World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(iv))

ポントカサステ水路橋と運河

Pontcysyllte Aqueduct and Canal
ポントカサステ水路橋と運河
ウェールズ北東部には、英国で最長かつ最も高い水路橋があります。それが19世紀初頭に開通したポントカサステ水路橋と運河で、それは産業革命の時代における土木技術の結晶とされています。橋を設計したのは、土木技術者のトマス・テルフォードです。彼は、水が流れる橋の上の水路部分に鍛鉄を使い、軽くて頑丈なアーチ構造で完成させました。また、地形的な条件に合わせて、運河には閘門を省くといった大胆な解決策も取り入れました。200年以上も昔に、土木技術と金属構造を融合させたことは画期的であり、後の世界の土木建築に多大な影響を与えたとされています。
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ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区

Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata
ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区
西暦79年、ナポリの東にあるヴェスヴィオ山が大噴火しました。その噴火の火砕流・土石流や火山灰で周辺の古代ローマの都市は壊滅しました。ヴェスヴィオ山の南にあったポンペイの街はそれから千年以上にわたり、火山灰と火山礫に埋もれたままでしたが、16世紀に農民が偶然発見し、18世紀半ばから本格的な発掘が始まりました。ヴェスヴィオ山のすぐ西側にあったヘルクラネウム(現エルコラーノ)も高温の火砕流に襲われた後、火山灰に埋もれました。これらの街で発掘された遺跡から、広場や公共の建築物があり、石で舗装された通りの両側に住宅や店舗が並ぶ古代ローマの街並みを知ることができます。ポンペイ近郊の町トッレ・アヌンツィアータには皇帝ネロの妻ポッパエアの別荘「オプロンティスのヴィラ」が発掘されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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マウォポルスカ南部の木造教会群

Wooden Churches of Southern Małopolska
マウォポルスカ南部の木造教会群
ポーランド南部にあるマウォポルスカには、中世のローマ・カトリック文化の教会建築の様相を伝える木造教会群が点在しています。中世のポーランドでは、王侯や貴族、聖職者など限られたパトロンのみが教会を建設することがきました。木造教会は社会的・政治的威信の象徴となり、村や集落のランドマークであり、共同体の文化的なアイデンティティと結びついた存在でした。世界遺産に登録されたのは、15~18世紀にかけて建てられた6つの木造教会群です。いずれもゴシック様式で、北欧や東欧地域では一般的だった丸太を水平に積み上げて造る工法で建設されました。これらの教会の建設において採用された独特な構造は、この地域固有のものです。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (iii)(iv)
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マウルブロンの修道院関連建造物群

Maulbronn Monastery Complex
マウルブロンの修道院関連建造物群
1147年に設立されたシトー会のマウルブロン修道院は南ドイツに位置します。アルプス以北で最も完全かつ保存状態の良い中世修道院群とされています。城壁に囲まれた主要な建物は12世紀から16世紀にかけて建造されたもので、ロマネスクからゴシックへの過渡期にあたります。聖堂は三廊式で、縦に長いラテン十字型のプランを持つロマネスク様式で創建されましたが、13世紀の初めにゴシック様式の柱廊玄関ホールなどが加えられました。北ヨーロッパから中央ヨーロッパの多くの地域のゴシック建築の普及に大きな影響を与えたと考えられています。修道院は町外れに位置し、かつ城壁に囲まれていることから市街地とは明確に区別され隔たれており、これは第一世代のシトー会建築の典型例の一つです。また、併設されていた神学校は、作家のヘルマン・ヘッセや詩人のフリードリヒ・ヘルダーリンなどが学んでいたことでも知られています。ヘッセの自伝的小説である『車輪の下』はマウルブロン神学校での体験を元にしているとされています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)
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マカオの歴史地区

Historic Centre of Macao
マカオの歴史地区
中国大陸の南岸、珠江デルタに位置するマカオ(澳門)は、ポルトガルのアジア貿易の拠点となった港街です。元は漁村であり、福建省から中国沿岸を航海する船乗りが立ち寄る中継地でした。ポルトガル人が最初に中国へたどり着いたのは明代の1513年のこと。1557年に明王朝から居住権が与えられ、東アジアで最初のヨーロッパ入植地となると、数多くのカトリック教会や礼拝堂が築かれていきました。 17世紀になると、ポルトガルはオランダをはじめとする他のヨーロッパ列強諸国を 遠ざけるため、マカオに要塞を築きました。1849年、ポルトガルはマカオを自由貿易港と宣言し、1889年にはポルトガル領植民地となりました。イギリス領の香港が発展していくと、次第に貿易の中心は香港へと移り、マカオは外国人の別荘地となりました。1999年に中国へ返還され、現在は特別行政区です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市

Portuguese City of Mazagan (El Jadida)
マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市
カサブランカ南西90kmに位置するアル・ジャジーダ市の一部であるマサガンは、16世紀初頭に大西洋沿岸の要塞植民地として建設されました。マサガンとはベルベル語で「たてがみをもつ女性」という意味ですが、19世紀にスルタンであったアブルドゥ・ラフマンによって「新しい」という意味の「アル・ジャジーダ」と名づけられました。ポルトガル占領時、マサガンはインドへの航路上に位置する、西アフリカにおけるポルトガル人探検家たちの重要な拠点として機能しました。
地域: アフリカ / 国名: モロッコ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iv)
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マサダ国立公園

Masada
マサダ国立公園
マサダ国立公園は、イスラエルの死海を見下ろす高さ約400mの孤立した台地の上に、紀元前1世紀、ユダヤ王国のヘロデ王がローマ様式の豪華な宮殿を建設した場所です。マサダは、紀元66年、ローマ帝国への不満がくすぶる中、属州のユダヤ人が反乱を起こした際(ユダヤ戦争)、1,000人近いユダヤ人が「最後の砦」として籠城した要塞でもあります。最後は、ローマ軍に包囲されたユダヤ人が集団自決の道を選びましたが、当時の遺物や関連遺構はいまだに岩の下に眠っているものもあり、広大な遺跡は、荒々しくも美しい自然の景観の中に溶けこんでいます。マサダの名前は、アラム語の「ハ・メサド(城塞)」が由来とされています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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マテーラの洞窟住居サッシと岩窟教会公園

The Sassi and the Park of the Rupestrian Churches of Matera
マテーラの洞窟住居サッシと岩窟教会公園
「サッシ」とはイタリア語で岩を意味するサッソ(sasso)の複数形で、ここマテーラにおいては洞窟住居を指します。イタリア南部バジリカータ州のマテーラには深いグラヴィーナ渓谷があり、その石灰岩層に約3,300の洞窟と150以上の岩窟教会が残されています。洞窟住居は約7,000年前から造られ始め、その後屋根等を拡張して居住スペースを広げたものも多く造られるようになりました。しかし、20世紀になって人口が急増し、住環境や衛生状態が悪化したため、1950年代に住民1万5,000人が郊外に強制的に移住させられ、無人の廃墟となってしまいました。近年は世界遺産登録を契機に観光客が増加し、洞窟の5分の1ほどが再利用されているということです。ここには旧石器時代の遺跡もあり、古代からの人々の生活の様相と文化を伝える歴史的価値が高く評価されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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マフラの王家の建物:宮殿、バシリカ、女子修道院、セルコ庭園、狩猟公園(タパダ)

Royal Building of Mafra – Palace, Basilica, Convent, Cerco Garden and Hunting Park (Tapada)
マフラの王家の建物:宮殿、バシリカ、女子修道院、セルコ庭園、狩猟公園(タパダ)
マフラの王家の建物は、ジョアン5世によって1711年に構想され、彼が手がけた最も壮大な事業の 1 つであり、君主制と国家観を具体化して表現されたものです。ジョアン 5 世は優れた文化的・経済的条件に恵まれており、広大な多大陸帝国の強力な君主として、当時の他のヨーロッパの君主の中でも際立っていました。長方形の巨大な建築物は、王と王妃の宮殿、バシリカ、フランシスコ会修道院、そして36,000巻を収蔵する図書館がシームレスに統合しており、ポルトガル帝国の権力と影響力を象徴しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポルトガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (iv)
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マプングブエの文化的景観

Mapungubwe Cultural Landscape
マプングブエの文化的景観
ジンバブエとボツワナに接する南アフリカの北端には、南部アフリカ最古の王国とされるマプングブエの遺跡があります。シャシェ川とリンポポ川の合流地に広がるサバンナの景観に、宮殿や集落、古代首都の遺跡が残っています。10世紀頃に農村社会から王国へと発展したマプングブエには、東アフリカの港湾を経由するインド洋交易によって、莫大な富がもたらされました。マプングブエからは金や象牙が輸出され、インドや中国からは磁器やガラスビーズなどが輸入されたようです。
地域: アフリカ / 国名: 南アフリカ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(v)
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マラケシュの旧市街

Medina of Marrakesh
マラケシュの旧市街
モロッコ史における重要な歴史的都市 マラケシュはモロッコでフェズに次ぐ2番目に歴史を持つ都市です。ムラービト朝時代の1070~1072年にかけて建設され、以後長きにわたりモロッコの政治、経済、文化の中心地でした。赤土色の
地域: アフリカ / 国名: モロッコ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)
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マラムレシュの木造教会群

Wooden Churches of Maramureş
マラムレシュの木造教会群
マラムレシュの木造教会群は、ルーマニア北西部に位置する木材のみで造られたゴシック様式建築物です。18世紀から19世紀にかけて建てられた「シュルデシティ」「ブルサナ」「イェウッド」「ブデシティ」「ポイエニレ・イゼイ」「デセシティ」「プロピシュ」「ロゴス」の8つの村の教会が世界遺産として登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ルーマニア / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (iv)
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マリブ:古代サバ王国の代表的遺跡群

Landmarks of the Ancient Kingdom of Saba, Marib
マリブ:古代サバ王国の代表的遺跡群
サバ王国は、紀元前8世紀~紀元3世紀ごろ、イスラーム以前の南アラビアに存在した古代王国です。厳しい砂漠地帯でありながら、高度な技術により灌漑施設を建設し、オアシス都市として栄えました。都のマリブは、乳香を扱う隊商交易のルートにも組み込まれ、南アラビアの経済・文化の中心地となります。ユダヤ教・キリスト教の聖典である『旧約聖書』には、“シェバの女王”が古代イスラエルの王ソロモンを訪ね、香料などを贈る場面が描かれています。この“シェバの女王”がサバ王国の女王と考えられています。イスラームの聖典である『コーラン(クルアーン)』にも、“サバア(シェバ)王国の女王”がソロモン王と対峙する話があり、「大金持ち」で「賢い」女王という記述もあります。中世アラビアの文献にもサバ王国の繁栄ぶりが記され、後世に伝えられています。
地域: 西・南アジア / 国名: イエメン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (iii)(iv)
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マルタの巨石神殿群

Megalithic Temples of Malta
マルタの巨石神殿群
世界最古級の独立型石造建築物である「マルタの巨石神殿群」は、紀元前4000年から3000年頃に築かれたものです。地中海のマルタ島やゴゾ島に残る先史時代の神殿は30基以上もあり、そのうちの7つが世界遺産に登録されています。これらはほかのヨーロッパ地域では見当たらない巨石文化です。建造物はそれぞれ構成も建築技法も異なっているので、独自の発展を遂げたものだと考えられています。これらの巨石神殿群の中でも最も古いとされる、ゴゾ島にあるジュガンティーヤ神殿は、重さが数トンもある石灰岩の巨石を積み上げた外壁が荒々しく、巨人に建てられたという伝説が残っているのもうなずけるような迫力です。
地域: ヨーロッパ / 国名: マルタ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1980年 / 登録基準: (iv)
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マルボルクのドイツ騎士修道会の城

Castle of the Teutonic Order in Malbork
マルボルクのドイツ騎士修道会の城
マルボルク城は、13世紀に建設が始まったドイツ騎士修道会の要塞化された修道院です。1309年に総長の座がヴェネツィアからマルボルクに移されてから大幅に拡大され、装飾されました。ドイツ騎士団特有の独特な様式で建てられたゴシック様式のレンガ造りの城郭群の中でも、最も完成度が高く精巧なもので、当時の西ヨーロッパや近東で一般的だった城の様式とは独立して発展したものです。その壮大な要塞は、14世紀に最大の勢力を誇ったプロイセンにおけるドイツ騎士修道会国家を物語る建造物です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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ミール城と関連遺産群

Mir Castle Complex
ミール城と関連遺産群
ミール城は、ベラルーシに位置する、中世から近世にかけての中央ヨーロッパの政治的・文化的対立と融合を物語る、類いまれな城塞です。15世紀末にゴシック様式で建設が始まり、その後ルネサンス様式やバロック様式の影響を受けて拡張・再建されました。その建築様式の中に、ゴシック様式の堅牢さと、ルネサンス様式の洗練された優雅さ、そしてバロック様式の装飾的な要素が調和して共存しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ベラルーシ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ミクナースの旧市街

Historic City of Meknes
ミクナースの旧市街
ミクナースの旧市街はムラービト朝の軍事拠点として築かれ、その後アラウィー朝のムーレイ・イスマーイール(在位:1672~1727年)の治世にアラウィー朝の首都に制定されました。ムーレイ・イスマーイールは、ミクナースをスペイン・ムーア様式の壮麗な帝都として発展させ、約50年間にわたり宮殿、モスク、庭園、カスバなどを建設しました。ムーレイ・イスマーイールは「モロッコのルイ14世」と呼ばれたほか、フランスの保護領時代には、ミクナースは「モロッコのヴェルサイユ」や「小さなパリ」といった愛称をもち、その美しさで知られていました。
地域: アフリカ / 国名: モロッコ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (iv)
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ミケーネとティリンスの考古遺跡

Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns
ミケーネとティリンスの考古遺跡
ホメロスの『イリアス』を史実と信じ、トルコのトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、あまりにも有名な考古学者です。彼はさらに、「黄金に富める国」と謳われたミケーネを求めて発掘を続けました。トロイア遺跡発掘から3年後の1876年、彼はついにミケーネの都市遺跡から円形墳墓や黄金のマスクなどを発見し、歓喜したのです。ミケーネを中心とするミケーネ文明は紀元前1600年から前1100年の間に地中海世界に広がった文明であり、クレタ文明と並ぶエーゲ文明の代表的な文明として知られています。戦士を社会の中枢に据えた武力社会だったとされ、海洋的と評されたクレタ文明とは真逆の社会だったようです。また、ミケーネの支配下にあったティリンスもシュリーマンにより発見され、同じく世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ミストラの考古遺跡

Archaeological Site of Mystras
ミストラの考古遺跡
古代ギリシアのポリスであるスパルタから西へ約5kmの位置に、ミストラはあります。かつて「ビザンツ帝国最後の輝き」と言われたこの都市は、13世紀初頭の第4回十字軍の際、アカイア公国の君主によって築かれました。その後、ビザンツ帝国の皇帝ミハイル8世がこのミストラを手中におさめ、ミストラはビザンツ帝国軍総督の本拠地となりました。14世紀から15世紀にかけてはモレアス専制公領の都となり、専制公らは大きな政治力と軍事力を背景に富を蓄え、ミストラを要塞都市だけでなく、文化の中心地としても発展させようとしました。建築家や芸術家を集めて、古代ギリシアに倣ってアカデミアなどを建築しますが、1453年にビザンツ帝国が崩壊すると、ミストラは衰退の一途を辿りました。そして、19世紀には廃墟と化してしまったのです。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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ミディ運河

Canal du Midi
ミディ運河
フランス南部のトゥールーズから地中海に隣接したトー湖までを結ぶミディ運河は、ブルボン朝絶頂期の太陽王、ルイ14世の治世時である1694年に完成した、世界最古級の運河です。総延長は360kmで、東京から三重あたりまでの距離に相当します。当時フランスはスペインに対抗するために、地中海と大西洋を結ぶ国際通路を必要としていました。実はローマ帝国の時代から、地中海と大西洋を結ぶ運河の建設計画があったのですが、技術的にも予算的にも非常に困難なものでした。そこで立ち上がったのが当時、塩税徴収人として財をなしたピエール・ポール・リケでした。彼は1667年に運河の着工をし、約30年かけて完成させました。運河はトゥールーズで大西洋に注ぐカロンヌ川と繋がり、この事業は新しい時代を象徴するものとなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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ミノア文明の宮殿群

Minoan Palatial Centres
ミノア文明の宮殿群
ミノア文明とは古代ギリシャ文明のひとつで、エーゲ海のクレタ島を中心に栄えた青銅器文明です。ミノアとは伝説上の王であるミノス王からきていますが、島の名をとりクレタ文明ということもしばしばあります。この文明を築いた民族については残念ながらあまりわかっていませんが、紀元前1900年頃から栄え、世界史の教科書でもお馴染みのクノッソス宮殿などの壮大な宮殿が築かれました。当時の民族が使用した文字を線文字Aと言いますが、未解読のため、早急な解読が期待されます。しかし、城壁がなく、多数の壺に海の生物が描かれていることから、開放的で海洋的な文明だったと推測されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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ムスカウ公園/ムジャクフ公園

Muskauer Park / Park Mużakowski
ムスカウ公園/ムジャクフ公園
ムスカウ公園/ムジャクフ公園は、ヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ伯爵が自身の領地に1815年から1844年の間に造営し、その弟子であるエドゥアルト・ペツォルトがその設計を継承して発展させた広大な景観公園です。ルザチア・ナイセ川の渓谷に調和する形で設置され、地元の町や周囲の農村景観との統合により、新しい景観設計の手法を切り開き、景観建築の発展に寄与しました。この広大な敷地には、ナイセ川やその他の人工・自然の水域、橋、建築物、森林地帯、遊歩道が含まれています。これは、文化的景観の一例であり、自然の特性を巧みに活用した見事な設計が施されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国, ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (i)(iv)
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ムツヘタの歴史的建造物群

Historical Monuments of Mtskheta
ムツヘタの歴史的建造物群
ジョージア中央東部、アラグヴィ川とムトゥクヴァリ川の合流点に位置するムツヘタは、紀元前4世紀から5世紀までイベリア王国(カルトリ)の首都として繁栄しました。4世紀にキリスト教が伝わり、国教となることが宣言されたこの場所には、聖堂や修道院が建てられています。首都がトビリシに移された5世紀以降も、ムツヘタはキリスト教の拠点として主導的な役割を維持し続けました。現在でもジョージア正教会と使徒教会の本部が置かれている重要地点です。自然条件に恵まれ、貿易ルートの交差点でもあるこの場所は、ペルシア、アラブ、ビザンツ帝国などの支配下に置かれたことで文化的な影響を受けます。主にビザンツ帝国の影響を受けて発展し、地元の文化的伝統の融合につながりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ジョージア / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (iii)(iv)
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ムンバイにあるヴィクトリア朝ゴシックとアール・デコの建造物群

Victorian Gothic and Art Deco Ensembles of Mumbai
ムンバイにあるヴィクトリア朝ゴシックとアール・デコの建造物群
19世紀の後半、港湾都市として発展したムンバイは大規模な都市計画プロジェクトを実行し、その一環として様々な様式で公共建築を建てました。当初は「ヴィクトリア朝ネオ・ゴシック様式」でしたが、20世紀初頭には「アール・デコ様式」が入ってきました。市中心部の「オーヴァル・メイデン」と呼ばれる楕円形のエリアには、その東側には裁判所や大学等がネオ・ゴシック様式で建てられ、一方西側にはアール・デコ様式の住宅や映画館が並んでいます。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (ii)(iv)
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明・清時代の皇帝陵墓

Imperial Tombs of the Ming and Qing Dynasties
明・清時代の皇帝陵墓
明・清時代の皇帝陵墓は、風水に基づいて慎重に選ばれた地形に位置し、自然環境との有機的な統合が図られています。陵墓と建物は中国の階層構造に従って配置され、石碑や彫刻が並ぶ神聖な通路が組み込まれています。これは、王室の儀式や死者の霊の通行を目的としたもので、5世紀にわたり明・清の統治者が堂々とした陵墓の建設を非常に重視していたことを物語っています。この自然と調和した配置は、人類の創造的才能を示す傑作です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業

Sites of Japan’s Meiji Industrial Revolution: Iron and Steel, Shipbuilding and Coal Mining
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
官営八幡製鐵所は、明治維新後の産業近代化に伴う鉄鋼需要の高まりに対応するため、鋼鉄を生産する日本初の銑鋼一貫製鉄所として1897年に着工され、1901年に操業を開始した官営工場です。日清戦争の下関条約によって莫大な賠償金を得た日本は、筑豊炭田に近く洞海湾に面した八幡村に、ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ社の設計・施工により製鉄所を建設しました。1910年には、国内鋼材生産量の90%以上を担っていました。官営八幡製鐵所は、「旧本事務所」、「修繕工場」、「旧鍛冶工場」で構成されています。「旧本事務所」は、八幡製鐵所の操業2年前の1899年に完成した初代本事務所で、中央にドームをもつ赤レンガ造りの2階建てであり、屋根は日本瓦葺きです。「修繕工場」は、製鐵所で使用する機械の修繕や部材の製作・加工を目的に1900年に建設された日本最古の鉄骨建造物で、現在も現役の工場として使用されています。「旧鍛冶工場」は、製鐵所建設に必要な鍛造品の製造を目的として1900年に建設された鉄骨建造物です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (ii)(iv)
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メキシコ国立自治大学(UNAM)の中央大学都市キャンパス

Central University City Campus of the Universidad Nacional Autónoma de México (UNAM)
メキシコ国立自治大学(UNAM)の中央大学都市キャンパス
メキシコシティー南部にあるメキシコ国立自治大学(UNAM)は敷地面積約7㎢を誇る中南米最大規模の大学です。1551年にスペイン王フェリペ2世によって開学された王立メキシコ大学を前身とし、メキシコ革命を経て1929年に自治権を獲得し、現在の名称へと改称されました。その後1949年から1952年にかけての近代化運動のなかで大学が建設されました。20世紀のモダニズムの建築工学や景観設計と、スペイン人入植以前のメキシコの伝統文化に由来する特徴とが融合した大学都市が作り上げられました。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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メキシコ・シティの歴史地区とソチミルコ

Historic Centre of Mexico City and Xochimilco
メキシコ・シティの歴史地区とソチミルコ
メキシコ・シティは16世紀にスペイン人によってアステカ帝国の古都テノチティトランの遺跡の上に建設された街です。スペイン人は1521年にテノチティトランに攻め入り、都市を破壊したのち、都市の上にメキシコ・シティを建設しました。ソカロ(中央広場)を中心に碁盤の目状に道路が広がる都市構造や建築様式は新大陸における植民都市のモデルとなり、各地に影響を与えました。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(v)
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メディナ・アサーラのカリフ都市

Caliphate City of Medina Azahara
メディナ・アサーラのカリフ都市
スペイン南部のコルドバ郊外にあるメディナ・アサーラのカリフ都市は、後ウマイヤ朝のカリフであるアブド・アッラフマーン3世によって10世紀半ばに築かれた都市です。アラビア語で「花」を意味するザフラー宮殿は30年以上かけて築かれて、以後数年間は繁栄したのですが、1009~1010年のカリフ制廃止をもたらした内戦によって荒廃しました。以後、人々の記憶から忘れ去られ、都市の遺構が発見されたのは約1,000年後の20世紀初頭でした。約1,000年も忘れ去られていたため、保存状態は良好です。イベリア半島におけるイスラム文明を示す都市遺跡は少なく、非常に価値があると言えます。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (iii)(iv)
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メテオラの修道院群

Meteora
メテオラの修道院群
メテオラとはギリシア語で「中空に浮く」という意味であり、ギリシア中部にあるメテオラでは、奇岩群が数多くあり、その上に修道院が立っているという、世界でも類を見ない景観が見られます。この奇岩群が形成されたのは今から6,000万年前に誕生したとされ、そこから長い年月をかけて川の水が谷を削り、硬い部分だけが残った結果、このような景観が生まれました。この景観を神の地と思ったのか、古くから人々が住み着いていました。9世紀頃から、現実世界から離れて、決して住みやすいとは言えないこの場所に修道院を築き、祈りを捧げるようになるのです。修道院群があたかも空中に浮いているように見えるから、この地はメテオラと言われました。最盛期には24の修道院があり、7つの修道院が世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)(vii)
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