World Heritage Sites

西・南アジア | 世界遺産一覧

アーグラ城

Agra Fort
アーグラ城
インド北部、ニューデリーの南約200kmの古都アーグラにあるムガル帝国の旧都城です。16世紀に第3代皇帝アクバルが建設しましたが、現在城内に残る建築物の大部分は第5代シャー・ジャハーン時代の造営です。外見は赤砂岩造りの二重の城壁と門が象徴的で「赤い城」の名の由来となっています。シャー・ジャハーンの時代には宮廷建築群など華麗なムガル朝の建築が花開きましたが、17世紀のデリーへの遷都、その後の反乱や略奪などでその栄華は衰えました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (iii)
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アーメダバードの歴史都市

Historic City of Ahmadabad
アーメダバードの歴史都市
インド西部にある「アフマダの都市」という名の「アフマダーバード」(英語読みでは「アーメダバード」)は、15世紀にこの地を支配していたイスラム系のグジャラート・スルタン朝のアフマド・シャー1世により建設されました。ここにはこのスルタン統治時代の建築物も数多く残っています。その後16世紀からムガル帝国の支配下に、さらに18世紀からはマラータ同盟都市となりましたが、約600年間繁栄し続け、ほぼ原形を保ってきた街並みが残されています。「プーラ」と呼ばれる伝統的な通りや「ポル」という門を持つ集合住宅が特徴的です。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(v)
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アジャンターの石窟寺院群

Ajanta Caves
アジャンターの石窟寺院群
インド西部ムンバイから北東に360kmの岩崖に、インド最古期の仏教壁画が残る石窟寺院があります。約600mほどの岩崖に点在する大小30の石窟は、前期(紀元前2世紀〜後2世紀)と後期(グプタ朝最盛期の5世紀〜7世紀)にかけて造営されました。高さ 石窟寺院群は、インドにおける仏教の衰退とともに忘れ去られていましたが、19世紀初頭に英国駐留軍の士官がトラ狩りの最中に偶然「発見」し、再び日の目を見ることとなりました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(vi)
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アッコの旧市街

Old City of Acre
アッコの旧市街
イスラエル北部の地中海に面するアッコは、フェニキア時代から継続的に居住されてきた、城壁に囲まれた港街です。1104年、第1回十字軍の指導者の1人であるボードゥアン1世がアッコを占領し、パレスチナにおける十字軍活動の拠点として港湾都市が築かれました。1187年、アイユーブ朝のサラディン軍によってエルサレムが征服された後、アッコはエルサレム王国最後の拠点となりましたが、1291年にマムルーク朝の攻撃を受けて陥落しました。その後、200年以上にわたりマムルーク朝によって統治されました。アッコの地下には、十字軍によって築かれた要塞やキリスト教の礼拝堂、要塞と港をつなぐトンネル、商店街など十字軍の遺構がそのまま埋もれており、十字軍によって築かれた街全体が遺跡として残っている唯一の例であるとされています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iii)(v)
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アッシュル(カラット・シェルカット)

Ashur (Qal'at Sherqat)
アッシュル(カラット・シェルカット)
バグダッドの北約390km、メソポタミアのチグリス川中流域に位置するアッシュルは、かつて存在したアッシリア帝国最初の首都となった都市です。現在ではカラット・シェルカットと呼ばれています。都市の起源は紀元前3千年紀前半、シュメール人の初期王朝が存在していた時代に遡ります。アッカド帝国(紀元前2334~前2154年頃)の時代には重要な中心地であり、ウル第3王朝(紀元2112~前2004年頃)には統治下に置かれていました。紀元前14世紀から前9世紀にかけては、アッシリア帝国の都が置かれ、西アジアの交易都市として発展していきます。しかし、紀元前612年に新バビロニアとメディアにより破壊され、その後1~2世紀のパルティア時代に都市は再建されました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラク共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (iii)(iv)
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アニの考古遺跡

Archaeological Site of Ani
アニの考古遺跡
トルコ北東部にある『アニの考古遺跡』は、アルメニアとの国境に近い高原に築かれた中世の都市遺跡です。深い渓谷に囲まれたエリアにあり、住居・教会・城壁などが残っています。10~11世紀にはアルメニア王国バグラトゥニ朝の首都として栄え、シルク・ロードの支線を押さえたことで交易の中心地となりました。その後、ビザンツ帝国やセルジューク朝などに支配され、多文化が交わる都市として発展しますが、モンゴルの侵入と1319年の大地震で衰退しました。このアニでは、アルメニア、ジョージア、イスラムの文化が融合した独自の建築様式が生まれ、中世建築の発展を一望できる貴重な遺跡となっています。現在では、多様な建築技術や都市計画を学べる場所として、歴史や考古学を学ぶ学生にとっても重要な研究対象となっています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2016年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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アフラージュ-オマーンの灌漑システム

Aflaj Irrigation Systems of Oman
アフラージュ-オマーンの灌漑システム
アフラージュとは、井戸の底を横穴でつなげた灌漑システムのことです。そのもととなるファラジ(アフラージュはファラジの複数形)はオマーンに約3,000あると言われています。その歴史は古く、紀元前2500年頃から存在していたという説もあります。アフラージュでは地下水や地表水などの限られた水資源が収集され、家庭用およびナツメヤシを含めた農業用水として公平に分配されました。その際、日時計などで各水路に水を流す時間を管理していました。このあたりは年間降水量が非常に少ないため、水の分配は命に関わることでした。先人たちの知恵により造られたこれらの灌漑施設は、今でも現役で稼働しており、重要な役割を果たしています。
地域: 西・南アジア / 国名: オマーン国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2006年 / 登録基準: (v)
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アフロディシアス

Aphrodisias
アフロディシアス
アフロディシアスは、トルコの南西部、モルシナス渓谷の上流にあり、都市遺跡とその北東部にある大理石の採石場で構成されています。古くはレルゴノポリス、メガロポリスと呼ばれていましたが、紀元前2世紀にローマ帝国の支配が強化されたことで、この街は神聖な場所としての重要性を増し、美、愛、自然、豊かさの女神アフロディーテに由来してアフロディシアスの名前が付けられました。街の中心には、女神を祀ったアフロディーテ神殿つくられ、現在も堂々とした14本の柱を見ることができます。発掘調査によると、劇場の壁に書かれた文字に「カエサルから女神アフロディーテに贈った黄金のエロス像」とあることから、カエサルはこの街に来て女神に忠誠を捧げたと考えられています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒリ、ビダ・ビント・サウードとオアシス群)

Cultural Sites of Al Ain (Hafit, Hili, Bidaa Bint Saud and Oases Areas)
アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒリ、ビダ・ビント・サウードとオアシス群)
アラブ首長国連邦の東部に位置するアル・アインは、砂漠地帯にありながら、緑に恵まれた都市です。ここには、新石器時代から営まれてきた人々の暮らしや先史時代の文化を伝える17の遺跡群があります。紀元前2500年頃の円形の墓石や、日干しレンガ造りの住居や塔、宮殿、行政施設などは、当時の定住生活を示す遺構です。また、鉄器時代のものとされる灌漑システム「アフラージュ」の跡も見つかっています。これはアラブ地域で最古級の例とされており、砂漠地帯で、人々は地下深くから水を汲み上げる知恵をもって生き抜いていたことを示しています。
地域: 西・南アジア / 国名: アラブ首長国連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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アル・アハサ・オアシス:進化する文化的景観

Al-Ahsa Oasis, an Evolving Cultural Landscape
アル・アハサ・オアシス:進化する文化的景観
アラビア半島東部に位置するアル・アハサ・オアシスは紀元前の新石器時代から人々が住んでいることが証明されている、世界最大のオアシスです。また、250万本ものナツメヤシが生育し、1960年代に大量生産技術が導入されるまでは、世界最大のナツメヤシ生産地でありました。今でもナツメヤシはこの地の人々にとっては主食であり、地元住民はナツメヤシの包装や販売、流通に深く携わっています。また、このオアシスには庭園や運河、農業用排水湖など12の構成資産が残り、素晴らしい文化的景観が広がっています。
地域: 西・南アジア / 国名: サウジアラビア王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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アル・ズバラ考古学的地区

Al Zubarah Archaeological Site
アル・ズバラ考古学的地区
ペルシャ湾沿岸の城壁に囲まれた町アル・ズバラは、18世紀後半から19世紀初頭にかけての約50年間という短い期間に真珠採取と貿易の中心地として繁栄しました。クウェート出身のウトゥブ商人によって築かれ、真珠の輸出で大きな役割を果たし、最盛期にはインド洋、アラビア半島、西アジアとの広範な貿易関係が築かれました。アル・ズバラは現在のカタール沿岸部やペルシャ湾岸地域に栄えた要塞化された交易都市の一つであり、イスラム初期あるいはそれ以前から20世紀にかけて続いた沿岸都市の交易と真珠採取の伝統を示す優れた証拠とされています。また、オスマン帝国やヨーロッパ諸国、ペルシャなどの大国の支配を受けることなく繁栄した小さな独立国家群の発展を促し、最終的には現代の湾岸諸国の成立につながった都市基盤の好例と見なされています。
地域: 西・南アジア / 国名: カタール国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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アルスランテペの遺丘

Arslantepe Mound
アルスランテペの遺丘
トルコ中央部、肥沃なマラティヤ平原に位置するアルスランテペは、紀元前6000年紀には人が住んでいたことがわかる高さ30mの考古学的遺丘です。「ライオンの丘」を意味し、これはヒッタイト時代の遺跡からライオン像が発見されたことに由来因ています。ウルやウルクなどのさまざまな都市国家がメソポタミア地方で出現しますが、それらの都市国家の影響を、アルスランテペは少なからず受けていたことも知ることができます。また、世界最古の文字は、メソポタミア地方でシュメール人が使用していたとされる楔形文字と言われていますが、それよりはるか前にこの地域で、官僚制度が登場したことも判明しています。文字のなかった時代(先史時代)で官僚制度が存在したというのは俄かに信じがたいかもしれませんが、食料の分配や物資の移動を管理するために用いられた何千もの印影が発見されたことから、官僚制度が存在していたことが明らかとなりました。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (iii)
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アルダビールのシャイフ・サフィ・アッディーン廟と関連建造物群

Sheikh Safi al-din Khānegāh and Shrine Ensemble in Ardabil
アルダビールのシャイフ・サフィ・アッディーン廟と関連建造物群
イラン北西部のアルダビールはイスラム王朝サファヴィー朝の前身であるイスラム教神秘主義(スーフィズム)のサファヴィー教団発祥の地です。ここには16世紀から18世紀初頭にかけてサファヴィー朝王家の関連建物が建設され、複数の王や王族も埋葬されました。この地には霊廟の他にモスク・図書館・学校・公衆浴場・バザール等様々な施設が限られた空間を最大限に活用して建てられており、さながら小さな都市のようです。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2010年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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アル・ヒジルの考古遺跡(マダイン・サレハ)

Hegra Archaeological Site (al-Hijr / Madā ͐ in Ṣāliḥ)
アル・ヒジルの考古遺跡(マダイン・サレハ)
以前は「ヘグラ」の名称で呼ばれていたこの「アル・ヒジルの考古遺跡」は、サウジアラビアで最初に登録された世界遺産です。紀元前1世紀から紀元後1世紀ごろにかけて栄えた遊牧民族のナバテア人が築いた街で、預言者サレハの名から「サレハの街」と呼ばれています。同じナバテア人によるヨルダンのペトラ遺跡より南に現存するナバテア文明の中では最大の遺跡です。4つの大規模な墓地があり、装飾された94基の墓石群のほか、神殿、用水路や貯水槽などの遺跡が良好な状態で保存されています。また、ナバテア文明以前の洞窟画や碑文も約50発見されており、これらは紀元前3~前2世紀頃にこの地に住んでいたリヤーン人のものであると考えられています。
地域: 西・南アジア / 国名: サウジアラビア王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (ii)(iii)
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アル・ファーウ考古地域の文化的景観

The Cultural Landscape of Al-Faw Archaeological Area
アル・ファーウ考古地域の文化的景観
サウジアラビア南部のルブ・アルハリ砂漠の近辺に残る『アル・ファーウ考古地域の文化的景観』は、5世紀に突然放棄された遺跡です。先史時代の頃から、砂漠諸部族の連合組織であったキンダ朝の時まで繁栄したオアシス都市で、過酷な環境において、人類の生活の痕跡が残ることは極めて貴重です。旧石器時代、新石器時代の石器や紀元前2000年から紀元前1900年にかけての墳墓群なども発見されており、またこのあたりは古代文明の交易路上にあり、さまざまな文化や産物などが流入して栄えました。
地域: 西・南アジア / 国名: サウジアラビア王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2024年 / 登録基準: (ii)(v)
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アレッポの旧市街

Ancient City of Aleppo
アレッポの旧市街
シリア北西部に位置するアレッポは、欧州とユーフラテス川流域のメソポタミアをつなぐ隊商都市で、紀元前2000年頃以来、ヒッタイトやローマ帝国、オスマン帝国など時代において支配する国が変わってきました。旧市街には、ウマイヤ朝時代に建設された大モスクや、世界最古のスーク「アル・マディーナ・スーク」、16世紀、17世紀に建てられた様々なマドラサなどがあり、4,000年にわたる歴史を反映した多様な文化を有しています。
地域: 西・南アジア / 国名: シリア・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (iii)(iv)
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アンジャル

Anjar
アンジャル
レバノンの東部、アンティ・レバノン山脈の麓にアンジャルという遺跡が残っています。レバノンにはフェニキア人の遺跡や古代ローマの遺跡がよく残っているのですが、このアンジャルはイスラームに関連する遺跡です。イスラーム最初の王朝とも言えるウマイヤ朝661年~750年)の第6代カリフ、アル・ワリード1世の命によって築かれた保養地です。アンジャルは当時の都であったダマスクスから約40km離れていましたが、この地には豊かな泉水があり、暑さを凌ぎやすかったので避暑地として選定されたのです。ローマ帝国やビザンツ帝国の遺構を再利用して作られたためその特色が残っており、発掘当初はそれらの帝国の遺跡だと思われていました。しかし、1940年代の調査でイスラーム王朝の都市遺跡ということが判明したのです。
地域: 西・南アジア / 国名: レバノン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (iii)(iv)
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イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路

Birthplace of Jesus: Church of the Nativity and the Pilgrimage Route, Bethlehem
イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路
エルサレムの南約10kmに位置するベツレヘムはイエス・キリストの生誕地とされています。339年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世の時代にイエスが誕生したとされる洞窟を中心に最初の聖誕教会が建てられました。この教会は6世紀に焼失し現在はその一部を地下に残すのみですが、この上に現在の聖誕教会が建てられています。現在の聖誕教会は6世紀半ばに建てられたもので、これは日常的に使用されているキリスト教の教会としては最古のものです。その後十字軍の時代にこの地におけるキリスト教の影響力が強まったことで、聖誕教会の周辺には複数の教会が建造されました。世界遺産としては、聖誕教会に隣接する聖カタリナ教会や、フランシスコ修道会、アルメニア正教会、ギリシャ正教会の各修道院、鐘楼、庭園なども含まれています。また、この地はキリスト教信者にとっての重要な聖地であるだけでなく、イスラム教徒にとっても聖地の一つとされています(ナザレのイエス(イエス・キリスト)はイスラム教において預言者の一人とされています)。
地域: 西・南アジア / 国名: パレスチナ国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (iv)(vi)
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イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル・マグタス)

Baptism Site “Bethany Beyond the Jordan” (Al-Maghtas)
イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル・マグタス)
死海から北に9kmのヨルダン川の東岸に位置するこの考古遺跡は、ナザレのイエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた場所であるといわれています。遺跡は預言者エリヤが天に昇ったとされる聖エリヤの丘と、洗礼者である聖ヨハネ教会群の2つの地区で構成されています。ローマ帝国やビザンツ帝国の時代の教会や礼拝堂、修道院、洗礼のための水場などが残っており、古くからキリスト教徒の重要な巡礼地になっています。そのためカトリック教徒だけでなく、正教会や英国国教会など様々な宗派のキリスト教徒がこの地を訪れており、先代のローマ教皇であるフランシスコ法王も2014年に訪れています。
地域: 西・南アジア / 国名: ヨルダン・ハシェミット王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (iii)(vi)
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イスタンブルの歴史地区

Historic Areas of Istanbul
イスタンブルの歴史地区
トルコ北西部のイスタンブルは、アナトリア半島、バルカン半島、黒海、地中海の間に位置し、ヨーロッパとアジアを隔てるボスフォラス海峡の両岸にまたがる、トルコ最大の都市です。その立地が表すように、ヨーロッパとアジアの文明が交差する十字路であり、ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国といった大帝国の都が置かれてきました。都市の起源は紀元前7世紀頃に遡り、古代ギリシャの都市国家メガラが、王の名にちなみビザンティオンという名の都市を建設したことが始まりとされています。2世紀末に、ローマ帝国に占領されて「ビザンティウム」と改名。330年には帝都がローマからこの地へと遷され、当時のローマ皇帝コンスタンティヌスの名にちなんで都市名は「コンスタンティノポリス」(コンスタンティノープル)と名付けられました。395年にローマ帝国が東西に分裂すると、コンスタンティノープルはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の都となりました。西ローマ帝国はわずか80年後の476年に滅亡したのに対し、ビザンツ帝国はその後1,000年以上も続きました。また、1054年キリスト教会が東西に分裂すると、西のローマはカトリック教会、東のコンスタンティノープルはギリシャ正教会の本拠地となりました。 
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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イスファハーンのイマーム広場

Meidan Emam, Esfahan
イスファハーンのイマーム広場
1598年、サファヴィー朝の第5代王アッバース1世(在位:1588~1629年)は首都をイスファハーンに定め、壮大な都市建設に着手しました。旧市街に隣接して新市街を建設し、その新旧をつなぐ地に築かれたのがイマーム広場です。南北510m、東西160m、面積約9万㎡の広大な長方形の広場は、上下2層構造の回廊アーケードで囲まれており、1階部分には現在も店舗などが入っています。また、アーケードの4辺にはそれぞれ重要な建造物が配置され、東にシェイフ・ロトフォッラー・モスク、西にアリー・カプー宮殿、南にイマーム・モスク、北にはバザールの入口となるカイセリーヤ門があります。現在では芝生や池が配され公園のようになっていますが、元は一面砂地の平らなグラウンドで、各種の儀式やペルシア発祥のポロ競技、さらには公開処刑などが行われていました。1979年のイラン革命以後は「王(シャー)」という名称をやめ、イスラムの宗教指導者を意味する「イマーム」という名を冠して呼ぶようになりました。ペルシア語では「世界の写絵」を意味するナクシェ・ジャハーン広場とも呼ばれています。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(v)(vi)
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イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)

Masjed-e Jāmé of Isfahan
イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)
イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)は、8世紀後半のアッバース朝時代につくられたモスクを起源とする、イスファハーンで最も古いモスクです。創建時は日干しレンガ造りでしたが、12世紀の大火後に再建され、ササン朝ペルシア時代の宮殿建築で用いられた「4(チャハル)イーワーン」と呼ばれる様式をイスラム教の宗教建築と融合させた最初の建築となりました。「イーワーン」とは、三方を壁で囲み、開けた前方部たアーチが設けられた空間のことです。それを4つ向かい合わせ、中庭を4方向から取り囲むのが「4イーワーン」です。これによりモスクはより壮大なものとなり、モスク設計における新しいレイアウトと美学の原型となる建築物となりました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (ii)
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イラク南部のアフワル:生物多様性の保護地域とメソポタミアの都市の残存景観

The Ahwar of Southern Iraq: Refuge of Biodiversity and the Relict Landscape of the Mesopotamian Cities
イラク南部のアフワル:生物多様性の保護地域とメソポタミアの都市の残存景観
紀元前5000年から前3000年ごろ、一帯の海水面は現在の海岸線よりも約200㎞内側にあり、湿地帯はさらに内陸に広がっていました。前4000~前3000年にかけて、ティグリス川とユーフラテス川が合流するデルタ地帯周辺に、ウルク、ウル、エリドゥといったシュメール都市が発展しました。前2000年以降、2本の川は分岐して海岸線は南東に後退を始め、気候の乾燥化が進んで湿地が干上がると、メソポタミア南部の諸都市は衰退しました。一方で、川の下流では新たな沼地が形成され、現在見られるアフワルの湿地はこの時期に形成されたものと考えられています。イラク南部の極度に高温で乾燥している環境下では、湿原は多くの生物の生息地であり、かつ生物多様性が見られる重要な場所となっており、水鳥たちの保護を目的としたラムサール条約にも登録されています。また、2つの川の沼沢デルタ地域には、ウルクやウルといった古代メソポタミア文明初期のシュメールの都市遺跡があり、紀元前4000年に遡る建造物や遺物が残る、考古学的に重要なエリアとなっています。イラク南部の4つの湿原と3つの考古遺跡を含むエリアが複合遺産として登録されています。 
地域: 西・南アジア / 国名: イラク共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 2016年 / 登録基準: (iii)(v)(ix)(x)
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イラン縦貫鉄道

Trans-Iranian Railway
イラン縦貫鉄道
『イラン縦貫鉄道』は、イラン北部のカスピ海に面する都市バンダレ・トルキャマンから、南部のペルシア湾沿岸のバンダレ・エマーム・ホメイニーまでを結ぶ、全長1,394?の路線です。首都のテヘランを境に、北側の路線は461?に30駅を擁し、南側の933?には59駅があります。この間、鉄道は4つの異なる気候帯(カスピ海周辺の湿潤温暖気候、山岳地帯の寒冷気候、中央高原の乾燥気候、ペルシア湾周辺の高温多湿気候)を通過し、森林や高山、砂漠など多様な地形を横断します。 鉄道のレール幅(軌間)は、現在世界で最も普及している1,435?(標準軌)が採用されました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (ii)(iv)
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イランのアルメニア教会修道院群

Armenian Monastic Ensembles of Iran
イランのアルメニア教会修道院群
イラン北西部、アルメニアとの国境に近い地域にあるアルメニア正教会の修道院と聖堂です。ここは古代アルメニアの土地でした。古代アルメニアは4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を公認した国です(ローマ帝国より30年ほど早いです)。そしてこの地はアルメニア正教の中心地となり、現在でも重要な巡礼地となっています。アルメニア正教の遺構として残っているのが3つの修道院と聖堂です。そのうちの最古のものは7世紀に建てられた「聖タデウス修道院」で、イエスの十二使徒の一人タデイにちなんでいます。「聖ステファノ修道院」と「生神女マリア聖堂」もアルメニアの伝統様式で建てられており、貴重な遺構です。これらの建物は、地震等での倒壊はあったもののその後再建され、この地を支配したイスラム教の王朝からも保護されてきました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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インドの山岳鉄道群

Mountain Railways of India
インドの山岳鉄道群
インドには英国統治時代に開通した山岳鉄道がいくつかあります。そのなかで、インド北東部の有名な紅茶の産地であるダージリン地方にあるのが1881年開通の「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」で、1999年に世界遺産に登録されました。その後2005年には南西部にある「ニルギリ山岳鉄道」、2008年には北西部の「カールカ=シムラー鉄道」が世界遺産に追加登録され、現在この3路線が「インドの山岳鉄道群」として世界遺産になっています。いずれも19世紀後半の最新技術を駆使した都市と山岳地を結ぶ鉄道建設の代表例です。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (ii)(iv)
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インドのマラーター王国の軍事景観

Maratha Military Landscapes of India
インドのマラーター王国の軍事景観
西インドの丘陵地帯や沿岸部には17世紀から19世紀にかけてマラーター王国によって築かれた軍事施設が点在しています。これらの城塞や見張り台などはこの地の地形を利用して、きわめて戦略的に配置されており、この王国の鉄壁の防衛システムを形成していました。またこの地の伝統と他の地域からの文化を融合させたマラーター王国の文化を知る上でも貴重な遺産です。マラーター王国の創始者であるシヴァージーはいまでもこの地域の英雄であり、彼が築いた王国の首都ラーイガドの要塞などを含め全部で12の軍事施設が世界遺産に登録されています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (iv)(vi)
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ウルク・バニ・マアリド

Uruq Bani Ma’arid
ウルク・バニ・マアリド
アラビア半島南部のおよそ3分の1を占めるルブアルハリ砂漠は、「何もない」という意味であり、サハラ砂漠に次ぐ世界最大級の砂漠です。世界遺産の『ウルク・バニ・マアリド』はサウジアラビア初の自然遺産です。ルブアルハリ砂漠の西端に位置し、砂漠地域ならではの雄大な光景が広がっています。ここにはジャバル・トゥワイクと呼ばれる石灰岩の断崖や、長さ最大200m、高さ170mの縦砂丘(アラビア語でウルクという)、枯れ川のワディや砂の回廊などが存在しています。縦砂丘とは、卓越風に平行に形成される砂丘のことを指し、この地域は世界有数の縦砂丘地域となっています。
地域: 西・南アジア / 国名: サウジアラビア王国 / 分類: 自然遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (vii)(ix)
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ウンム・アッラサス(カストロム・メファア)

Um er-Rasas (Kastrom Mefa'a)
ウンム・アッラサス(カストロム・メファア)
ヨルダン中部にあるウンム・アッラサスは、ローマ軍の駐屯地として始まり、5世紀以降町へと発展した考古学遺跡で、ローマ時代、ビザンチン時代、そして初期イスラム時代(3世紀末から9世紀)の遺構が残されています。16の教会があり、そのうちいくつかは保存状態の良いモザイク床を有しています。中でも聖ステファノ教会のモザイク床は特筆すべきもので、当時の町々の様子が描かれており、芸術的にも地理的記録としても特別な意義を持っています。しかし、要塞化されたローマ軍の駐留地を含む遺跡の大部分は未だ発掘されていません。
地域: 西・南アジア / 国名: ヨルダン・ハシェミット王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
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ウンム・アル・ジマール

Umm Al-Jimāl
ウンム・アル・ジマール
ヨルダンの首都アンマンの北東80㎞ほどのところに位置するウンム・アル・ジマールには、ビザンツ期と初期イスラーム期における農村集落の遺跡があります。もともとこの地域はナバテア王国の一部でしたが、2世紀にはローマ帝国によってアラビア属州に併合されました。3世紀に入ると街は破壊されてしまいますが、5世紀頃から8世紀末にかけ、農業と交易で栄えました。ウンム・アル・ジマールは、直訳すると「ラクダの母」を意味します。その名称は、ここでキャラバンの一部にラクダが使われていたことに由来するそうです。
地域: 西・南アジア / 国名: ヨルダン・ハシェミット王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2024年 / 登録基準: (iii)
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