571~600件を表示中(全622件中)
ラホール城とシャーラマール庭園
Fort and Shalamar Gardens in Lahore
ラホールはパキスタン北東部、インドの国境付近にある都市で、ムガル帝国第3代皇帝のアクバル(在位:1542~1605)はこの地に都を置き、11世紀以前から伝わる城砦を再建する形で現在のラホール城を築きました。彼は焼成レンガと赤砂岩を特徴的に用いて、謁見の間であった「ハーネ・ハース・オ・アーム」などの象徴的な施設を建造しました。次代のジャハーンギール(在位:1605~1627)は、アクバルが着工した広大な北側の中庭を完成させると主に、砦の北壁や北西壁に装飾を施しました。さらに次代のシャー・ジャハーン(在位:1627~58)は、白大理石をふんだんに用いた「真珠のモスク」や謁見の間「ディーワーネ・アーム」、世界で最も美しい宮殿の一つとも言われる「シーシュ・マハル」などの豪奢な建造物を築いています。これらの建造物はムガル帝国の建築様式の優れた見本を構成しています。
ラムの旧市街
Lamu Old Town
ケニア南東部インド洋に浮かぶラム島の島内に広がる旧市街は、12世紀から海洋交易の拠点として発展してきた歴史を持っています。かつて東アフリカで最も重要な貿易の中心地で、宗教的、文化的、技術的に重要な影響を与えてきました。また、東アフリカのスワヒリ圏の市街地遺跡としては最も歴史が古く、かつ保存状態も良好であることで知られています。アジアから見るとアフリカ大陸の入り口に相当するこの街は、象牙や奴隷が集まる集散地となり、アラブやペルシャ、インド、ヨーロッパの商人たちによって活発な取引が行われていました。他のスワヒリ圏の古い集落と比べて、ラムの旧市街には700年以上もの長きにわたって人々が住み続け、今もなお街として機能し続けていることが特徴です。
ラリベラの岩の聖堂群
Rock-Hewn Churches, Lalibela
ランギリ・ダンブッラの石窟寺院
Rangiri Dambulla Cave Temple
ランス・オー・メドー国立歴史公園
L’Anse aux Meadows National Historic Site
ランスのノートル・ダム大聖堂、サン・レミ旧修道院、トー宮
Cathedral of Notre-Dame, Former Abbey of Saint-Rémi and Palace of Tau, Reims
ランスが大きく発展したのは、496年頃にフランク王国のクローヴィス1世がこの地でキリスト教カトリックの洗礼を受けたことがきっかけです。クローヴィスはゲルマン人のフランク族を統一すると、481年にフランク王国メロヴィング朝をひらきました。彼はゲルマン人のアレマン族との戦いで、イエス・キリストが勝利に導いてくれたら洗礼を受けると天に誓います。そうして見事勝利を収めたため、王妃や約3,000人のフランク族の兵士と一緒に洗礼を受けました。このことは、カトリック教会がフランク王国という強い後ろ盾を得たことを意味しました。この時、クローヴィスに洗礼を与えたのが聖レミギウス(サン・レミ)だと伝わります。その後、1825年のシャルル10世まで32人の王がランスで戴冠式を行い、そのうち25人の王が現在のノートル・ダム大聖堂で戴冠式を行いました。
ランメルスベルク鉱山とゴスラーの歴史地区、ハルツ山地上部の水利システム
Mines of Rammelsberg, Historic Town of Goslar and Upper Harz Water Management System
リートフェルト設計のシュレーダー邸
Rietveld Schröderhuis (Rietveld Schröder House)
『リートフェルト設計のシュレーダー邸』は、オランダの首都アムステルダムから、南に30kmほどのユトレヒトにある一戸建ての住宅です。トゥルース・シュレーダー・シュラーダー夫人の依頼により、建築家ヘリット・トマス・リートフェルトが設計し、1924年に建設されました。この小さな邸宅は、内部空間の柔軟な配置と視覚的・形式的な特徴により、1920年代のオランダの芸術家・建築家集団「デ・ステイル」が掲げた理想を大規模に表現した最初の試みとなりました。デ・ステイルとは、造形の純粋かつ抽象表現を追求する芸術運動のことです。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間にヨーロッパで広まり、はじめは絵画、次に家具や建築へと理念を展開していきました。シュレーダー邸は、デ・ステイル運動だけでなく、近代建築運動の象徴のひとつとみなされています。
リヴィウ歴史地区
L'viv – the Ensemble of the Historic Centre
リオ・デ・ジャネイロ:山と海に囲まれたカリオカの景観
Rio de Janeiro: Carioca Landscapes between the Mountain and the Sea
リガの歴史地区
Historic Centre of Riga
リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔
Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon
リトミシュル城
Litomyšl Castle
リューカン・ノトッデンの産業遺産
Rjukan-Notodden Industrial Heritage Site
琉球王国のグスク及び関連遺産群
Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu
沖縄や奄美の島々で見られる石造りの城塞のことを「グスク」と呼びます。グスクは、農村集落が営まれるようになった12世紀ごろから、按司と呼ばれる領主的な豪族が、自らの居住や防衛の拠点として築くようになりました。首里城(しゅりじょう)跡は、琉球王国の国王の居城として、政治・文化・経済の中枢となった城の遺構です。今帰仁城(なきじんじょう)跡は、14世紀の三山時代に北山王の拠点となったグスクの遺跡です。座喜味城(ざきみじょう)跡は、有力な按司であった護佐丸(ごさまる)によって15世紀に築かれた城跡です。勝蓮城(かつれんじょう)跡は、12世紀から13世紀にかけて建造された、現存する最古の沖縄のグスクで、有力按司の阿麻和利(あまわり)の居城でした。中城城(なかぐすくじょう)跡は、15世紀半ばに護佐丸が居城とし、阿麻和利との戦いで知られ、城壁には高度な石積み技術が見られます。
リュウゼツランの景観とテキーラ村の古式産業施設群
Agave Landscape and Ancient Industrial Facilities of Tequila
龍門石窟
Longmen Grottoes
リヨンの歴史地区
Historic Site of Lyon
リラの修道院
Rila Monastery
ルーレオにあるガンメルスタードの教会街
Church Town of Gammelstad, Luleå
スウェーデン北部のボスニア湾奥部、ルーレ川河口に位置するガンメルスタードの教会街は15世紀頃に教会が建てられたのを機に、教区として栄えた村です。この地に石造りの教会が誕生して以来、遠方からも信者が訪れるようになり、木造平屋コテージの宿泊施設が建てられました。やがて16世紀に入ると47の村々からなる大規模な教区へとなり、より多くの人々が集まる集落へと発展を遂げます。これに伴って、教会を中心に放射状に広がる道や、教会を一周する道路が出来るなど次々と都市計画が進み、コテージの戸数は400戸を超えるまで増えていきました。教会に向かって立ち並ぶ、赤い壁と白い窓枠の小さなコテージと家屋はこの地域のシンボルとなっています。
ル・アーヴル:オーギュスト・ペレにより再建された街
Le Havre, the City Rebuilt by Auguste Perret
ノルマンディー地方、イギリス海峡に面した都市ル・アーヴルは、第二次世界大戦中に激しい爆撃を受け、壊滅的な被害を受けました。破壊された地域は、当時70歳だったフランスの建築家オーギュスト・ペレ率いるチームの計画に基づき、1945年から1964年にかけて再建されました。旧市街の構造や現存する歴史的建築物の面影を残しつつ、新しい都市計画や建築技術の理念を融合させており、特に6.24mを基準とする碁盤目状の都市計画やプレハブ工法、鉄筋コンクリートの革新的な活用が特徴です。再建された地区は、ル・アーヴルの行政・商業・文化の中心を形成していて、数ある戦後再建都市の中でも、統一性と完全性において際立っています。
ルイス・バラガン邸と仕事場
Luis Barragán House and Studio
ル・コルビュジエの建築作品:近代建築運動への顕著な貢献
The Architectural Work of Le Corbusier, an Outstanding Contribution to the Modern Movement
フランスで活躍した近代建築家ル・コルビュジエの建築作品のうち、日本を含む3大陸7ヵ国に点在する17の資産が、2016年に世界で初めて「トランス・コンチネンタル・サイト」として世界遺産に登録されました。これら建築作品は、建築史上初めて、ある近代建築の概念が地球規模で広がり、実際に実践されたことを証明するものです。ル・コルビュジエは20世紀を代表する建築家の1人で、「住宅は住むための機械である」という言葉に象徴されるように、機能主義の建築家として近代建築運動を推進しました。彼は、建築の際の基準となる「モデュロール」や「近代建築の五原則」、「ドミノ・システム」などの重要な概念を次々と打ち出し、過去の伝統的な建築家たちと決別を図ったのです。
ルネサンス都市フェッラーラとポー川のデルタ地帯
Ferrara, City of the Renaissance, and its Po Delta
ル・モルヌの文化的景観
Le Morne Cultural Landscape
ルワンダ虐殺の記憶の場:ニャマタ、ムランビ、ギソジ、ビセセロ
Memorial sites of the Genocide: Nyamata, Murambi, Gisozi and Bisesero
ルワンダ内戦中の1994年4月から7月の約100日間にかけて行われた「ジェノサイド(大量虐殺)」を伝える遺産です。フツ族とツチ族の民族対立から広がった争いは「インテラハムウェ」と呼ばれる民兵武装集団により、ルワンダ全土で推定100万人が犠牲となる悲劇を生むことになりました。この遺産は、将来への教訓を伝える「負の遺産」と考えられると同時に、2023年の世界遺産委員会では「近年の紛争(リーセント・コンフリクツ)」における議論を前提とした「記憶の場」に関する世界遺産として登録されたうちの1件でもあります。(残り2つは「ESMA 博物館と記憶の場:拘禁と拷問、虐殺のかつての機密拠点(アルゼンチン共和国)」「第一次世界大戦(西部戦線)の慰霊と記憶の場(ベルギー王国/フランス共和国)」)
レーゲンスブルク旧市街とシュタットアムホーフ
Old town of Regensburg with Stadtamhof
ドイツ南東部、ドナウ河畔にあるレーゲンスブルクは、古くは石器時代から人の居住が始まり、西暦80年頃にローマ軍による砦が築かれて以降、2000年もの歴史を持つ都市です。特に中世以降はイタリア、ボヘミア、ロシア、ビザンツ帝国へと続く大陸交易路の重要な中継地として栄えました。9世紀以降は政治的、宗教的、経済的にも重要な位置を占めた都市であり、古代ローマ様式、ロマネスク様式、ゴシック様式といった様々な時代の建築物が混在して保存されています。また、中世から近世のドイツを統治していた神聖ローマ帝国の帝国議会が置かれた都市としても知られ、当初は各地の持ち回りで開催されていた議会でしたが、17世紀以降は常設議会として頻繁に開催されました。その後、神聖ローマ帝国の終焉・解体につながる決議がなされた地もレーゲンスブルクであり、帝国内において重要な位置を占める都市でした。旧市街には帝国の文化的伝統を伝える証拠として9世紀の宮殿の遺跡や多数の教会群、ゴシック様式に市庁舎など多くの歴史的建造物が残されています。
麗江の旧市街
Old Town of Lijiang
中国南西部、雲南省にある麗江は、12世紀の宋代末にチベット・ビルマ語族に属する少数民族納西族(ナシ族)によって建設された古都で、万年雪が積もる標高5,596mの玉龍雪山の麓に位置する高地の街です。世界遺産に登録されているのは、麗江の旧市街の保護区と、白沙、東河の近郊2村です。麗江の旧市街は「大研鎮(だいけんちん)」と呼ばれ、かつて交易の広場だった四方街を中心に、約800年にわたって歴史を重ねてきました。この街を建設した納西族は、茶葉などの交易のためにやってきた漢族やチベット族などの諸民族の文化を取り入れて、旧市街に残された壁画や、象形文字の一種である東巴文字(トンパ文字)などをはじめとする独自の文化を生み出しました。建造物や音楽も、納西族の伝統と異文化の交流を感じさせます。
レオン大聖堂
León Cathedral
ここはニカラグア西部レオン市にある大聖堂で、グアテマラ人建築家のディエゴ・ホセ・デ・ポレス・エスキベルの設計によって1747年から19世紀初頭にかけて建設されました。この時期は後期バロック様式から新古典主義様式への移行期にあたり、それらの折衷的特徴を有しています。豊富な自然光と落ち着きのある質素な内装をベースにしながらも、堂内の至聖所の天井周りには豪華な装飾が施されています。また、聖堂の横幅を広く柱を太くして、地震の多いこの地の環境にも配慮しているなど、スペインと現地の文化が混淆した当時の様式を反映しています。美術作品としては、フランドル様式の木製祭壇やニカラグアの芸術家アントニオ・サッリアの絵画「十字架への道の14の場面」などが残されています。
歴史的要塞都市カンペチェ
Historic Fortified Town of Campeche