパレンケは、現在のチアパス州の山岳地帯からタバスコ州の平原を支配した強大な王朝の拠点であったと考えられています。紀元500~700年にかけて最盛期を迎え、9世紀頃に放棄された後は、周囲のジャングルによって遺跡が埋もれていました。18世紀にスペイン人の宣教師によって再発見されましたが、現在もほとんどは密林の中に埋もれています。しかし遺跡は当時の良好な状態で残っており、当時のパレンケでの様子が解明されつつあります。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群

Humberstone and Santa Laura Saltpeter Works
ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群
ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群は、チリ北部に位置する、世界で最も乾燥した砂漠のひとつであるパンパ地帯に存在した200以上の硝石精製所を代表する遺構です。1880年から60年以上にわたり、「パンピーノ」と呼ばれるチリ、ペルー、ボリビアから集まった数千人の労働者たちが、過酷な環境の中で世界最大級の硝石鉱床を開発し、農業用肥料である硝酸ナトリウムを生産しました。硝石は18世紀後半に爆薬として欧米に輸出されていましたが、1830年代に肥料としての効果がヨーロッパで発見されると、アメリカやロシア、アルゼンチンやブラジル、キューバなどの地域で需要が高まりました。肥料は北米・南米、ヨーロッパの農地を変革し、チリに莫大な富をもたらしました。しかし、1930年代以降、需要の低下に伴い市場は縮小し、1959年には工場は閉鎖されました。
地域: 南米 / 国名: チリ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

パンプーリャの近代建造物群

Pampulha Modern Ensemble
パンプーリャの近代建造物群
パンプーリャの近代建造物群は、1940年代にブラジルのミナス・ジェライス州ベロオリゾンテで生まれた、革新的な庭園都市プロジェクトの中心です。人工湖の周囲に配置されたこれらの建造物は、建築家オスカー・ニーマイヤーが設計を手がけました。カジノ、ダンスホール、教会などからなるこの複合施設は、単なる建築物の集合ではなく、都市計画と建築が一体となった先進的なモダニズムの理念を体現しています。
地域: 南米 / 国名: ブラジル連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2016年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

バンベルクの旧市街

Town of Bamberg
バンベルクの旧市街
バンベルクは、ドイツ南部のバイエルン州北部フランケン地方に位置しています。町の基本的な構造は初期中世の都市計画をよく残しており、中世の宗教建築や世俗建築が数多く現存している中央ヨーロッパの都市の好例となっています。バイエルン公ハインリヒ2世が1007年にドイツ王となった際、彼はバンベルクを司教座の所在地とし、「第二のローマ」とすることを意図しました。現在の町が示している、農業(市場向けの菜園やブドウ畑)と都市の流通拠点との結びつきは、特に興味深いものです。10世紀以降、バンベルクはスラヴ諸民族、特にポーランドやポメラニアの人々との重要な交流拠点となりました。12世紀以降の最盛期には、この町の建築は北ドイツやハンガリーに強い影響を与えました。18世紀後半には、バンベルクは南ドイツにおける啓蒙思想の中心地となり、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルやE.T.A.ホフマンといった著名な哲学者や作家がここに住んでいました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

万里の長城

The Great Wall
万里の長城
『万里の長城』は、紀元前3世紀から17世紀まで、約2,000年にわたって築かれた中国最大の防衛施設です。総延長は2万kmを超え、河北省・山海関から甘粛省・嘉峪関まで、広大な範囲におよびます。構造は、城壁、望楼、馬道、狼煙台、関所など多様な構造からなり、地域や時代ごとに用いた素材や建築技術が異なります。特に明代には、煉瓦を用いた高度な技術が導入され、堅固な長城が形成されました。世界遺産として登録されているのは、保存状態が良好な「八達嶺」「山海関」「嘉峪関」の3つの主要なエリアです。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ビーソトゥーン

Bisotun
ビーソトゥーン
イラン西部の古代の交易路上にあるビーソトゥーン(「神々の場所」の意)には、先史時代からメディア王国、アケメネス朝、ササン朝そしてイル・ハン国時代までの遺跡が残っています。中でも、紀元前6世紀にアケメネス朝のダレイオス1世(大王)が王位についたことを記念して彫られた摩崖碑は重要で、一般には英語読みの「ベヒストゥン碑文」として知られています。ここにはダレイオス1世の等身大の浅浮彫と並んで、彼の時代の帝国統治や歴史的事件等が楔形文字で記されています。1,200行に及ぶ碑文は、エラム語とバビロニア語そして古代ペルシャ語の3か国語でほぼ同じ内容が書かれており、この時代唯一残された歴史的文書であることもあり、古代言語学的にも歴史学的にもとても価値のあるものです。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2006年 / 登録基準: (ii)(iii)
詳細ページを見る Arrow-right

ピエモンテとロンバルディアのサクロ・モンテ群

Sacri Monti of Piedmont and Lombardy
ピエモンテとロンバルディアのサクロ・モンテ群
サクロ・モンテ(聖山)とは、聖書の物語を描いた絵画や彫刻を収める聖堂を山の中に築き、それらを巡礼することで信仰を深める宗教施設群のことです。サクロ・モンテを築く運動は、エルサレムやパレスチナなど聖地に代わる祈りの場をヨーロッパにつくるのが目的で、15世紀から16世紀初頭にかけて始まりました。当時、イスラム勢力の急速な拡大で、巡礼者にとって聖地へのアクセスが困難になっていたことが背景にありました。北イタリアのピエモンテとロンバルディアにある9つのサクロ・モンテには、16世紀後半から17世紀にかけての建築的特色が残る教会群があり、キリスト教信仰のさまざまな様相が表現されています。これらは、丘陵、森林、湖といった周囲の自然と見事に調和した景観を作り上げており、その深い美しさを可能にした技法も高く評価されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ピエンツァの歴史地区

Historic Centre of the City of Pienza
ピエンツァの歴史地区
ピエンツァはイタリア中部のトスカーナ地方にあり、15世紀半ば、都市計画に基づいてつくられた街です。それ以前は、コルシニャーノと呼ばれた小村でしたが、この地の出身で1458年にローマ教皇に選出されたピウス2世は、ルネサンス様式による「理想の街」に改造することを決めました。翌1459年に、フィレンツェの建築家であるベルナルド・ロッセリーノに設計を依頼し、3年後の1462年に大聖堂とピウス2世広場を完成させました。そして街の名称も、創建者のピウス2世にちなんで、「ピウスの町」という意味の「ピエンツァ」に改められました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ビガンの歴史地区

Historic City of Vigan
ビガンの歴史地区
フィリピン北部、ルソン島の南シナ海を望む港街ビガンは、スペイン植民地時代の面影を色濃く残しています。 16世紀後半にスペインの植民地として築かれ、中国やメキシコとの交易の拠点として繁栄しました。街はスペインの都市計画に基づいて碁盤目状に整備されています。石畳の通りには、外観はスペイン風だが、中国やフィリピンの伝統的な建築様式が採用された家屋が並んでいます。石と木を組み合わせた家屋はタガログ語で「バハイ・ナ・バト」と呼ばれています。中国やイロカノ、フィリピンの要素が混在しているという点で、スペイン植民地であったラテンアメリカの諸都市とは顕著な違いが見られます。イロカノとは、ルソン島北西部のイロコス地域に住むマレー系の民族のことです。
地域: 東・東南アジア / 国名: フィリピン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right