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ニュー・ラナーク
New Lanark
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで
Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
ネスヴィシにあるラジヴィル家の建築と邸宅および文化関連遺産群
Architectural, Residential and Cultural Complex of the Radziwill Family at Nesvizh
ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯
Nord-Pas de Calais Mining Basin
ヨーロッパ随一の農業国の印象があるフランスですが、工業の分野でも発展している地帯があります。フランス北端にある『ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯』はフランス屈指の工業地帯であり、1,200㎢の中になんと109もの構成資産が存在しています。カレ地方は百年戦争でイギリスに約200年近く占領されたことでも有名です。この地で石炭の層が発見されたのは17世紀。イギリスやベルギーが産業革命を迎え、19世紀半ばにフランスも産業革命を迎えると、この地域の石炭や鉄鉱石の重要度が急激に高まりました。1850年代にはフランスで最も重要な鉱山地帯となり、坑道や石炭輸出のインフラに加えて、労働者が暮らす住宅やコミュニティ施設も次々に作られていきました。現在は閉山しているものの、20世紀後半まで現役であったため、150年近くにわたって機能してきた炭鉱都市の姿を今でもうかがえるのが貴重です。
ノヴォデーヴィチー修道院関連遺産群
Ensemble of the Novodevichy Convent
ノヴゴロドと周辺の歴史的建造物群
Historic Monuments of Novgorod and Surroundings
バースの市街
City of Bath
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡のひとつとされています。
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
ハーンの宮殿のあるシェキの歴史地区
Historic Centre of Sheki with the Khan’s Palace
カフカス山脈東部の南側斜面に位置する歴史都市シェキは、紀元前6世紀にまで遡る古い歴史を持っています。現在の歴史地区は、1772年の土砂洪水の後、それまでの場所より東にある山間の谷の高台に再建されました。重要な交易路に接していることから、多様な文化的影響を受けてきました。キリスト教は1世紀にはすでに伝わり、イスラーム教は7世紀に広まりました。18世紀まで、シェキはサファヴィー朝、オスマン帝国、カージャール朝など、さまざまな勢力の支配下にありました。1743年には、コーカサス地方で最初かつ最も強力なハーン国として独立し、その後19世紀初頭にはロシアの支配を受けました。こうした多様な文化の影響は建築にも見られます。ハーンの宮殿には、ムカルナスなどのイスラーム建築技法、美しい中庭、そしてヨーロッパから持ち込まれたガラスを釘や接着剤を使わずに木で格子状に組み込んだステンドグラス「シェベケ」など、18世紀アゼルバイジャン建築の粋が凝縮されています。
ハイチの国立歴史公園:シタデル、サン・スーシ宮、ラミエ地区
National History Park – Citadel, Sans Souci, Ramiers
ハイチ北部にあるラミエの国立歴史公園には、ハイチの独立に関連するシタデルとサン・ スーシ宮が残っています。17世紀末からフランス統治下のハイチでは、50万人もの黒人奴隷がいましたが、 その後奴隷が解放され、ハイチは1804年に独立しました。独立運動の指導者ジャン・ジャック・デサリーヌを倒して権力を握った黒人将軍アンリ・クリストフは、その権威の象徴としてヴェルサイユ宮殿を模したサン・スーシ宮を建設しました。ポツダムやウィーンのものを彷彿とさせる階段状の庭園も特徴です。背後のラ・フェリエール山 にあるシタデルは、高さ50m、厚さ5mもの城壁を持ち、約5,000人を収容できる兵舎と365もの大砲を備えていた城塞です。現在はどちらも廃墟となっています。ハイチ唯一の世界遺産です(2025年11月現在)。
ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群
Bahá’i Holy Places in Haifa and the Western Galilee
バウハウス関連遺産群:ヴァイマールとデッサウ、ベルナウ
Bauhaus and its Sites in Weimar, Dessau and Bernau
20世紀の建築と芸術、都市計画において世界的な影響を与え、モダン・ムーブメント(近代建築運動)の基盤となったバウハウスは、1919年にドイツのヴァイマールで総合造形学校として設立されました。ドイツ語で「建築の家」を意味し、建築作業組合「バウヒュッテ」が名前の由来となっています。初代校長を務めた建築家ヴァルター・グロピウスや2代目校長のハンネス・マイヤー、独特な画風で近現代美術に影響を与えたパウル・クレー、画家・写真家で新興写真運動の中心人物を務めたモホリ=ナジ・ラースロー、抽象絵画の先駆者ワシリー・カンディンスキーといった当時を代表する芸術家たちが教鞭をとり、建築を軸に、デザイン、美術、写真、彫刻などの総合的な教育が行われました。ヴァイマールには、バウハウスの校舎となった旧美術学校と本館、バウハウスの理念に基づいて建てられた初期の建築物であるハウス・アム・ホルンがあります。1925年以降、拠点はデッサウへ移され、ヴァルター・グロピウスの設計でバウハウス・デッサウ校舎や、バウハウスの教員が暮らすマスターズハウスが建設されました。これらは、機能主義に基づく設計と新素材・技術の活用を通じて、モダン・ムーブメント(近代建築運動)を切り開きました。
バガン
Bagan
ハグマターナ
Hegmataneh
パサルガダエ
Pasargadae
バターリャ修道院
Monastery of Batalha
『八萬大蔵経』版木所蔵の海印寺
Haeinsa Temple Janggyeong Panjeon, the Depositories for the Tripitaka Koreana Woodblocks
バッサーリ地方:バッサーリ族とフラ族、ベディク族の文化的景観
Bassari Country: Bassari, Fula and Bedik Cultural Landscapes
バッファロー狩りの断崖
Head-Smashed-In Buffalo Jump
パドヴァの14世紀のフレスコ画群
Padua’s fourteenth-century fresco cycles
パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)
Botanical Garden (Orto Botanico), Padua
パトモス島にある歴史地区(ホラ):神学者聖ヨハネの修道院と黙示録の洞窟
The Historic Centre (Chorá) with the Monastery of Saint-John the Theologian and the Cave of the Apocalypse on the Island of Pátmos
エーゲ海東部のドデカネス諸島にあるパトモス島は、神学者聖ヨハネが「福音書」と『新約聖書』の「黙示録」の両方を書いたと伝えられる、キリスト教史上非常に重要な場所です。聖ヨハネとはイエスの十二使徒の1人で、イエスに最も愛された弟子のひとりでした。西暦95年、ドミティアヌス帝によってパトモス島に流刑となった聖ヨハネは、この地で「黙示録」などを書き、弟子プロクロスに口述したとされています。7世紀にはイスラーム教徒の襲撃を受けて一度は無人島となったものの、11世紀にビザンツ帝国のアレクシオス1世がパトモス島を植民地にしてからは、この地はギリシャ正教の学びと巡礼の地となりました。最初の修道院である「神学者聖ヨハネ修道院」は、1088年に修道士ホシオス・クリストドゥロス・ラトリーノスによって建てられました。
パドレ・テンブレケ水利施設の水道橋
Aqueduct of Padre Tembleque Hydraulic System
パナマの植民地時代の地峡横断ルート
The Colonial Transisthmian Route of Panamá
「パナマの植民地時代の地峡横断ルート」は、2025年にフランス・パリで開催された第47回世界遺産委員会で、世界遺産に登録されました。これに先立ち、1997年には「パナマ・ビエホ考古遺跡とパナマの歴史地区」が独立した世界遺産として登録されていましたが、2025年の登録に伴い、それらは新たな遺産「パナマの植民地時代の地峡横断ルート」の構成資産として統合されました。16世紀以降、パナマ地峡はイベリア半島とアメリカのスペイン王国の植民地、フィリピン諸島、カナリア諸島間の物資や人の輸送を円滑にする世界的な戦略的資産となりました。連続した土地は、地峡を横断した証拠であり、戦略的に要塞化された集落、歴史的な町、考古学的遺跡、そしてカリブ海と太平洋を結ぶ道路などが含まれています。
ハノイにあるタン・ロン皇城遺跡の中心地
Central Sector of the Imperial Citadel of Thang Long - Hanoi
パパハナウモクアケア
Papahānaumokuākea
パパハナウモクアケアは、ハワイ諸島の北西250~1931kmの広範囲に連なる小島と環礁からなる、広大かつ孤立した島嶼群に付けられた名称です。総面積は約362,075㎢におよび、世界最大級の海洋保護区の一つとされています。この地域は、比較的静止したホットスポットと安定したプレート運動の結果として形成された海山列を示す好例であり、ハワイ・エンペラー海山列の大部分を占めています。世界最長かつ最古の火山列の大半を構成するパパハナウモクアケアは、プレートテクトニクス理論およびホットスポットに関する理解を形成する上で、極めて重要な役割を果たしてきました。地質学的にはハワイ火山国立公園と密接に関連しており、ホットスポット火山活動の重要な証拠を共有しています。
パハルプールの仏教遺跡
Ruins of the Buddhist Vihara at Paharpur
バビロン
Babylon
バグダードの南約85kmに位置する『バビロン』は古代世界で最も強い影響力を持った帝国が存在したことを示す遺跡です。「バビロン」の名は古代アッカド語で「神の門」という意味の言葉に由来します。この地が最初に歴史に登場するのは紀元前23世紀ごろの古代アッカド帝国時代に遡ります。紀元前19世紀ごろに「ハンムラビ法典」で知られる古バビロニア王国(バビロン第1王朝)が興り、ここを首都としました。その後ヒッタイトやアッシリアなどの支配を受けますが、紀元前7世紀に新バビロニア王国その都となりました。「ユダヤ人のバビロン捕囚」で有名なネブカドネザル2世の時代には、当時の世界でもっとも人口の多い繁栄した都市であったと伝わっています。その後のペルシャ帝国やアレクサンダー大王の時代にも繁栄は続きましたが、7世紀のイスラム勢力の侵攻による破壊以降衰退し、10世紀以降は打ち捨てられました。
パフォスの考古遺跡
Paphos
キプロス島南西部にあるパフォスには、新石器時代から人が住んでおり、古代ギリシャ文明に先立つ時代においては「豊穣の神々」の信仰の地としてされていました。そして何より「美と愛の女神アフロディーテ(ヴィーナス)」の生誕地として古代ギリシャ世界の女神信仰の中心地として広く知られています。ここには古代ギリシャ人が基礎を築き、その後の古代ローマに引き継がれて発展した都市遺跡が残っています。紀元前12世紀ごろにミュケナイ人により建てられたアフロディーテ神殿をはじめ、ヴィラや劇場などの遺構が残る広大な考古遺跡です。ヴィラの床のモザイクは古代ギリシャ神話の彩り豊かなもので、世界で最も美しいモザイク床といわれています。
バムとその文化的景観
Bam and its Cultural Landscape
イラン南部に位置するバムは、その起源をアケメネス朝ペルシアやパルティア王国時代にまで遡るといわれるオアシス都市です。都市にはカナートと呼ばれる地下水路網が整備され、オアシス都市へと発展をしました。現在も稼働中の国内最古級のカナートが存在します。7世紀以降、数百年にわたり東西交易ルートの中継地として繁栄してきました。中心に立つアルゲ・バムと呼ばれる城塞は壁と二重の内壁をもつ三重構造で、日干しレンガを積み上げてつくられました。紀元前6〜前4世紀頃のアケメネス朝ペルシアに起源を咲かあ登りササン朝ペルシアの時代に建設され、16世紀のサファヴィー朝時代に現在の形になりました。外たやしかし、18世紀にアフガニスタン方面からパシュトゥン人の攻撃を受け、町は放棄されました。