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青城山と都江堰水利施設
Mount Qingcheng and the Dujiangyan Irrigation System
聖書ゆかりの遺丘群:メギド、ハゾル、ベエル・シェバ
Biblical Tels - Megiddo, Hazor, Beer Sheba
聖地アヌラーダプラ
Sacred City of Anuradhapura
聖地キャンディ
Sacred City of Kandy
聖地群を経てウィリクタへと至るウィハリカの道(タテウアリ・ウアフイエ)
Wixárika Route through Sacred Sites to Wirikuta (Tatehuarí Huajuyé)
聖都カイラワーン
Kairouan
チュニジアの中央部、海と山からほぼ等距離に位置する平野に670年に創建されたカイラワーンは、マグレブにおける最古のアラブ・イスラムの拠点であり、9世紀にアグラブ朝のもとで繁栄しました。12世紀に政治的首都がチュニスへ移された後も、カイラワーンはマグレブ地方における主要な聖都であり続けました。その豊かな建築遺産には、大理石やポルフィリー(紫斑岩)の柱を持つ壮麗な大モスク、9世紀に建てられた「三つの扉のモスク」が含まれています。5世紀にわたりイフリキヤの首都であったこの都市は、アラブ・イスラム文明の卓越した普及の場となりました。カイラワーンは、この文明の初期の時代とその建築的・都市的発展を独自に証言する存在です。
聖ヒラリオン修道院/テル・ウンム・アメル
Saint Hilarion Monastery/ Tell Umm Amer
セゴビアの旧市街とローマ水道橋
Old Town of Segovia and its Aqueduct
スペインの中心部、カスティーリャ・イ・レオン州にあるセゴビアは、エレスマ川とクラモレス川の2つの川に挟まれた地形を有効活用した要塞都市です。紀元前80年にはローマ帝国の支配下に入ったこの地は、ローマ帝国の重要拠点であり、イベリア半島の交通の要所でした。ローマ人が築いた水道橋は128本の柱が支える2層アーチで構成され、全長813m、最高部の高さ28.5mの規模を誇ります。ローマ水道橋は西暦50年頃に建設されたと考えられていますが保存状態も良好で、歴史的なセゴビアの街並みから切り離すことのできない街のシンボルとなっています。12世紀には、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世によって、ローマ時代に要塞として建造された建物をアルカサル(王宮)へ改築します。また、1525年に建設が始まったカテドラル(司教座大聖堂)は完成までに約200年以上の歳月を要しました。
石窟庵と仏国寺
Seokguram Grotto and Bulguksa Temple
セネガンビアのストーン・サークル遺跡群
Stone Circles of Senegambia
セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
Cathedral, Alcázar and Archivo de Indias in Seville
スペイン南西部の都市セビーリャに残る大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館は、イスラム文化の痕跡、カトリック教会の権力、王室の主権、そしてスペインがアメリカ大陸の植民地を通じて獲得した貿易力を示す建造物群です。1403年にモスクの跡地に建設された大聖堂は、五廊式の構造をもつ世界で最も広大で豪華な宗教建築のひとつです。クリストファー・コロンブスの墓があることでも知られています。隣接する「ヒラルダの塔」は、1172〜98年にムワッヒド朝のヤアクーブ・アルマンスールが、大モスクのミナレットとして建設したもので、レコンキスタ(国土回復運動)後に鐘楼に転用されました。頂上には塔の名前の由来となった、キリスト教信仰の勝利を表す女性の銅像「ヒラルディージョ」が設置されています。
蘇州の園林
Classical Gardens of Suzhou
タージ・マハル
Taj Mahal
近世のインドを支配したムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンは、戦地に帯同していた際に産褥熱で亡くなった愛妃ムムターズ・マハルのために、古都アーグラに霊廟を建設しました。ムムターズ・マハルという名は「宮廷の光」という意味で、皇帝が美しい妃に贈った名です。建設は1631年に始まり、1648年に完成しました。ガンジス川の支流のひとつヤムナー川の南岸、広さ17万㎡の長方形の敷地に完成した霊廟は、総白大理石の壮大なもので、高さ5.5mの基壇の上に幅65m・高さ58mの八角形の廟本体があり、四隅には高さ43mの4本のミナレットが立っています。また、廟をはさんで両側に赤砂岩造りのモスク(西側)と集会所(東側)が建てられており、その赤砂岩の赤、空の青さ、前庭の芝生や植物の緑の中に真っ白な廟が美しく映え、その色のコントラストはまさにコーランの「天上世界」を思わせるものです。
第一次世界大戦(西部戦線)の慰霊と記憶の場
Funerary and memory sites of the First World War (Western Front)
1914年から1918年に、人類史上最初の世界大戦がありました。第一次世界大戦はイギリス・フランス・ロシアを軸とする連合国側と、ドイツ・オーストリアを軸とする同盟国側が衝突した戦争です。この戦争は、主にヨーロッパで展開されましたが、多くの植民地の人たちが徴兵されたことからも、世界大戦の性質を帯びています。また、これまでの戦争は、戦場における兵士たちが戦うという設定でしたが、この戦争では先述した植民地の人たちが徴兵されたり、各国の経済力・工業力・技術力、そして武器工場に従事する女性を含めた国民の全体が戦争に動員されたため、「総力戦」とも呼ばれています。以上のことから、誰もがすぐに終わると考えていたこの戦争は、実に四年間にわたり繰り広げられ、非常に多くの戦死者を出しました。
泰山
Mount Taishan
中国東部の山東省にそびえる標高1,535mの泰山は、世界遺産の登録基準(i)から(vii)までの全てを認められている唯一の世界遺産です。東岳の泰山、西岳の崋山(陝西省)、南岳の衡山(湖南省)、北岳の恒山(山西省)、中岳の嵩山(河南省)という中国五岳の筆頭であり、多くの人々の信仰を集める道教の聖地です。『史記』 によると紀元前219年、秦の始皇帝はこの山の山頂で天を、そして山麓で地を祀る 「封禅」という儀式を行いました。これは始皇帝以前に72人の王が行っていた儀式を再現したものであるとされます。前漢(前202~後8年)の7代皇帝の武帝はこの儀式を国家的な祭祀として採用し、清(1636~1912年)の康熙帝まで、歴代の皇帝がこの地で封禅を行いました。
隊商都市ペトラ
Petra
隊商都市ボスラ
Ancient City of Bosra
シリア南部のハウラン平原に広がるボスラは、1世紀頃、ナバテア王国の北の都でありましたが、2世紀初頭にローマ帝国アラビア属州の州都になると穀倉地帯として繁栄しました。この一帯は湧水が多く、肥沃な土壌に恵まれていました。町には他のローマの都市にあるような聖堂、娯楽施設、公共浴場などが作られていきました。また、長さ100mにも及ぶ地下道は、倉庫の役割を果たしていました。これは、ボスラが地中海とアラビア海を結ぶ通商路の途中にあり、様々な物資を保存しなければならなかったためと考えられています。興味深いのが、この遺跡が全体的に黒っぽいことです。これは、建材が黒い玄武岩であるからであり、他のローマ遺跡が大理石などを使用して全体的に白っぽいので、対照的であります。また、イスラーム勢力が入ってきてからの遺構も残されており、特にアル・オマリ・モスクは8世紀初頭の建造であり、イスラーム世界でも最古のモスクの一つと言われています。
大ジンバブエ遺跡
Great Zimbabwe National Monument
ジンバブエ中南部の都市マスビンゴから約30kmの場所にある『大ジンバブエ遺跡』は、11〜15世紀頃にバンツー語系のショナ族によって築かれた巨大な都市遺跡群です。遺跡群は丘の上に築かれた「アクロポリス(丘の遺跡)」、高い石壁に囲まれた「大神殿(大囲壁)」、石の住居が並ぶ「谷の遺跡」の3つの要素で構成されています。宗教的中心地だったアクロポリスは、王族の居住地や儀式の場があったと考えられています。大神殿は14世紀に築かれたもので、その囲いはモルタルを用いず、加工した花崗岩を積み上げてつくられました。高さ約11mの円錐形の塔や住居跡が残されています。谷の遺跡は谷間に点在する住居群で、日干しレンガや石積みの壁でつくられた建物が特徴です。
大足石刻
Dazu Rock Carvings
重慶市の北西に位置する大足石刻は、唐代末期の9世紀から南宋時代の13世紀にかけて、山の岩壁に掘られた彫刻群の総称です。一帯には、石像が5万体以上、石碑文は10万点以上が現存し、75ヵ所ある文化財保護区域のうち、5ヵ所が世界遺産に登録されています。多くは大乗仏教の石刻ですが、道教や儒教の像も刻まれており、中国三大宗教の石刻がそろっているのが大きな特徴となっています。中でも宝頂山石刻群の石刻は評価が高く、特に大仏湾と呼ばれる崖の磨崖仏群、全長およそ31mの釈迦涅槃像が有名です。中国には、世界遺産に登録されている『雲岡石窟』や『龍門石窟』などの石窟芸術が残りますが、大足石刻はその中でも最も保存状態の良いものひとつに数えられています。
タキシラの都市遺跡
Taxila
パキスタンの首都イスラマバード近郊のタキシラは、中石器時代の洞窟や4つの異なる時代の都市遺跡、仏教寺院やイスラム教のモスクなどを含む多種多様な遺跡が残されています。シルク・ロードの支流ながら重要な位置にあったタキシラは1世紀から5世紀頃に最盛期を迎えたとされています。特にサライカラ、ビール、シルカップ、シルスークの4つの居住地遺跡はインド亜大陸における都市の発展を示す重要な遺跡です。最も古いサライカラは先史時代の最古の集落跡で、新石器時代、青銅器時代、鉄器時代の居住の痕跡が残されています。次の時代にあたるビール(ビール・マウンド)は、紀元前6世紀にアケメネス朝が築いたとされるタキシラの「都市」としては最古のもので、石壁や家屋の基礎、街路などに都市化の遺構が残されており、紀元前326年にアレクサンダー大王が凱旋入場した地としても知られています。さらに時代が下ったシルカップは紀元前180年頃にギリシャ人によって築かれた都市で、碁盤目状の都市に配置された家屋や仏塔、寺院などにはヘレニズム時代のヨーロッパ建築の影響が強く見られます。シルカップはその後クシャーナ朝によって破壊されましたが、そのクシャーナ朝が残した都市が4つめのシルスークです。ここでは発掘調査によって不規則な長方形の切石積みの城壁と丸みを帯びた堡塁が見つかっています。これらには中央アジアの建築様式の影響が見られ、インド亜大陸と中央アジアとの関連を物語っています。
タスマニア原生地帯
Tasmanian Wilderness
タッシリ・ナジェール
Tassili n'Ajjer
タヌムの岩絵群
Rock Carvings in Tanum
タプタプアテア
Taputapuātea
タフテ・ソレイマーン
Takht-e Soleyman
ダフニ、オシオス・ルカス、ヒオスのネア・モニの修道院群
Monasteries of Daphni, Hosios Loukas and Nea Moni of Chios
ダマスカスの旧市街
Ancient City of Damascus
ダラム城と大聖堂
Durham Castle and Cathedral
タルノフスキェ・グルィの鉛・銀・亜鉛鉱山とその地下水管理システム
Tarnowskie Góry Lead-Silver-Zinc Mine and its Underground Water Management System
ポーランド南部のシロンスクに位置するタルノフスキェ・グルィ地域は、ヨーロッパ有数の鉛、銀、亜鉛鉱山として知られています。16世紀半ばから19世紀後半にかけて、鉱山の発展とともに、地下水の大量流入という難題に直面し、これを解決するために50㎞以上の主要排水トンネルや、無数の坑道・竪坑を含む広大な排水網が築かれました。18世紀後半にはイギリスから蒸気機関が導入され、地下深くの水を汲み上げることができるようになりました。重力による排水坑道と蒸気揚水技術が組み合わさることで、排水に加え、鉱山水を周辺都市や産業地区の飲料水・工業用水として活用する画期的なシステムが実現しました。このシステムは、19世紀には上シレジア工業地帯(カトヴィツェ周辺)など広域への給水も担い、2001年まで稼働が続きました。
チェルヴェテリとタルクィニアのエトルリア古代古墳群
Etruscan Necropolises of Cerveteri and Tarquinia