511~540件を表示中(全803件中)
バウハウス関連遺産群:ヴァイマールとデッサウ、ベルナウ
Bauhaus and its Sites in Weimar, Dessau and Bernau
20世紀の建築と芸術、都市計画において世界的な影響を与え、モダン・ムーブメント(近代建築運動)の基盤となったバウハウスは、1919年にドイツのヴァイマールで総合造形学校として設立されました。ドイツ語で「建築の家」を意味し、建築作業組合「バウヒュッテ」が名前の由来となっています。初代校長を務めた建築家ヴァルター・グロピウスや2代目校長のハンネス・マイヤー、独特な画風で近現代美術に影響を与えたパウル・クレー、画家・写真家で新興写真運動の中心人物を務めたモホリ=ナジ・ラースロー、抽象絵画の先駆者ワシリー・カンディンスキーといった当時を代表する芸術家たちが教鞭をとり、建築を軸に、デザイン、美術、写真、彫刻などの総合的な教育が行われました。ヴァイマールには、バウハウスの校舎となった旧美術学校と本館、バウハウスの理念に基づいて建てられた初期の建築物であるハウス・アム・ホルンがあります。1925年以降、拠点はデッサウへ移され、ヴァルター・グロピウスの設計でバウハウス・デッサウ校舎や、バウハウスの教員が暮らすマスターズハウスが建設されました。これらは、機能主義に基づく設計と新素材・技術の活用を通じて、モダン・ムーブメント(近代建築運動)を切り開きました。
バガン
Bagan
パキメの遺跡
Archaeological Zone of Paquimé, Casas Grandes
ハグマターナ
Hegmataneh
パサルガダエ
Pasargadae
バジ・ビムの文化的景観
Budj Bim Cultural Landscape
バターリャ修道院
Monastery of Batalha
バッサーリ地方:バッサーリ族とフラ族、ベディク族の文化的景観
Bassari Country: Bassari, Fula and Bedik Cultural Landscapes
パッタダカルの寺院群
Group of Monuments at Pattadakal
バット、アル・フトゥム、アル・アインの考古遺跡
Archaeological Sites of Bat, Al-Khutm and Al-Ayn
オマーン北部、ハジャル山脈のアフダル山地には、前期青銅器時代にあたる紀元前3千年紀頃の集落と墓地遺跡群が残ります。1972年にデンマークの調査隊が発見し、同時代の集落・墓地遺跡としては、世界で最も完全かつ保存状態の良い遺跡群のひとつとされています。これらの遺構は、この地域で繁栄したマガン国と関連があるものとみられていますが、マガン国の人々がどこから来て、どのような系統に属する民族なのかは今でも詳しくはわかっていません。ただ、メソポタミア文明のアッカド帝国の記録によれば、マガン国は産出した銅をメソポタミアやインダス川流域に供給することで富を得ていました。記録があることからも、両文明とつながりのあった重要な国であったということがわかります。
パドヴァの14世紀のフレスコ画群
Padua’s fourteenth-century fresco cycles
パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)
Botanical Garden (Orto Botanico), Padua
パトモス島にある歴史地区(ホラ):神学者聖ヨハネの修道院と黙示録の洞窟
The Historic Centre (Chorá) with the Monastery of Saint-John the Theologian and the Cave of the Apocalypse on the Island of Pátmos
エーゲ海東部のドデカネス諸島にあるパトモス島は、神学者聖ヨハネが「福音書」と『新約聖書』の「黙示録」の両方を書いたと伝えられる、キリスト教史上非常に重要な場所です。聖ヨハネとはイエスの十二使徒の1人で、イエスに最も愛された弟子のひとりでした。西暦95年、ドミティアヌス帝によってパトモス島に流刑となった聖ヨハネは、この地で「黙示録」などを書き、弟子プロクロスに口述したとされています。7世紀にはイスラーム教徒の襲撃を受けて一度は無人島となったものの、11世紀にビザンツ帝国のアレクシオス1世がパトモス島を植民地にしてからは、この地はギリシャ正教の学びと巡礼の地となりました。最初の修道院である「神学者聖ヨハネ修道院」は、1088年に修道士ホシオス・クリストドゥロス・ラトリーノスによって建てられました。
パドレ・テンブレケ水利施設の水道橋
Aqueduct of Padre Tembleque Hydraulic System
パナマの植民地時代の地峡横断ルート
The Colonial Transisthmian Route of Panamá
「パナマの植民地時代の地峡横断ルート」は、2025年にフランス・パリで開催された第47回世界遺産委員会で、世界遺産に登録されました。これに先立ち、1997年には「パナマ・ビエホ考古遺跡とパナマの歴史地区」が独立した世界遺産として登録されていましたが、2025年の登録に伴い、それらは新たな遺産「パナマの植民地時代の地峡横断ルート」の構成資産として統合されました。16世紀以降、パナマ地峡はイベリア半島とアメリカのスペイン王国の植民地、フィリピン諸島、カナリア諸島間の物資や人の輸送を円滑にする世界的な戦略的資産となりました。連続した土地は、地峡を横断した証拠であり、戦略的に要塞化された集落、歴史的な町、考古学的遺跡、そしてカリブ海と太平洋を結ぶ道路などが含まれています。
ハノイにあるタン・ロン皇城遺跡の中心地
Central Sector of the Imperial Citadel of Thang Long - Hanoi
パパハナウモクアケア
Papahānaumokuākea
パパハナウモクアケアは、ハワイ諸島の北西250~1931kmの広範囲に連なる小島と環礁からなる、広大かつ孤立した島嶼群に付けられた名称です。総面積は約362,075㎢におよび、世界最大級の海洋保護区の一つとされています。この地域は、比較的静止したホットスポットと安定したプレート運動の結果として形成された海山列を示す好例であり、ハワイ・エンペラー海山列の大部分を占めています。世界最長かつ最古の火山列の大半を構成するパパハナウモクアケアは、プレートテクトニクス理論およびホットスポットに関する理解を形成する上で、極めて重要な役割を果たしてきました。地質学的にはハワイ火山国立公園と密接に関連しており、ホットスポット火山活動の重要な証拠を共有しています。
パハルプールの仏教遺跡
Ruins of the Buddhist Vihara at Paharpur
バビロン
Babylon
バグダードの南約85kmに位置する『バビロン』は古代世界で最も強い影響力を持った帝国が存在したことを示す遺跡です。「バビロン」の名は古代アッカド語で「神の門」という意味の言葉に由来します。この地が最初に歴史に登場するのは紀元前23世紀ごろの古代アッカド帝国時代に遡ります。紀元前19世紀ごろに「ハンムラビ法典」で知られる古バビロニア王国(バビロン第1王朝)が興り、ここを首都としました。その後ヒッタイトやアッシリアなどの支配を受けますが、紀元前7世紀に新バビロニア王国その都となりました。「ユダヤ人のバビロン捕囚」で有名なネブカドネザル2世の時代には、当時の世界でもっとも人口の多い繁栄した都市であったと伝わっています。その後のペルシャ帝国やアレクサンダー大王の時代にも繁栄は続きましたが、7世紀のイスラム勢力の侵攻による破壊以降衰退し、10世紀以降は打ち捨てられました。
河回村と良洞村の歴史的集落群
Historic Villages of Korea: Hahoe and Yangdong
パフォスの考古遺跡
Paphos
キプロス島南西部にあるパフォスには、新石器時代から人が住んでおり、古代ギリシャ文明に先立つ時代においては「豊穣の神々」の信仰の地としてされていました。そして何より「美と愛の女神アフロディーテ(ヴィーナス)」の生誕地として古代ギリシャ世界の女神信仰の中心地として広く知られています。ここには古代ギリシャ人が基礎を築き、その後の古代ローマに引き継がれて発展した都市遺跡が残っています。紀元前12世紀ごろにミュケナイ人により建てられたアフロディーテ神殿をはじめ、ヴィラや劇場などの遺構が残る広大な考古遺跡です。ヴィラの床のモザイクは古代ギリシャ神話の彩り豊かなもので、世界で最も美しいモザイク床といわれています。
バムとその文化的景観
Bam and its Cultural Landscape
イラン南部に位置するバムは、その起源をアケメネス朝ペルシアやパルティア王国時代にまで遡るといわれるオアシス都市です。都市にはカナートと呼ばれる地下水路網が整備され、オアシス都市へと発展をしました。現在も稼働中の国内最古級のカナートが存在します。7世紀以降、数百年にわたり東西交易ルートの中継地として繁栄してきました。中心に立つアルゲ・バムと呼ばれる城塞は壁と二重の内壁をもつ三重構造で、日干しレンガを積み上げてつくられました。紀元前6〜前4世紀頃のアケメネス朝ペルシアに起源を咲かあ登りササン朝ペルシアの時代に建設され、16世紀のサファヴィー朝時代に現在の形になりました。外たやしかし、18世紀にアフガニスタン方面からパシュトゥン人の攻撃を受け、町は放棄されました。
パラマリボの歴史街区
Historic Inner City of Paramaribo
パラマリボは、南米大陸の北東海岸に位置するスリナムの首都です。スリナムを含むベネズエラ南部からブラジル北部にかけての地域は「ギアナ地方」と呼ばれており、15世紀末のスペイン人探検家による「発見」後は、エル・ドラド(黄金の都)が存在する場所と考えられて多くの冒険者が訪れました。17世紀には、英国植民地のバルバドスからやってきた労働者がタバコとサトウキビのプランテーションを築きましたが、1665〜1667年の英蘭戦争の結果、スリナムはオランダの植民地となりました。18世紀末にはオランダの工学技術を駆使したパラマリボの都市計画が湿地帯まで拡張されたことで、経済の発展が加速しました。都市は独特な街路計画とオランダの建築様式が融合した建物が特徴的で、スリナム川沿いに歴史的建造物が点在しています。
パリのセーヌ河岸
Paris, Banks of the Seine
バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」
Cultural Landscape of Bali Province: the Subak System as a Manifestation of the Tri Hita Karana Philosophy
バルーミニのスー・ヌラージ
Su Nuraxi di Barumini
ハル・サフリエニの地下墳墓
Ħal Saflieni Hypogeum
バルジェヨウ街並保存地区
Bardejov Town Conservation Reserve
ポーランドとの国境付近、カルパティア山脈の中腹に位置するバルジェヨウは、ハンガリーとポーランドを結ぶ主要な交易路に近いことから税関が設置され、13世紀頃から主要な交易都市として発展しました。今も残る、町を取り囲む城壁や市門、見張り塔などは14~15世紀に市民がその権益を守るために設置したものです。城壁に囲まれた旧市街は広場の中央にルネサンス様式の旧市庁舎が残る市庁舎広場を中心とした都市計画がなされています。この広場の三方には直線的なファサードを持つ46軒の市民の住宅によって囲まれており、もう一方には聖エギディウス教会が面しています。聖エギディウス教会は、後期ゴシック様式で建造された三身廊のバシリカで、内部の11基の祭壇には貴重なコレクションが収められています。また、バルジェヨウには保存状態の良いユダヤ人街もあり、18世紀のシナゴーグのほか、食肉処理場や、浴場、集会所などのユニークな建物が残されています。
ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観
Hallstatt-Dachstein / Salzkammergut Cultural Landscape
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院
Palau de la Música Catalana and Hospital de Sant Pau, Barcelona
『バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院』は、アントニ・ガウディと同じ時代に活躍したモデルニスモ建築の巨匠、ルイス・ドメネク・イ・モンタネルによって設計された建造物群です。なかでもカタルーニャ音楽堂は、ドメネクの最高傑作との呼び声が高く、随所でユニークな設計を見ることができます。1905〜1908年にかけて建設された初期の鉄骨造りの建築で、鉄骨の骨組みの大部分をガラス張りのカーテンウォールで閉じた構造となっています。鋼鉄の骨組みを使用することで、内部の間取りを自由にできる工夫が施されていて、コンサートホールには大きなオープンスペースが連続して設けられています。ホール中央の天窓には太陽が描かれています。この天窓には、陽の光でホール内を明るく照らすなど、自然光を最大限に活用するドメネクの工夫が凝らされています。また、当時の澄明な芸術家たちが装飾を手掛けていることも特徴で、外壁には美しい虹色のモザイク・タイルで覆われています。