フランスはパンの国!
帰り道に寄ったブーランジュリーで、毎日必ず1本のバゲットを買って帰っていた。日本で調べておいた美味しそうな店を訪ねることもあったし、街を適当に彷徨っているときに見つけた良さそうな店に入ることもある。ちょっと歩くとブーランジュリーが必ずあって、朝ほどじゃないけど、それなりにお客さんが来てパンを買っている。
そこで「さすがパンの国!」と驚いたのが、19時過ぎ頃なのにバゲットが焼きたてだということ。紙袋にバゲットを入れて手渡してもらうとまだ温かい。熱いくらいの焼きたての場合もある。
バゲットを入れてくれる紙袋は、だいたいバゲットの長さに対して8割くらいしかなくて、紙袋からは美味しそうなバゲットが頭をのぞかせている。そこからはものすごく良い匂いがしていて、歩きながらでも齧りたくなる。紙袋が短いのは歩き食いさせるための策略なんじゃないかとさえ思う。我慢できずにベンチに腰掛けて齧ってみると、バターなんか塗らなくても口の中に小麦の香りが広がる感じがして、本当に美味しい。
シンプルなバゲットと言ってもお店によって味の違いはあって、滞在中にいろいろと食べているうちに「これは踊りだしたくなるくらい美味しい! 神か!?」というものもあれば、「これはまぁ、軽くスキップしちゃうくらいの美味しさかな」とか、「日本で食べるよりは美味しいけど、気泡が均一だし口の中での味の広がりがあと一息たりない」なんて偉そうなセリフがこぼれるものもある。自称食通の人ってこうして出来上がっていくんだろうな。あぶないあぶない。どれも美味しくいただきました。
作り方まで法律で決めてしまうフランス
棒のような形をしているバゲットは、日本では「フランスパン」と呼ばれることが多い。フランス語の「バゲット(baguette)」には「棒」とか「杖」、「箸」などの意味もある。こうした棒のような形をしたバゲットは、スーパーなどでも傘立てのような形をしたカゴに何本も立てて売られていたり、カフェなどで売られていることもあるけれど、それとブーランジュリーで売られているバゲットは似て非なるものだ。
僕がブーランジュリーで買って、宿でひとり「美味しい! しあわせ!」と涙を流しながら食べていたのは「バゲット・トラディション(伝統的なバゲット)」と呼ばれるもので、1993年の法律で製法などが定められている。使うことができるのは、小麦と水、塩、天然酵母だけ。それを職人が量を測って混ぜ合わせ、こねて発酵させ、休ませ、形を整えて焼き上げるまで全て行ったものだけが「バゲット・トラディション」と名乗ることができる。スーパーで売られていたりする、機械や添加物を用いた安価なバゲットとは、はっきりと名前で区別されている。
実はそれだけではなくて、その法律には、職人のバゲット作りに関する作業の全てが販売する場所で行われている店だけが、「ブーランジュリー」もしくは「ブーランジェ」と名乗ることができると書かれている。別の場所で焼いたパンを運んできて売ったり(※)、冷凍した生地を持ってきて焼いて売ったりしている店は、素材が法律に適っていてもブーランジュリーと名乗ることができない。もちろんこれはパンに関する法律なので、バゲットに限らない。
UNESCOの無形文化遺産に登録された食文化第一号はフランス料理の「フランスの美食術」だけど、実はバゲットも2022年に「バゲットの職人技術と文化」として無形文化遺産登録されている。フランスの政治家が、料理や食文化だけでなく、自国の文化の「ブランド」も守るという強い意志を持っていると感じる。日本とはその辺りの熱量が違う。
※焼き上げたパンを職人がそのまま別の場所に持っていって売る「移動販売」であれば認められている。
挨拶をしよう!
僕のフランスの好きなところのひとつが、人々が必ず挨拶をしてくれるところ。
お店に入ると、店員さんが必ず目を見てにこやかに「ボンジュール!(こんにちは)」と言ってくれるし、スーパーのレジでも順番が回ってくると、商品のバーコードを読む前に必ず目を見て「ボンジュール!」と言ってくれる。会計が終わると、また目を見ながら「メルシィ、ボン・ジュルネ!(ありがとう、よい一日を!)」と言ってくれるので、僕も「メルシィ、オ・ルヴォワール(ありがとう、またね)」と答える。タトゥーの入ったちょっと怖そうなお兄さんでも、挨拶をしてくれるのがちょっと面白い。だから僕もあちこちで「ボンジュール」を連発する。
日本だとレジで挨拶なんてしないし、「いらっしゃいませ」と言われて「こんにちは」と返すのも何か変な感じがする。でも僕は「こんにちは」と言ってしまう。それに返事はまずないし、店員さんがこちらを見ることもない。会計後はさすがに「さようなら」とは僕も言わないけど、店員さんによっては僕の次に並んでいる人を見ながら僕に「ありがとうございました」って言ったりして、「その音声に意味はあるのか!?」なんて思ってしまう。だから日本でもシアトル発の珈琲チェーン店の店員さんみたいな接客が標準になったらいいのに。まぁ、神様と勘違いしている客側の問題も大きいのだと思うけど。だって「こんにちは」、「いらっしゃいませ」、「ありがとうございます」って片方だけが言ってもう片方は黙っているのは対等な感じはしない。
また、フランスだと店員さんとちょっとした会話をすることもある。あるブーランジュリーでは、僕がジャケットにつけている猫のピンバッジを見て「それ何? 猫なの?」って聞くので、「そう、北欧のデザイナーが描いた猫。しましま具合が、僕が飼っている巨大猫に似てるんだ」って言うと、「私も猫が好きで、家に猫がいるのよ。巨大じゃなくて小柄だけど」って教えてくれる。たったそれだけで、その一日が楽しく始まるので、僕は単純なのだと思う。
(次回に続く)
写真・イラスト©宮澤光
執筆者PROFILE
北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。
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