World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(iv))

アーヘンの大聖堂

Aachen Cathedral
アーヘンの大聖堂
アーヘンの大聖堂は、古典様式とビザンツ様式を融合した「カロリング・ルネサンス」を象徴する建物であり、八角形の中心部を十六角形の周歩廊が取り囲む集中式の構造を持っています。そのドーム天井はアルプス以北で最大のドーム建築とされ、現存しないもののその天井を飾っていたモザイク装飾なども世界遺産登録の際に評価されました。大聖堂は中世以降増築を重ねられており、ゴシック様式の内陣やバロック様式の円蓋など様々な建築様式を複合させた特徴的な建造物となっています。また、世界遺産としては1978年に最初に登録された12件の遺産のうちのひとつとしても有名です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1978年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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アールフェルトのファーグス靴型工場

Fagus Factory in Alfeld
アールフェルトのファーグス靴型工場
ファーグス靴型工場は、ドイツ・ニーダーザクセン州のアルフェルト・アン・デア・ライネに位置し、1910年頃に近代建築家ヴァルター・グロピウスの設計により建設が始まった、10棟からなる建築複合体です。モダニズムの建築美と工業デザインの発展における画期的なランドマークで、のちにグロピウスが校長を務めたドイツの総合造形学校バウハウスが打ち出す、モダニズム的な建築様式の草分けともいわれています。靴製造業で使用される木型(ラスト)の製造、保管、出荷のすべての工程を担うこの施設は、現在も稼働中です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (ii)(iv)
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アイアンブリッジ峡谷

Ironbridge Gorge
アイアンブリッジ峡谷
イギリス中部、バーミンガム西部のセヴァーン川上流に位置するアイアンブリッジ峡谷には、18~19世紀の産業革命期の象徴ともいえる鉄鋼業地帯が広がっています。 この峡谷に架かるアイアンブリッジは、全長約60m、総重量約400tというスケールで世界初の鉄橋として誕生し、峡谷の名称の由来となりました。 アイアンブリッジは、産業革命期のイギリスで発展した製鉄技術と大量生産を背景に、輸送効率の向上を目的として建設されました。そして1781年に開通してから約250年が経った現在、歩行者専用ではありますが、今も渡ることができます。
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アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群

Luther Memorials in Eisleben and Wittenberg
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念碑群は、ドイツ中部のザクセン=アンハルト州に位置し、マルティン・ルターとその盟友であるフィリップ・メランヒトンの生涯に深く関わる場所です。これらには、ヴィッテンベルクのルターの部屋、ルターの同士メランヒトンの家、聖マリア聖堂、ヴィッテンベルク城の付属聖堂、アイスレーベンのルターの生家と没した家が含まれます。特にヴィッテンベルク城の付属聖堂は、1517年10月31日にルターが有名な「95か条の論題」を掲げた場所であり、これは宗教改革の幕開けとなり、西洋の宗教史・政治史に新たな時代をもたらしました。宗教改革とルターの生涯における決定的な出来事の舞台として、ドイツ国内だけでなく、西洋世界の政治、文化、精神的な歴史において極めて重要な意義を持っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (iv)(vi)
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アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋

Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge
アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋
フランス南部のローヌ川沿いにあるアヴィニョンは、今は小さく静かな街ですが、歴史的にみるとキリスト教カトリック世界の中心地として大きな影響力をもった場所でした。フランス王フィリップ4世と教皇ボニファティウス8世の対立から始まる、教皇権と王権の優位を巡る争いにより、フィリップ4世の意向の下でボニファティウス8世の次の教皇クレメンス5世が1309年に教皇庁をアヴィニョンに遷しました。そこから1377年までの68年間、教皇庁宮殿が築かれ、ノートルダム・デ・ドン大聖堂にゴシック様式の礼拝堂などが増築されたほか、貴族や芸術家、文化人が訪れる華やかな宗教都市として発展しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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アウクスブルクの水管理システム

Water Management System of Augsburg
アウクスブルクの水管理システム
これは、14世紀以降現代に至るまで継続的に機能してきた給水・排水・エネルギー利用といった水利用のシステムを総合的に示す遺産です。この技術の中でも特筆すべきは、衛生学に関する研究が進むはるか以前の1545年から飲料水(湧き水を利用)と加工用水(河川の水を利用)とを厳格に分離していた点です。水源と二種類の水を分離するための運河網や水路群、15世紀から17世紀にかけて建てられた給水塔などがこのシステムに含まれており、アウクスブルクが立地する地形(台地)に合わせて形成されています。これらのシステムは、アウクスブルクの都市としての発展や繁栄の礎となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (ii)(iv)
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アクィレイアの考古地区とバシリカ総主教聖堂

Archaeological Area and the Patriarchal Basilica of Aquileia
アクィレイアの考古地区とバシリカ総主教聖堂
イタリア北東部のアドリア海北端、ナティッサ川沿いにあるローマ帝国の都市遺跡です。紀元前181年に共和政ローマによって軍事目的で築かれた植民都市で、452年にアッティラ王率いるフン族により略奪・破壊されるまで、数百年間にわたり、地中海とヨーロッパ内陸部を結ぶ交易の拠点として栄えました。当時の繁栄は残された公共施設跡や個人邸宅跡からうかがい知ることができます。この都市遺跡はまだ大部分が未発掘のままです。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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アクスムの考古遺跡

Aksum
アクスムの考古遺跡
エチオピア北部ティグレ州にある『アクスムの考古遺跡』は、かつてのアクスム王国の繁栄を知ることができる貴重な遺跡です。アクスム王国の歴史は古く、1世紀前後に建国されたと言われています。以降、9世紀頃までビザンツ帝国やササン朝ペルシアなどと対峙しながらも象牙貿易などで繁栄しました。しかし、7世紀にイスラーム勢力が拡大すると、衰退に向かいます。滅亡した時期は未だ断定されておらず、950年頃や1137年頃という説が有力です。アクスム王国は古代アフリカの国としては珍しくキリスト教を受容し、国教としていきます。なお、このキリスト教とは、451年のカルケドン公会議で異端となったキリスト単性説を教義とするものであり、ローマ・カトリック教会とは異なります。
地域: アフリカ / 国名: エチオピア連邦民主共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1980年 / 登録基準: (i)(iv)
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アグリジェントの考古地区

Archaeological Area of Agrigento
アグリジェントの考古地区
イタリアのシチリア島西部にある『アグリジェントの考古地区』は、紀元前6世紀に「アグラガス」という名で建設された古代ギリシャの植民都市の遺跡です。人口は約30万人ほどだったと言われ、紀元前406年にフェニキア人の都市であるカルタゴに滅ぼされるまで、約150年以上繁栄しました。その美しさに関しては、当時の叙情詩人であるピンダロスに、「人間が建設した最も美しい町」と言わせるほどでした。古代遺跡は、地中海を見下ろすアクロポリスにあり、「神殿の谷」と言われる一帯には、約20のギリシャ神殿がほぼ一直線状に並んでいます。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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アスキア墳墓

Tomb of Askia
アスキア墳墓
マリ共和国の南東部ガオには、高さ17mもあるピラミッド型をしたアスキア墳墓が残っています。これは1495年、かつてニジェール川流域を中心に繁栄したソンガイ帝国の時代に造営されたもので、ガオはその都でした。この帝国を治めていたアスキア・モハメド王は、信心深いイスラム教徒で、後にイスラム教を国教に定めました。アスキア・モハメド央の泥を固めてつくられている墳墓は、丸みを帯びた形が特徴で、西アフリカのサヘル地域特有の建築様式を代表する建造物です。15世紀から16世紀にかけて、同帝国は岩塩と金を中心としたサハラ交易を掌握しましたが、これはその時代の栄華を物語るものだとも言えます。付近一帯には墳墓のほか、平屋根の2つのモスク、共同墓地、野外集会所も残存します。2012年、地域紛争の勃発による破壊などを理由に、危機遺産リストに登録されました。
地域: アフリカ / 国名: マリ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築物群

Monuments of Oviedo and the Kingdom of the Asturias
アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築物群
スペイン北西部、アストゥリアス地方の中心都市オビエドは、かつてアストゥリアス王国時代に首都として君臨していました。この地はイスラム勢力に征服されたのち、レコンキスタの口火を切った西ゴート王国の貴族ペラーヨによって奪還され、718年にアストゥリアス王国が建国されます。その後、8~10世紀にかけて首都オビエドに幾つものキリスト教の教会が建てられ、現在ではオビエド市街や郊外に残る6つの教会と関連施設が世界遺産として登録されています。特徴的なのは、プレロマネスク様式の1つであるアストゥリアス様式で建造されている点です。その代表例がサンタ・マリア・デル・ナランコ教会で、装飾や彫刻、ファサードなどがビザンツ様式から着想を得て建てられています。この教会建築が後のイベリア半島における建築様式の発展に強い影響を与えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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アスマラ:アフリカのモダニズム都市

Asmara: A Modernist African City
アスマラ:アフリカのモダニズム都市
アスマラは、標高2,000mを超える高地に位置するエリトリアの首都です。1890年代以降、宗主国・イタリアの植民地支配の軍事拠点となり、アフリカ大陸に進出するための要、「第2のローマ」として発展しました。1935年以降には、当時のイタリアに起こっていた近代建築運動(モダニズム建築運動)「イタリア合理主義」の様式を応用した大規模な建設計画が実施され、都市が整備されました。
地域: アフリカ / 国名: エリトリア国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iv)
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アゾレス諸島の港町アングラ・ド・エロイズモ

Central Zone of the Town of Angra do Heroismo in the Azores
アゾレス諸島の港町アングラ・ド・エロイズモ
ポルトガル本土から飛行機で約2時間半、北大西洋に浮かぶアゾレス諸島は9つの島から成る火山群島です。15世紀初頭にポルトガル人が発見し、植民地としました。この群島の中心部、テルセイラ島にある「アングラ・ド・エロイズモ」は、大航海時代に、欧州と新大陸、アフリカ西海岸とを行き交う船の寄港地として栄えた港湾都市です。ここは、天然の港に恵まれ、航海に欠かせない真水の供給が可能であったこと、防御に最適な環境であることなど、港湾都市としての要素を備えていました。そして、戦略的にも有利なロケーションにあったことから、19世紀に蒸気船が登場するまで、新大陸への中継地として発展しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポルトガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (iv)(vi)
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アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群

Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
中世の面影を残す街並みを持つ都市アッシジは、ローマの北約130㎞の位置にあるスバジオ山の斜面に扇上に広がります。この街の裕福な商人の家に生まれたフランチェスコは、戦争で捕虜となり熱病に侵された際に、神の啓示を受けたとされています。やがて、説教活動を始め、愛と平和を説き、貧しくあることが神の道としました。そして、清貧であることを実践する彼の教えに感銘を受けた同志と共に、フランシスコ修道会を設立しました。アッシジの貴族の令嬢であったキアラは、フランチェスコに弟子入りして、フランシスコ会の女子修道会を設立しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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アッシュル(カラット・シェルカット)

Ashur (Qal'at Sherqat)
アッシュル(カラット・シェルカット)
バグダッドの北約390km、メソポタミアのチグリス川中流域に位置するアッシュルは、かつて存在したアッシリア帝国最初の首都となった都市です。現在ではカラット・シェルカットと呼ばれています。都市の起源は紀元前3千年紀前半、シュメール人の初期王朝が存在していた時代に遡ります。アッカド帝国(紀元前2334~前2154年頃)の時代には重要な中心地であり、ウル第3王朝(紀元2112~前2004年頃)には統治下に置かれていました。紀元前14世紀から前9世紀にかけては、アッシリア帝国の都が置かれ、西アジアの交易都市として発展していきます。しかし、紀元前612年に新バビロニアとメディアにより破壊され、その後1~2世紀のパルティア時代に都市は再建されました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラク共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (iii)(iv)
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アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)

Via Appia. Regina Viarum
アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)
アッピア街道は、紀元前312年にローマの執政官アッピウス・クラウディウス・カクエスの指導のもとに建設されました。最初は軍事的な目的で、ローマとカプアを結ぶために造られ、その後、ベネヴェントゥム、タレントゥム、ブリンディジウムへと延伸されました。これにより、東方や小アジアへのローマの拡大が促進され、街道は軍事征服だけでなく、農業生産や交易の発展にも寄与し、ローマ帝国の繁栄を支える重要なインフラとなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2024年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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アテネのアクロポリス

Acropolis, Athens
アテネのアクロポリス
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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アニの考古遺跡

Archaeological Site of Ani
アニの考古遺跡
トルコ北東部にある『アニの考古遺跡』は、アルメニアとの国境に近い高原に築かれた中世の都市遺跡です。深い渓谷に囲まれたエリアにあり、住居・教会・城壁などが残っています。10~11世紀にはアルメニア王国バグラトゥニ朝の首都として栄え、シルク・ロードの支線を押さえたことで交易の中心地となりました。その後、ビザンツ帝国やセルジューク朝などに支配され、多文化が交わる都市として発展しますが、モンゴルの侵入と1319年の大地震で衰退しました。このアニでは、アルメニア、ジョージア、イスラムの文化が融合した独自の建築様式が生まれ、中世建築の発展を一望できる貴重な遺跡となっています。現在では、多様な建築技術や都市計画を学べる場所として、歴史や考古学を学ぶ学生にとっても重要な研究対象となっています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2016年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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アビラの旧市街と城壁外の教会群

Old Town of Ávila with its Extra-Muros Churches
アビラの旧市街と城壁外の教会群
11世紀、レコンキスタ(国土回復運動)によってキリスト教徒を再入植させることに成功したアビラは、イスラム勢力からの反撃に備えるために街全体を城壁で取り囲み要塞化しました。9年の歳月を費やして完成した城壁は、高さ12m×全長2.5kmの規模を誇り、半円形の88の塔に9つの門を備えて、堅牢な姿でそびえ立っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (iii)(iv)
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アフパットとサナインの修道院

Monasteries of Haghpat and Sanahin
アフパットとサナインの修道院
301年に世界で初めてキリスト教を国教としたアルメニアの、ロリ地方に位置する『アフパットとサナインの修道院』は、主に10世紀から13世紀に創設された2つの修道院です。長きにわたりアルメニア教会の中心拠点として重要な役割を果たしてきたこの場所は、10世紀以降に最盛期を迎え、500人程度の僧が暮らし学んでいました。ビザンツ教会建築とコーカサスの伝統的な建築様式の要素が融合した独特な建築様式を持ち、アルメニアの宗教建築を代表する修道院群となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: アルメニア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (ii)(iv)
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アフロディシアス

Aphrodisias
アフロディシアス
アフロディシアスは、トルコの南西部、モルシナス渓谷の上流にあり、都市遺跡とその北東部にある大理石の採石場で構成されています。古くはレルゴノポリス、メガロポリスと呼ばれていましたが、紀元前2世紀にローマ帝国の支配が強化されたことで、この街は神聖な場所としての重要性を増し、美、愛、自然、豊かさの女神アフロディーテに由来してアフロディシアスの名前が付けられました。街の中心には、女神を祀ったアフロディーテ神殿つくられ、現在も堂々とした14本の柱を見ることができます。発掘調査によると、劇場の壁に書かれた文字に「カエサルから女神アフロディーテに贈った黄金のエロス像」とあることから、カエサルはこの街に来て女神に忠誠を捧げたと考えられています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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アボメーの王宮群

Royal Palaces of Abomey
アボメーの王宮群
アボメーの王宮群は、1625年から1900年にかけて栄えた強力なダホメ王国の主要な歴史的記念物です。ダホメ王国は奴隷貿易で富を得たため、これにより一帯は「奴隷海岸」と呼ばれました。12人の王が王位を継承する中で、王たちは代々、土壁で囲まれた同じ敷地内に宮殿を建て続けました。10の宮殿跡が世界遺産になっています。これらの宮殿は、当時の政治的、文化的中心地であり、失われた王国の栄光の過去を伝える貴重な証言となっています。
地域: アフリカ / 国名: ベナン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (iii)(iv)
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アマルフィ海岸

Costiera Amalfitana
アマルフィ海岸
ソレントからサレルノに至る約30kmにわたる絶景の海岸線とその街並みが世界遺産に登録されています。この町は中世初期から漁村群にはじまり、そそり立つ岩壁に沿うように家屋や吊り橋、風の塔などが作られ、町として発展していきました。限られた平坦な土地にはワインになるブドウ畑やレモン畑が作られ、海岸線と町と相まった文化的景観も評価されています。アマルフィは、9世紀から11世紀にかけて海洋貿易によって繁栄した海洋国家でした。イスラムの国々とも貿易を通して交流し、家々が迷路のように路地や階段でつながった様子は、トルコのスークのよう。漁師の守り神・聖アンドレアに捧げられた「アマルフィ大聖堂」や、「聖アンドリュー大聖堂」は「アラブ・ノルマン」様式として知られる東洋と西洋の要素の融合が見て取れます。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iv)(v)
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アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区

Seventeenth-century canal ring area of Amsterdam inside the Singelgracht
アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区
13世紀にアムステル川にダムをつくり、海水の侵入を防いでそこに集落が成立したのが現在の「アムステルダム」の起源です。現在の運河地区は16世紀末から17世紀初頭にかけての湾岸都市プロジェクトとして建設されました。一番外側の「ジンフェルグラハト」まで扇状に広がる運河をつくり、さらに同心円状に運河を整備し、その間の土地(沼沢地)を排水して市街地化していきました。この町の運河と都市景観は美しいだけでなく実用的でかつ経済的なものです。16世紀末以降、オランダは海洋国家として黄金期を迎えていました。日本を含むアジアとの交易等で莫大な富を蓄え、アムステルダムは世界有数の富裕都市となりました。そしてその非常に均質な街並みは19世紀に至るまで大規模都市計画のモデルとなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: オランダ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2010年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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アラゴンのムデハル様式建築

Mudejar Architecture of Aragon
アラゴンのムデハル様式建築
スペインのアラゴン州にあるムデハル様式の建築群は、12~17世紀にかけて、レコンキスタ後もアラゴン王国への残留が許されたイスラム教徒らにより建設されました。現存する10件の建造物には、テルエルのサンタ・マリア・デ・メディアビーリャ大聖堂やサン・ペドロ聖堂、州都サラゴサのアルハフェリア宮殿やサン・パブロ聖堂などが含まれ、世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (iv)
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アランフエスの文化的景観

Aranjuez Cultural Landscape
アランフエスの文化的景観
マドリードの南約30km、タホ川の南岸には15〜18世紀にカスティーリャ王やスペイン王によってつくられた王家の夏の離宮と無数の庭園が今に残されています。アランフエスの文化的景観には、入り組んだ水路が幾何学的にデザインされた景観、自然と人間の営み、都市と農村の生活、森林の野生動物と洗練された建築物など、多様な要素が織り交ぜられています。王家の繁栄を今に伝える離宮と庭園はロドリーゴ作曲の『アランフエス協奏曲』によって世界中に知られました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iv)
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アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒリ、ビダ・ビント・サウードとオアシス群)

Cultural Sites of Al Ain (Hafit, Hili, Bidaa Bint Saud and Oases Areas)
アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒリ、ビダ・ビント・サウードとオアシス群)
アラブ首長国連邦の東部に位置するアル・アインは、砂漠地帯にありながら、緑に恵まれた都市です。ここには、新石器時代から営まれてきた人々の暮らしや先史時代の文化を伝える17の遺跡群があります。紀元前2500年頃の円形の墓石や、日干しレンガ造りの住居や塔、宮殿、行政施設などは、当時の定住生活を示す遺構です。また、鉄器時代のものとされる灌漑システム「アフラージュ」の跡も見つかっています。これはアラブ地域で最古級の例とされており、砂漠地帯で、人々は地下深くから水を汲み上げる知恵をもって生き抜いていたことを示しています。
地域: 西・南アジア / 国名: アラブ首長国連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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アル・アハサ・オアシス:進化する文化的景観

Al-Ahsa Oasis, an Evolving Cultural Landscape
アル・アハサ・オアシス:進化する文化的景観
アラビア半島東部に位置するアル・アハサ・オアシスは紀元前の新石器時代から人々が住んでいることが証明されている、世界最大のオアシスです。また、250万本ものナツメヤシが生育し、1960年代に大量生産技術が導入されるまでは、世界最大のナツメヤシ生産地でありました。今でもナツメヤシはこの地の人々にとっては主食であり、地元住民はナツメヤシの包装や販売、流通に深く携わっています。また、このオアシスには庭園や運河、農業用排水湖など12の構成資産が残り、素晴らしい文化的景観が広がっています。
地域: 西・南アジア / 国名: サウジアラビア王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区

University and Historic Precinct of Alcalá de Henares
アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区
マドリード郊外にあるアルカラ・デ・エナレスは、小説『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の作者ミゲル・デ・セルバンテスの出身地として知られています。ここは、世界で最初に計画された大学都市です。1508年、カスティーリャ王国の摂政を務めたシスネロス枢機卿がキリスト教の理想郷を目指し、この地にアルカラ・デ・エナレス大学を開学したことから学園都市の歴史は始まります。シスネロス卿は土地を購入し、大学都市の実現に必要なインフラを整備しました。この計画には、大学、寮、病院、印刷所などが含まれており、世界初の多言語対訳聖書も刊行されました。19世紀に大学はマドリードへ移転しコンプルテンセ大学となりますが、市民が資金を出してこの地に建物を残し、1977年にアルカラ・デ・エナレス大学として再開校しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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アルコバサの修道院

Monastery of Alcobaça
アルコバサの修道院
ポルトガルの首都リスボンの北にある『アルコバサの修道院』は、ポルトガルにおける初期ゴシック様式最大のシトー会修道院です。1143年にポルトガル初代国王に即位したアフォンソ1世は、1152年にはアルコバサ周辺の開拓を委任する形で、シトー会へ一帯の土地を譲渡します。これには、当時キリスト教世界で力をつけ始めたシトー会の聖ベルナールから支援を得たいというアフォンソ1世の目論見があったと言われています。修道院の建設は1178年に開始されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポルトガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (i)(iv)
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