World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(ii)(iv))

サマイパタの砦

Fuerte de Samaipata
サマイパタの砦
ボリビア東部のアンデス山麓にあるサマイパタの砦は、二つの部分から成り、その一つは多くの彫刻が残る丘で、長さ220m、幅約60mの赤い砂岩でできた一枚岩からなり、その表面全体に動物、幾何学模様、壁龕、運河など、宗教的に重要な様々な表現が全面に彫刻されています。眼下に街を見下ろすこのモニュメントは、スペイン到来以前の伝統と信仰を証明する唯一のもので、アメリカ大陸のどこにも類似するものがなく、アマゾン地域のプレ・コロンブス時代の儀式用建造物としては最大級のものです。 もう一つが、行政および居住地区と行政機関を形成していた丘の南側の地域です。ここは、インカがこの遺跡を占領し、記念碑的な公共建築物が建つ大きな中央広場や、軍事利用のための施設、商業地域、そして監視のための居住区域など、異なる文化的な集落の建築構造が組み合わされています。 
地域: 南米 / 国名: ボリビア多民族国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iii)
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ザモシチの旧市街

Old City of Zamość
ザモシチの旧市街
ザモシチの旧市街は、16世紀にポーランドの宰相ヤン・ザモイスキによって、イタリアの「理想都市」理論に基づいて建設されました。イタリアの建築家ベルナルド・モランドが設計を手がけ、当時の地形や要塞、そしてイタリアと中央ヨーロッパの建築様式が融合した建物となりました。街の中央の大市場広場は、アーケードのある商人の家々に囲まれ、広場の北側に立つ市庁舎の時計塔は高さ52mもあります。これは、ポーランドがルネサンスの社会的・文化的理想を受け入れたことを示す傑出した例となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (iv)
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サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿

Pythagoreion and Heraion of Samos
サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿
エーゲ海南東部、アナトリアに近い場所に浮かぶサモス島は、全能の神ゼウスの正妻であるヘラの生誕地とされており、神話上極めて重要な島です。島がポリュクラテスという僭主(独裁者)によって支配されていた紀元前6世紀頃までに、サモス島は東地中海の主な航行拠点となりました。「ヘラ神殿(ヘライオン)」の起源は、前750年頃に建築された小規模な神殿で、前670年頃の水害で崩壊しました。その後すぐに再建された神殿は、正面に二重の列柱をもつ最初の例でした。前570年頃には2倍の面積をもち、100本以上の柱で支えられたイオニア式の神殿が建築されるのですが、今度は戦火により崩壊してしまいます。そこでポリュクラテスが命を出し、パルテノン神殿をも凌ぐ、幅55.16m、奥行き108.63mの巨大な神殿を建てようとしました。しかし、250年にもわたる工事を施したにもかかわらず、結局完成することはなく、3世紀のゲルマン人の侵入により破壊されてしまいました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (ii)(iii)
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サラズム:原始都市遺跡

Proto-urban site of Sarazm
サラズム:原始都市遺跡
サラズムの原始都市遺跡は、紀元前4千年紀から前3千年紀後半にかけての中央アジアにおける人類定住の歴史を物語る考古学的な遺跡です。サラズムは中央アジア最古の集落の一つであり、その中心地は、遊牧民の家畜放牧に適した山岳地帯と、広大な渓谷の間に位置しています。この広大な渓谷が、ここへ最初に定住した人々による農業と灌漑の発展に役立ちました。農業や牧畜の他にも、銅やスズなどの金属鉱業や加工業が栄え、やがて街が成立して都市が形成されていく発展過程も知ることができます。この地域は、金属加工やそれに伴う道具、陶磁器、宝飾品の製作といった手工芸の発展においても、長期にわたって非常に大きな役割を果たしたのです。
地域: 西・南アジア / 国名: タジキスタン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2010年 / 登録基準: (ii)(iii)
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サラマンカの旧市街

Old City of Salamanca
サラマンカの旧市街
スペイン西部に位置するサラマンカは、2,000年以上の歴史をもつ都市であり、イベリア半島でも有数の文化遺産が存在します。街の南西を流れるトルメス川に架かる古代ローマ時代の橋をはじめ、12世紀に完成したロマネスク様式の旧大聖堂やサン・マルコス教会、16世紀完成のサリナ宮殿やモンテレイ宮殿などがその歴史を物語っています。特に18世紀に完成したマヨール広場は、スペインで最も壮麗なバロック様式の広場と謳われています。旧市街とその周辺には、ロマネスク様式からゴシック、ルネサンス、バロックに至るまでの宗教建築が点在し、都市全体が歴史的景観を形成しています。また、旧市街の建造物の多くは微少の酸化鉄を含んでおり、その影響で陽光を受けると旧市街全体が金色に輝いて見えることから、「ラ・ドラーダ(黄金都市)」の異名でも知られています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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サラン・レ・バン大製塩所からアルケ・スナン王立製塩所までの天日塩生産所

From the Great Saltworks of Salins-les-Bains to the Royal Saltworks of Arc-et-Senans, the Production of Open-pan Salt
サラン・レ・バン大製塩所からアルケ・スナン王立製塩所までの天日塩生産所
サラン・レ・バンの製塩所の歴史は中世以前にさかのぼります。近郊の地下水では、古くから高い濃度の塩分が確認されていました。13世紀に建てられた地下坑道や、19世紀に作られた今も稼働中の水圧ポンプ、井戸施設、地上の塩倉庫、旧住居など製塩にかかわった建造物が残り、世界遺産を構成しています。製塩所は、1962年に操業を停止するまで、少なくとも1,200年間稼働していました。1780年から1895年にかけては、その塩水が木製パイプを通り、21kmの木製パイプでアルケ・スナン王立製塩所へと運ばれていました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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サルーム・デルタ

Saloum Delta
サルーム・デルタ
西アフリカのセネガル西部、ガンビア川河口北側に広がる、三つの河川が形成した5,000㎢の三角州。汽水域に200以上の島々が点在し、マングローブ林だけでなく、乾燥林も含まれています。一帯には2,000年にわたって人類が築いてきた長さ数百mにもなる貝塚が218基存在しており、独特の文化的景観を生み出しています。
地域: アフリカ / 国名: セネガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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サルヴァドル・デ・バイアの歴史地区

Historic Centre of Salvador de Bahia
サルヴァドル・デ・バイアの歴史地区
サルヴァドル・デ・バイアは、1549年から1763年までブラジルの初代首都であり、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ先住民の文化が融合した都市です。​特に1558年からは、新世界初の奴隷市場が設けられ、サトウキビプランテーションでの労働力として多くのアフリカ人が連れてこられました。​この歴史的背景は、現在のサルヴァドルの文化や社会に深く影響を与えています。
地域: 南米 / 国名: ブラジル連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (iv)(vi)
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ザルツブルクの歴史地区

Historic Centre of the City of Salzburg
ザルツブルクの歴史地区
ドイツとの国境近くに位置するザルツブルクの都市名は、ドイツ語で「塩の城」を意味します。紀元前から岩塩の採掘がはじまり、その交易によって街は次第に栄えていきました。ザルツブルクでひときわ目立つ丘の上には、ホーエンザルツブルク城があります。この城は、11世紀にローマ教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が激しい闘争(叙任権闘争)をしている中で、ローマ教皇側を支持した当時の大司教が、神聖ローマ帝国の侵攻から逃れるため造った城です。以後、歴代の大司教が敵の侵入を阻むために防塁などを増築し、城塞となりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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サルト:寛容と都市的ホスピタリティの場

As-Salt - The Place of Tolerance and Urban Hospitality
サルト:寛容と都市的ホスピタリティの場
ヨルダンの中西部のバルカ高原にあるサルトは、三つの丘に挟まれた谷の斜面に立体的に展開する都市であり、トランスヨルダン王国の首都でもありました。オスマン帝国のスルタンであるアブデュルメジト1世が1839年に即位すると、タンジマート(恩恵改革)と呼ばれるを行った結果、環境が安定し、東地中海沿岸部の商人や職人がこの地に集結し、農村から都市へと発展しました。この地は1860年代から1920年代に「黄金時代」を迎えて、大いに繁栄しました。敷地の中央部には約650棟の重要な建築物が残り、ヨーロッパのアール・ヌーヴォー様式とネオ・コロニアル様式、そして地元の伝統が融合したものになっています。
地域: 西・南アジア / 国名: ヨルダン・ハシェミット王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (ii)(iii)
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サワルントのオンビリン炭鉱遺産

Ombilin Coal Mining Heritage of Sawahlunto
サワルントのオンビリン炭鉱遺産
インドネシアのスマトラ島内陸部に位置する『サワルントのオンビリン炭鉱遺産』は、19世紀末から20世紀初頭にかけての世界的に重要な工業化の時代に、オランダによって建設された先駆的な鉱業システムです。オンビリン盆地には、1860年代にはすでに高品質の石炭鉱床があることが判明していましたが、鉱床が地下深部にあったことに加え、人里離れた山岳地帯という地理的条件が障壁となっていました。当時インドネシアを植民地として支配していたオランダは、石炭を効率的に採掘し、処理・輸送・出荷することを目的として、産業と社会を一体として機能させる総合技術システムを計画・建設しました。建設に際しては、鉱業の発展を目的としてヨーロッパの工学知識や産業技術が現地に体系的に移転される一方で、現地の熱帯気候や社会構造に合うように調整・融合されていきました。単なる技術移植ではなく、地域条件に即した近代産業システムの成立を物語る点に大きな特徴があります。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (ii)(iv)
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サン・アントニオ・ミッションズ

San Antonio Missions
サン・アントニオ・ミッションズ
サン・アントニオ・ミッションズは、テキサス州南部のサン・アントニオ川流域12.4kmにわたって展開する5つの辺境伝道所群と、そこから37km南方に位置する牧場から構成されています。これらの伝道所遺跡は、農地、牛の放牧地、住居、教会、穀倉、工房、窯、井戸、外壁、そして水道システムなど、多様な建築物および考古学的建造物から成り立っています。これらは、1718年から1731年にかけてフランシスコ会の司祭によって建設されたものです。伝道所の建設以前、テキサスにはスペイン人による恒久的な入植地は存在していませんでした。これらの施設は、スペイン国王が新大陸の支配地域「ヌエバ・エスパーニャ(新しいスペイン)」の北部辺境において、植民地化、伝道活動、防衛を図った努力の証といえます。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (ii)
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ザンクト・ガレンの修道院

Abbey of St Gall
ザンクト・ガレンの修道院
スイス北東部にあるザンクト・ガレンの修道院は、ローマをめざして伝道の旅に出たアイルランドの修道士ガルスが、ボーデン湖の南の谷で神の啓示を受けて612年に小さな庵を結び、そこで弟子たちとともに神への祈りを捧げる生活を送ったのが始まりでした。720年頃にその場所に修道院が創建されると、彼の名をとってザンクト・ガレン修道院と名づけ、747年にベネディクト会の修道院となってからは、学問と労働を重んじるその教えにより大きく発展し、9〜10世紀頃には、ヨーロッパにおける学術の中心地として全ヨーロッパに名を馳せました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スイス連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (ii)(iv)
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サンクト・ペテルブルクの歴史地区と関連建造物群

Historic Centre of Saint Petersburg and Related Groups of Monuments
サンクト・ペテルブルクの歴史地区と関連建造物群
ロシアの西にある大都市サンクト・ペテルブルクは、バロック建築や新古典主義建築などの文化や芸術を取り入れた、モスクワに次ぐロシア第二の都市です。1918年まではロシアの首都として機能していました。サンクト・ペテルブルクの名は、ドイツ語で「聖ペテロの街」を意味し、ピョートル大帝の名前にも意味がかけられています。第一次世界大戦時にはロシア語風の「ペテログラード」と呼ばれ、ロシア革命後は「レニングラード」と名を変えました。ソ連崩壊前後に再びサンクト・ペテルブルクとなった歴史があります。同じロシアのオデッサ(オデーサ)やセヴァストポリもサンクト・ペテルブルクにならった街づくりが行われました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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サン・クリストヴァンのサン・フランシスコ広場

São Francisco Square in the Town of São Cristóvão
サン・クリストヴァンのサン・フランシスコ広場
サン・クリストヴァンに位置するサン・フランシスコ広場は、16世紀後半から17世紀中期のスペイン・ブラジル同君連合時代に建設されました。この広場は、スペインとポルトガルの植民地都市計画および建築様式が融合したモデルとして、その歴史的価値が認められています。広場を囲むフランシスコ会修道院などの歴史的建造物群は、当時の政治的・宗教的な権力の中心地として栄えた姿を今に伝えています。
地域: 南米 / 国名: ブラジル連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2010年 / 登録基準: (ii)(iv)
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サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナ

San Cristóbal de La Laguna
サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナ
大西洋のアフリカ沖に浮かぶカナリア諸島最大の島テネリフェ島に『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナ』は位置しています。ここは後のアメリカ大陸における植民地政策のモデルとなった都市です。1497年、アケレ谷の標高550mにある山の手地区の旧市街(アッパータウン)とは別に、新たな都市計画として新街区の下町地区(ロワータウン)が開発されます。旧市街の東1kmにある下町地区では、広々とした区間に大聖堂や病院などが規則正しく配列されました。サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナは、要塞を持たない最初のスペイン植民都市であり、現在は大学都市としても広く知られています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ザンジバル島のストーン・タウン

Stone Town of Zanzibar
ザンジバル島のストーン・タウン
ザンジバル島の西側にあるストーン・タウンは、東アフリカにあるスワヒリ沿岸交易都市の優れた例です。この街は都市の構造や景観をほぼ完全な形で保っており、アフリカ、アラブ地域、インド、ヨーロッパなどの文化の要素を、千年以上にわたって融合させ、独自の文化を形成してきた多くの素晴らしい建造物が含まれます。なお「ザンジバル」とは、ペルシア語で「黒人の海岸」を意味する言葉に由来しています。
地域: アフリカ / 国名: タンザニア連合共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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サン・ジミニャーノの歴史地区

Historic Centre of San Gimignano
サン・ジミニャーノの歴史地区
サン・ジミニャーノはイタリアのトスカーナ地方を流れるエルサ川の渓谷を見下ろす小高い丘の上にあります。この地では、染め物の原料として珍重されたアヤメ科の多年草であるサフランの生産が盛んでした。さらに、フィレンツェやシエナとローマを結ぶ街道の中継地に位置し、大いに繁栄したことで12世紀末に自由都市として独立しました。しかしその後、皇帝派と教皇派の二つのグループに分かれて内部抗争が起き、さらにペストの流行により街は大打撃を受けて、14世紀にはフィレンツェの支配下に入り街は衰退しました。そのため、サン・ジミニャーノの街の景観はほとんど変わることがなく、中世の街並みがそのまま残されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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サンタ・クルス・デ・モンポスの歴史地区

Historic Centre of Santa Cruz de Mompox
サンタ・クルス・デ・モンポスの歴史地区
サンタ・クルス・デ・モンポスは、スペインによる南米北部の植民地支配において重要な役割を果たした都市です。1540年、カルタヘナ総督フアン・デ・サンタ・クルスによってマグダレナ川のほとりに築かれたこの都市は、カリブ海の港であるカルタヘナ港と内陸部を結ぶ主要な水路沿いに位置し、物流と商業において重要な場所となっていました。都市は川沿いに発展し、洪水の際に街を守るための防壁が築かれました。17世紀以降、都市は拡大していき、街路や路地、多様なファサードをもつ家々が並ぶ都市へと変化しました。18世紀半ばには、レンガ造りに瓦屋根をもつ1~2階建ての建物が600軒、瓦葺きの家屋や小屋が1,800軒も建っていたと記録されています。
地域: 南米 / 国名: コロンビア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (iv)(v)
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サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院

Royal Monastery of Santa María de Guadalupe
サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院
スペイン西部、山々に囲まれた渓谷を見下ろす美しい街グアダルーペにある『サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院』は、スペインにおけるマリア信仰の中心地です。ここには、聖人ルカが1世紀に彫ったとされる黒い木彫りの聖母像(マリア像)が祀られています。8世紀、イスラム勢力から逃れたキリスト教徒が水辺に聖母像を隠しました。13世紀後半に聖母像が発見されると、その場所に教会が建てられます。一連の噂は時のカスティーリャ王アルフォンソ11世の耳に届き、この地へ訪れると教会は拡張されました。その後も4世紀にわたって増改築が繰り返され、現在ではムデハル様式、ゴシック様式の回廊を含む、多種多様な建築様式を持つ8つの主要建造物が王立修道院を構成しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (iv)(vi)
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サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城

San Pedro de la Roca Castle, Santiago de Cuba
サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城
1588年、無敵艦隊を有していたスペインは、イギリスとのアルマダ海戦で歴史的大敗を経験します。それまで海上で圧倒的優位を誇っていましたが、この敗北を機に両国の軍事バランスは逆転します。その影響はカリブ海にも波及し、スペイン王フェリペ2世による植民地防衛強化策の一環として、1590年~1610年にキューバ東部の拠点であるサンティアゴ・デ・クーバ湾口の岬(スペイン語で「モロ」)に三角堡(ラヴリン)と砲台が建設されました。17世紀にイギリスがアメリカ大陸で植民地政策の展開を進め、スペインと対立が深まる中で、サンティアゴ・デ・クーバの総督ペドロ・デ・ラ・ロカ・イ・ボルハは、既存の三角堡の地に石造要塞の建設を開始しました。この要塞建築にはイタリアの軍事建築家フアン・バウティスタ・アントネッリも参加したので、ルネサンス様式を基本とした堅牢さと機能美を備えた要塞が建てられました。それが、断崖上に建設されたサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城です。城の名前は総督に由来しています。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: キューバ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (iv)(v)
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サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)

Santiago de Compostela (Old Town)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)
スペイン北西部、ガリシア地方の都市「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」はキリスト教三大巡礼地のひとつとして知られています。この地はかつて8〜10世紀に栄華を誇ったアストゥリアス王国の領土でした。イエス・キリストの愛弟子であるサンティアゴ(聖ヤコブのスペイン名)の遺骸が発見されたという噂から、9世紀初頭に当時の王アルフォンソ2世によって聖ヤコブをまつる聖堂が築かれます。この地はキリスト教において重要な巡礼地のひとつとなりますが、キリスト教徒とイスラム教徒との激しい争いの場にもなりました。997年にはアル・マンスールによって聖堂や市街が破壊されます。しかし、翌11世紀に街が再建されると、現在まで残る聖ヤコブの眠る聖堂が建造され、再びキリスト教の重要な巡礼地として名を馳せていきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道

Routes of Santiago de Compostela: Camino Franc?s and Routes of Northern Spain
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道
「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラにある聖ヤコブの棺を目指す、キリスト教の巡礼路です。1993年に、ピレネー山脈からスペイン北部を東西に貫く巡礼路が、世界遺産に登録されました。「サンティアゴ」とは、スペイン語で、キリスト教の使徒のひとりである聖ヤコブのこと。聖ヤコブがスペインにおいて福音を説いたという伝説は、7世紀初頭には存在していました。「使徒の休む場所は、福音を説いた場所にあるべきである」という聖ヒエロニムスの教えがあることから、聖ヤコブの遺体は、殉教地のエルサレムからスペインに移送されたと信じられていました。9世紀に聖ヤコブの墓が発見されると、この報せが西ヨーロッパの各地に広がり、サンティアゴ・デ・コンポステーラはエルサレム、ヴァティカンに次ぐ聖地としてカトリック世界に定着していきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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サン・テミリオン地域

Jurisdiction of Saint-Emilion
サン・テミリオン地域
くねくねと続く石畳の道など中世の面影が残るサン・テミリオン地域は、ワイン生産地として初めて登録された世界遺産です。フランス南西部のヌーヴェル・アキテーヌ地方に位置し、ボルドーワインのなかでも高級品の産地として知られます。広大なブドウ畑と醸造所、教会などの歴史的建造物が融合した景観は往時の姿をとどめています。この地におけるブドウ栽培の歴史は古く、古代ローマ時代まで遡ります。温暖な気候で水はけも良い土壌は、ブドウの栽培に適していました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (iii)(iv)
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サンボー・プレイ・クックの寺院地区:古代イシャナプラの考古遺跡

Temple Zone of Sambor Prei Kuk, Archaeological Site of Ancient Ishanapura
サンボー・プレイ・クックの寺院地区:古代イシャナプラの考古遺跡
サンボー・プレイ・クックの寺院地区は、カンボジア中央部コンポントム州 に6世紀後半から7世紀前半にかけて栄えた真臘国(チャンラ王国)の都イシャナプラと呼ばれた場所にあります。イシャナプラはスタン・セン川やオー・クル・ケー川が流れる平野にあり、インドと中国とを結ぶ海上交易路の要所であったため、商業だけでなく宗教の中心地としても発展しました。サンボー・プレイ・クックという名前は、クメール語で「豊かな森の寺院」という意味で、7世紀初めに即位したイシャナヴァルマン1世は、この地に多くのヒンドゥー教の寺院が建てました。これらの寺院はアンコール・ワットよりも古く、プレ・アンコール期とされるクメール建築が生まれた初期の特徴がみられます。「空中宮殿(フライング・パレス)」や「怪魚マカラ」など遺跡に残る砂岩の彫刻は、サンボー・プレイ・クック様式と呼ばれています。100以上ある寺院遺跡の多くはレンガ造りで、そのうち10の寺院は東南アジアでは珍しい八角形の祠堂を持っています。約2㎞四方の環濠に囲まれた都城の中には、寺院だけでなく、水路や溜池などの水利施設、古い道などが残されています。しかし、これら遺跡の多くは熱帯の植物に覆われて倒壊の危機に瀕しており、修復・保存への取り組みが国際的協力のもとで進んでいます。
地域: 東・東南アジア / 国名: カンボジア王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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サン・ミゲルの要塞都市とアトトニルコにあるナザレのイエスの聖地

Protective town of San Miguel and the Sanctuary of Jesús Nazareno de Atotonilco
サン・ミゲルの要塞都市とアトトニルコにあるナザレのイエスの聖地
『サン・ミゲルの要塞都市とアトトニルコにあるナザレのイエスの聖地』は、要塞都市と都市から14km離れたアトトニルコの聖地で構成されています。サン・ミゲルの要塞都市は16世紀に整備され、内陸部の王の道として世界遺産に登録されている『カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ』を守るために築かれました。その都市は鉱山とメキシコシティを結ぶルートを防衛する役割を果たし、後に毛皮産業で発展しました。18世紀のバロック様式から19世紀後半のネオゴシック様式まで建築様式の変化を示す重要な歴史的建造物が多く残っています。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (ii)(iv)
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サン・ミリャン・ユソとスソの修道院群

San Millán Yuso and Suso Monasteries
サン・ミリャン・ユソとスソの修道院群
スペイン北部にあるユソとスソの2つの修道院は、守護聖人ミリャンゆかりのキリスト教建築です。6世紀、聖人ミリャンが丘の上(スソ)に修行場をつくったことで巡礼地となりました。10世紀になると、修行場付近にロマネスク様式の美しいサン・ミリャン・デ・スソ修道院が建てられます。一方、丘の下(ユソ)では11世紀にサン・ミリャン・デ・ユソ修道院が建設されました。その後に破壊されたため16世紀に再建され、現在の姿となっています。2つの修道院では、ロマネスク様式、モサラベ様式、バロック様式などの複数の建築要素を見ることができるのも特徴のひとつです。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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サン・ルイスの歴史地区

Historic Centre of São Luís
サン・ルイスの歴史地区
サン・ルイスは、フランス人によって建設され、その後オランダ人の支配を経てポルトガル領となった歴史を持つ都市です。砂糖と綿花の貿易港として繁栄しました。この歴史地区の中心部には、17世紀後半に遡る当初の碁盤の目状の都市設計がほぼ完全な形で残されています。この地区は、経済停滞が長期にわたったことで開発が遅れ、多数の歴史的建造物が良い状態で保存されました。イベリア植民地時代の町の優れた例証となっています。
地域: 南米 / 国名: ブラジル連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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サン・ルイ島

Island of Saint-Louis
サン・ルイ島
セネガル川河口に浮かぶ『サン・ルイ島』は、フランスによるアフリカ貿易の重要拠点となった場所です。17世紀にフランスの植民地になると、アラビアゴムや象牙、金、さらには奴隷の貿易で発展を遂げます。かつてはフランス領西アフリカの首都でしたが、1957年のダカール遷都に伴い、フランス駐屯軍が撤退したため人口は大幅に減少しました。現在、島と本土は19世紀に建設されたフェデルブ橋で結ばれています。市街に入ると、街路が碁盤の目状に規則正しく通っており、バルコニーを備えたコロニアル様式の建物が並びます。この地は、『星の王子さま』の著者サン・テグジュペリが滞在したことでも有名です。
地域: アフリカ / 国名: セネガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iv)
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シーギリヤの古代都市

Ancient City of Sigiriya
シーギリヤの古代都市
スリランカ中部にそびえる『シーギリヤの古代都市』は、高さ約200mもある巨大な岩山の宮殿跡です。5世紀後半、シンハラ王国のカッサパ1世という王によって、岩山の頂上に都が築かれました。彼は王である父ダートゥセナを殺し、正当な継承者だった弟モッガラーナを追放して王に即位しました。その後罪の意識に苛まれ、復讐を恐れたカッサパ1世は、父を供養し、かつ弟の報復から身を守るために、父が構想していた城砦の建設に着手しました。カッサパ1世は人が簡単には登れない岩山の上に、宮殿や庭園、貯水池などを含んだ要塞都市をつくり、自らの安全を確保しました。わずか十数年この場所で暮らしましたが、最後は弟に敗れて命を絶ちます。短い歴史を持つ都ながら、その劇的な背景と大胆な建造物は、現代の私たちにも強い印象を残しています。
地域: 西・南アジア / 国名: スリランカ民主社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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